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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【名曲紹介】カリッシミ《イェフタ》:オラトリオの成立と、共に嘆く合唱

更新日:2023年3月20日


 4/8にパルテノン多摩にて公演予定のバロック音楽を集めたコンサート『バロック=ドラマティック』は今や2ヶ月後に迫りました。バロック時代を彩る様々な作品集を前半に、カリッシミのオラトリオ《イェフタ》を後半に演奏します。



 それぞれの作品ごとに一つの長い解説が書けてしまうほどの濃いプログラムとなっているわけですが、そのメインであるカリッシミの《イェフタ》については元来の古楽ファンの間でのみ有名という位置の作品であり、専らバロック後期以降の作品に接している一般的なクラシックファンにはあまり馴染みがないかもしれません。せいぜい声楽を嗜んだ人が《Vittoria, mio core》を歌ったことがある程度でしょうか。《イェフタ》こそはカリッシミの代表作であるわけですが、如何せんカリッシミという作曲家自体の注目度が低いのが現状です。


 バロック時代の有名な声楽作品なんて他にもたくさんあるだろうに、そんな知名度微妙なカリッシミの作品を何故わざわざ今回上演するのか。それはこの作品が後世に与えた影響力にあります。



 

 舞台は16世紀のローマに遡ります。この時代は、当時のカトリック教会の腐敗に対してドイツのルターやスイスのカルヴァンらが次々に宗教改革運動を起こした時代でありました。宗教改革運動を受けてカトリック教会内部での反省も行われていくことになります。


 信仰を回復するための新たな宗教活動が始まり、新たな団体も設立されました。最も有名なのはイグナティウス・ロヨラが中心となって設立されたイエズス会でしょうか。日本にも1549年にイエズス会のフランシスコ・サビエル(ザビエル)が宣教のために来訪しましたよね。ロヨラが元々騎士であったこともあってか、イエズス会は「神の軍隊」を自認する厳格な規律をもっていたようです。


 そのような聖職者団体イエズス会に対し、むしろ一般信者グループとして活動したのが、フィリッポ・ネーリを中心とするオラトリオ会でした。ネーリは正規のミサではなく、一般の人々が参加しやすい集会を定期的に行い、そこでは全員で簡単な宗教歌(ラウダ)を歌ったりしました。その集会を行っていたのが、サン・ジローラモ・デラ・カリタ教会の集会室(オラトリオ)でした。オラトリオ会の名前の由来はここにあります。


 1575年に公認されてからは、オラトリオ会は新しく建てたサンタ・マリア・イン・ヴァッリチェッラ教会(キエザ・ヌオーヴァ)へと拠点は移り、開催数や参加者も増えていったようです。そして遂にはネーリのオラトリオ会方式の集会が、他の教会でも催されていきました。その中で集会に用いられる音楽も充実していき、対話形式の歌や音楽劇も登場したようです。


 サン・マルチェッロ・アル・コルソ教会もまた、このような集会を持った教会でした。かつて教会が火災で焼け落ちた際に、木製であるはずの聖十字架像が焼けなかったため、奇跡の十字架に因んでここのオラトリオ会は「聖十字架のオラトリオ会」と呼ばれました。このオラトリオ会でも例に漏れず、新たな音楽を複数の作曲家に委嘱していました。


 お待たせしました、そのうちの一人こそがカリッシミです。


 カリッシミ(Giacomo Carissimi, 1605?-1674)はローマ近郊で生まれ、いくつかの教会で歌手やオルガン奏者、楽長も務め、ローマに戻ってからはイエズス会の学校であるコレージョ・ジェルマニコの教師として活動しました。カリッシミの書いたオラトリオ会のための音楽は、それまでのものに比べて遥かに劇的であり、当時のオペラの様式にさえも歩み寄りを見せています(カリッシミはオペラを書かなかったとはいえ)。


 「オラトリオ」とは一般に、役者の所作や衣装、舞台装置を伴わない、演奏会形式の宗教的・道徳的音楽劇を指します。先述のキエザ・ヌオーヴァで1600年に初演されたカヴァリエーリの《魂と肉体の劇》は所作も衣装も舞台もありで上演されたため、これをオラトリオに含めるかどうかは意見の分かれるところではありますが、オラトリオというジャンルの確立を決定的にしたのはカリッシミの作品群、特に《イェフタ》でありましょう。


 

 カリッシミの書いた《イェフタ》の物語は、旧約聖書を元に脚色したものを台本としています。


 アンモン人から戦争を仕掛けられたイスラエル人たちは、イェフタを指導者としてそれに立ち向かうことになります。イェフタは、この戦争に勝って帰った時に最初に自分を出迎えた人間を神に燔祭(生贄)として捧げることを誓い、神霊の力を借りて戦争に勝利します。


 そしてイスラエルに帰ったイェフタを最初に出迎えたのは、イェフタの大切な一人娘でした。戦争での勝利の喜びは一瞬にして悲しみへと転落します。イェフタの娘はそれを受け入れ、従者たちと山を歩いて自身の純潔を悼みます。全てのイスラエル人に嘆きを呼び掛ける劇的な6部合唱によって幕を閉じます。


 粗筋はこれだけのものでありまして、長くても演奏時間は25分ほどと、オラトリオとしてはそこまで大規模な作品であるわけでもないでしょう。しかし、そのたった25分の中にさえも、独唱、二重唱、三重唱、四部合唱、六部合唱、対話形式、エコーの表現、半音階書法、大胆な不協和音…という、これでもかというくらいに音楽の要素がてんこ盛りになっているのです。


 特にその最後に出てくる、イェフタの娘を悼む嘆きの合唱は、現代から考えてもなお斬新な書法によって、大きな悲嘆を描くことに成功しています。



 次々に現れるA-G-F-EとE-D-C-Hという2つの「ラ-ソ-ファ-ミ」音型が重なる中で、F-E間という長7度音程が鳴り続けます。この不協和音程による高度な緊張が苦悩を表現します。このような不協和音程の書法は、バロックの前のルネサンス時代には「耳障りである」と考えられて忌避されたはずのものでした。作曲法の規則に対する価値観を上回ってでも、音楽は"表現"を成し遂げるようになったのです。


 カリッシミの《イェフタ》については、学者でイエズス会司祭であったアタナシウス・キルヒャーが著書『普遍音楽(Musurgia universalis)』で取り上げ、人間の「苦悩」の心情を描いた傑作であると特筆したほどでした。この作品が当時の人々に与えた感銘は想像がつきます。


 オラトリオが宗教的・道徳的な物語を題材とする音楽劇であるという建前はありつつも、カリッシミの《イェフタ》の特に後半で描かれるものは、生々しい"人間の"苦悩の姿であると感じます。音楽に乗せて道徳や倫理を説いて見せるだけのものではなく、神を賛美するだけのものでもなく、視点が人間個人の感情にも向けられているのです。


 世間では「感情を込めて歌いましょう」などという非常にざっくりした、曖昧な、結局どうしたらいいのかがわからないような指示をされることがあります。"音楽におけるどのような要素がどのような感情を呼び起こすのか"というポイントを押さえることによってこそ、表現を考えることができるのでしょう。そのような面において、カリッシミを含めてバロック時代の音楽家たちは多くのことを緻密に考え出しました。この『イェフタ』こそが感情の中の「苦悩」の表現に向き合うためのモデル作品の一つであるわけです。


 また現代では享楽が好まれ、日常生活からは苦悩が遠ざけられています。苦悩が無い生活というのも快適で良さそうですが、しかし他人の苦悩に対するアンテナの方はすっかり鈍麻しているように感じます。『イェフタ』の最後の合唱は"悲しみを共に嘆く"声たちの合唱です。苦悩する心、他者の悲しみを共に悲しむ心を取り戻せるかということは、現代社会における人間の課題の一つではないかと考えております。


 バロックという概念を人間の感情表現だけに結び付けるのは早計かもしれません。しかし一方で、その感情表現の要素こそはバロックの音楽が聴き手にはたらきかける力の一つであったであろうとも信じております。バロックの持つドラマティックな一面にも光が当たるとよいと思います。



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