【ソルフェージュ】ピアノにおいて音階を練習することの意義:音階を掬い上げる行為
- Satoshi Enomoto
- 6月11日
- 読了時間: 4分
多くのピアノ学習者が各調の音階(スケール)を弾く訓練を経験することでしょう。かのハノンにも24調のスケール練習が載っている他、チェルニーなどの練習曲にも要素として度々登場します。バルトークさえも《ミクロコスモス》に音階練習を直接載せていないというだけで「他の教材に載ってるから音階の練習はそっちでやっとけ(要約)」と言っていたはずです。
確かに特定のクラシックの作品においては音階がそのまま音楽の一部として用いられている場面が見られることはさほど珍しいわけでもないでしょう。学習者の誰もが弾くであろうモーツァルトのKV545のソナタは明らかに音階を弾くための練習を組み込んでいますし、18世紀~19世紀の音楽は言わずもがな、時代が下って20世紀のシェーンベルクの《3つのピアノ曲》Op.11にさえg-mollの下行音階が一瞬出現します。各調の音階を弾くという練習をしておくだけで、それが演奏の実用上でも使えるという側面は確かにあるであろうと思われます。
そのような事情から、恐らくピアノで音階を練習するという行為の意義は「実際の作品でそのまま出てくることがあるから」という技巧面の事前訓練として考えられ、そのために練習されている場合が多いのではないかと推察します。
しかし、ピアノで音階を練習することの意義は「実際の作品でそのまま出てくることがあるからその前に練習しておく」という指の事前訓練に留まるものではないと考えています。他の楽器については僕は専門外ですので言及を避けますが、ピアノという楽器の事情から音階練習の意義を考えてみましょう。
ピアノという楽器の演奏機構である鍵盤には、白鍵と黒鍵とをあわせて12のピッチクラスが予め並んでいます。多くの方は1オクターヴ内に12の音高があるということを知っていて、それを何ら不思議なものとは思わないかもしれませんが、一般に言う長音階と短音階の構成音は7つです。教会旋法も7つの音から成っています。全音音階の構成音は6音、八音音階はその名の通り8音から成ります。12音全てを用いる音階は半音階のみです。
長音階や短音階は12音の中から7音を抜き出したものではなく、元から7音で構成されているものであり、それ以外の音は音楽の中で変位によって偶発的に発生するものです。「せっかく12音あるのに7音しか使わない」のではなく、「そもそも7音の音楽をやるのに、どういうわけか鍵盤には12音用意されている」という順であると言えるでしょうか。長音階や短音階などの音階組織を想定した時、半音階の場合を除いて、鍵盤にはどうしても余分な鍵が用意されているのです。
ピアノにおいて音階を練習するということは即ち「余分な鍵も混入している鍵盤からその音階を掬い上げる行為」であると言えるでしょう。ニ長調の音階を練習することは半音階の鍵盤からニ長調の音階をその形状のまま掬い上げるということであるわけです。その際には音階の全体像が一掴みできるように見えていなければならず、一音一音拾っていたのでは音階を掬い上げられていることにはならないのでしょう。
ここに述べた点にも、ピアノにおいて音階を練習することの意義を見出だすことはできないでしょうか。半音階で並んだ鍵盤の中から、様々なドレミファソラティドを掬い上げた時、その結果としての鍵の様相にしたがって、それがハ長調であったりニ長調であったり変ホ長調であったりするのでしょう。音階を練習するための楽譜には弾く鍵が一つ一つ予め書かれてしまっていますが、あくまでもそれは「音階を掬い上げた結果の記録」であって、学習者の取り組み方としては楽譜に表記された音符に従うばかりではなく、樹の中の仏像を見るかのように鍵盤の中の音階を認識することが重要になってくると思います。
幸か不幸か、鍵盤楽器は他の楽器に比べても明らかに半音階が具現化されてしまっている楽器であると思います。そしてその半音階の見た目は、初期状態で既に様々な音階組織を覆い隠してしまっています。個々の音楽作品を演奏する時に必要とされる音階組織をその鍵盤の中から掬い上げる能力を培うこともまた、鍵盤楽器奏者が音階を日々練習する意義の一つであると考えています。
そのように考えると、一見苦行のようにも思える音階練習も有意義に思っていただけるでしょうかね。
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