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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【分析メモ】バロック時代の不協和音程の表現力:調和を超えて人間の表現へ



 モンテヴェルディ(1567-1643)は生没年を見てもわかる通り、ルネサンス時代とバロック時代に跨がる位置にいる作曲家です。ルネサンス時代後期におけるマドリガルと、バロック時代初期におけるオペラを両方とも創作しました。


 元々仕えていたマントヴァから暇を出されてしまったモンテヴェルディはヴェネツィアに行くことになります。既にマントヴァで『オルフェオ』などのオペラを作っていたモンテヴェルディですが、ヴェネツィアに行ってからしばらくはオペラ創作から遠ざかり、サン・マルコ寺院の楽長として主に宗教音楽創作の方に力を注ぎました。彼がオペラ創作に復帰するのは、ヴェネツィアに商業オペラ劇場が誕生し、オペラブームが到来してからだそうです。『オルフェオ』と並んで現存する彼のオペラ『ウリッセの帰還』と『ポッペーアの戴冠』は、彼の最晩年にあたるこの時期に書かれました。


 彼の現存するオペラが3作とはいえ、その中の見所は山のようにあるのですが、一つだけ見てみましょう。『ポッペーアの戴冠』より、最後のポッペーアとネローネの二重唱です。



 実在の第5代ローマ皇帝ネロとその2番目の妻となった愛人ポッパエアの物語です。史実のネロ帝の悪行の裏にはポッパエアがいたという言説もあるくらいで、物語も悪が勝ってしまうような方向のものなのですが、オペラ冒頭に出てくる愛の神がこのようなことさえも叶えてしまうわけです。愛の神によって結ばれた二人の愛の二重唱といったところでしょう。


 さて、この二重唱の大部分は、通奏低音による繰り返される下行音型に支えられて進行する美しいものです。下行音型であるということ自体に不吉さを見出だす意見もあるようですが、どちらかというと反復によって念願の成就を噛み締めるニュアンスの方が勝つのでは?と個人的には感じます。


 しかし少し進むと、大きな引っ掛かりのある、無視できない不協和音程が聴こえてきます。



 低音パターンは変わらないのですから、その上に形成される和音も最初と同じ協和音を繰り返すことができるはずです。その和音に従って旋律を書けば不協和音程も目立つようなものにはせずに済むはずです。それでもなお不協和音程が大胆に鳴るということは、意図的に鳴らしていると考えて差し支えないでしょう。


 その不協和音程は「苦しみ peno」「死 moro」といった言葉が含まれるフレーズに出現するのです。「もう苦しみもない」「もう死もない」とポジティヴなことを歌っているはずなのですが、むしろ苦しみや死の影が見え隠れするようです。オッターヴィアを離縁し、オットーネを追放し、セネカを自害させて掴んだ結婚です。後ろ暗いことがありすぎる愛ですから、その危うさ・不吉さは拭われていないと考えることもできるかもしれません。


 もしくはモンテヴェルディらの時代の人々が既にネロとポッパエアのその後の顛末を知っているからこその表現であるという可能性もあるかもしれません。後に二人は些細な口論を起こし、ネロの振るった暴力によってポッパエアは死んでしまったと伝えられます。ネロが元老院から"国家の敵"に認定されて逃亡の後自害するのは、ポッパエアの死からたった3年後のことでした。苦しみや死はなおも到来したのです。


 モンテヴェルディが何を想定してこの不協和音程を仕組んだのかを断言はできません。しかし、不協和音程がそこにあるということは事実です。ただ「楽譜にそう書いてあるから」と鳴らすのではなく、どのような意味をもってどのような表現としてその不協和音程を鳴らすのかを考えて演奏すれば、聴き手に伝わる音楽情報は膨大なものになるでしょう。


 

 ところで、モンテヴェルディはこの『ポッペーアの戴冠』でいきなりこのような不協和音程を用いたわけではありません。むしろずっと前から、ルネサンス時代の形態であるマドリガーレの中ですら、「苦しみ」「死」などという言葉に対してこの手法を用いていました。


 現代でもおいそれと和声法の教科書で禁則と書かれている書法を作曲の時に用いると「連続5度警察」やら「限定進行音警察」やらが飛んできて、滑稽ないざこざがSNS上で繰り広げられたりするものです。実はモンテヴェルディの時代にも、彼の不協和音程書法を批判する音楽理論警察が飛んできていました。アルトゥージという名前の理論家でして、『アルトゥージ、あるいは最近の音楽の不完全さについて』という文章の中で、モンテヴェルディの譜例を挙げて攻撃したのです。最近の治安の悪いTwitterみたいですね。


 もちろんモンテヴェルディは"苦しみの感情"を表現するために不協和音程を用いています。それが当時の古い音楽理論の規則を重んじる人々には聴き捨てならなかったのでしょう。これに対してモンテヴェルディは「言葉が求める感情表現のためならば、それまでの規則に従わない書き方も必要である」と反論しました。


 "言葉が求める感情表現"…これが新しきバロック時代のキーワードのひとつになっていきます。


 

 少し時代は下って教皇領ローマ。区分の一つの観点ですが、オペラは神話や世俗の物語を内容とする音楽劇、オラトリオは宗教を内容とする音楽劇です。オラトリオはカトリックの立て直しが取り組まれていたローマで確立されていくことになります。


 ペーリやカッチーニが始めたオペラの質を引き上げたのがモンテヴェルディなら、カヴァリエーリが始めた宗教音楽劇を発展させた立役者こそがカリッシミ(1605-1674)でしょう。


 モンテヴェルディとカリッシミに接点があったかどうかはわかりませんが(モンテヴェルディの後任としてサン・マルコ寺院楽長のポストへのオファーもあったとかなんとか)、カリッシミもまた不協和音程を用いた絶大な演奏効果を持つ作品を残しました。


 オペラよりは規模が小さいながらも、モンテヴェルディのオペラ『オルフェオ』や『ポッペーアの戴冠』に匹敵する重要度をもつオラトリオこそが、カリッシミの『イェフタ』であります。当ブログの別記事でも言及しましたが、このオラトリオの最後の合唱にその不協和音程は出現します。


 神霊の力を借りてアンモン人(アモン人)との戦いに勝利したイスラエルの指導者イェフタは、その代償として自らの一人娘を神に捧げることになってしまいます。それから一人娘は山々を巡って自身の純潔を悼むのですが、その最後に歌われるのがこの六部合唱です。各パートが次々に「悲しみの歌で in carmine doloris」と歌い繋ぎ木霊させていく中で、偶発的に不協和音程を発生させます。



 その直後の「悼みなさい lamentamini」でも、掛留音によって大胆な不協和音程の響きが連なっていきます。



 同時代のローマで、しかもカリッシミの近くにいたであろう司祭・学者キルヒャーは、この『イェフタ』について、音楽による"苦悩"の表現の良い例であると名指しで高く評価しています。


 一人娘を神に捧げるイェフタの苦悩、自らを神に捧げる娘の苦悩、その苦悩に共鳴するイスラエルの人々の苦悩が、この合唱に凝縮されて木霊しているのです。宗教劇と言いながらも神を讃えるのではなく、あくまでも人間の感情に視点が向いていることが愛おしいところです。


 

 番外編的に、さらに時代を下ったところにいるルベル(1666-1747)を紹介しておきましょう。彼のバレエ『四大元素』の冒頭《カオス》はと言えば、上で紹介してきたものよりも断然パッと聴いてわかりやすいです。



 冒頭の通奏低音に書かれた数字は「7♯-2-3-4-5-6♭」となっています。五線譜に記されたバスはDですから、この和音の積み重ね方は音名で「D-Cis-E-F-G-A-B」となります。バスの音とは距離を取っているにしても、上で鳴っているのは結果的に2度堆積によるクラスターです。並び替えて3度堆積と捉えることもできないではないですが。


 混沌を描こうとした時に、当時としては驚異的なこの和音が用いられるに至ったのでしょう。ここでは先に紹介した2作とは異なり、人間の感情表現ではなく光景や状況の描写表現であると言えます。


 余談でありバロック時代ではありませんが、昨年末に亡くなったエストニアの作曲家シサスク(1960-2022)の合唱曲《宇宙の誕生》もまた、音楽はタムタムの一撃を伴う合唱の絶叫によって始まり、その後収斂して旋律となっていきます。カオスから始まって形が纏まっていくという流れの表現はなんとなく共通していますね。


 

 一言に「不協和音」と言うと、多くの人はそれを忌避すべきものであると思うでしょう。実際に20世紀などでは「不協和音」と見なされた音楽が批評メディアなどから攻撃を受けていたほどです。


 しかし、教科書の規則を守って綺麗な和音を繋げることだけでは表現できないものがあります。人間の苦悩や悲哀、憤怒、痛みは、整っただけの音楽には浮かび上がらないのです。


 規則に従った調和を超えて、痛みに歪む人間の感情を表現しようとした時に顕れる音楽は、決して綺麗な整頓されたものではないでしょう。やはり音楽としても歪んだ音楽として受け止められるでしょう。しかし、その歪みにこそ人間の感情が芽生えるのではないかと思います。モンテヴェルディやカリッシミは、人間の感情表現に滲み出る歪みをこそ憎むこと無く肯定し、愛したのではないでしょうか。


 

KI企画 演奏会

『バロック=ドラマティック』


日時

2023年4月8日(土)

13:30開場 14:00開演

16:00頃終演予定


会場

パルテノン多摩 小ホール

多摩市落合2-35

多摩センター駅より徒歩5分


入場料

前売 3,500円


曲目

【カリッシミ(1605-1674)】

オラトリオ『イェフタ』全曲

【J.S.バッハ(1685-1750)】

教会カンタータ『心と口と行いと生活で』より

世俗カンタータ『お喋りは止めて、お静かに』より

【モンテヴェルディ(1567-1643)】

オペラ『ポッペーアの戴冠』より

【ラモー(1683-1764)】

オペラ=バレ『優雅なインドの国々』より

【ヘンデル(1685-1759)】

オラトリオ『メサイア』より

他、バロック音楽名曲撰集


演奏会告知記事


カリッシミ『イェフタ』解説記事


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