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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】ロシアによるウクライナ侵攻のこと、そこから派生する色々


 あまり政治の話題に偏りすぎるのもブログを書く目的と異なるかなと思い、これまでの似たような事件の時もせいぜいTwitterで言及するだけに留めてきましたが、流石に他人事でない点がいくつも出てきてしまっているので、せめて記録として残しておこうと思う次第です。


 ロシアがウクライナへの侵攻を開始しました。ウクライナ東部の親ロシア派武装勢力への支援を口実に、今これを書いている時点で首都キーウまで侵攻しています。目的はウクライナの国家転覆で間違い無いでしょう。


 一体どうすれば良かったのか、どうすればこんなことが起こらないで済んだのか、今となっては後の祭りであります。21世紀に入って20年も過ぎたというのに、ロシアはウクライナを侵略した。その事実はもう変えようがないものです。



 この侵略戦争が、全くロシアの一般国民の総意でないということは救いでしょう。この戦争を望まないロシア人たちは多く、デモまで決行しました。そしてロシア当局はデモに参加した自国民を拘束するという暴虐にまで及んでいるわけであります。ロシアはプーチンの一味に乗っ取られてしまいました。ウクライナがロシアからウクライナを取り戻さなければならないのと同じように、ロシア国民もプーチンからロシアを取り戻さなければならないのかもしれません。酷な話です。


 此度のことから、日本国憲法の第9条に触れる話題が挙がりました。恐らく、第9条があろうと無かろうと、たとえ戦力らしい戦力があろうと、かのような非道な政府が攻め込むと決めたら攻め込まれるでしょう。道路交通法があっても無くても暴走車両は突っ込んでくるわけです。極端な話、"攻撃されない" 方法は無いのでしょう。


 僕個人の考えを漏らすと、実は憲法改正には反対する側なのですが、かといって自衛隊を即時解体せよなどとも思っていません。自衛するための力は現状では必要なのです、残念ながら。ただ、戦力の保持を言葉でも認めてしまえば、「日本が先にやりました(濡れ衣)」と利用されてしまう恐れはあると思います。どう見てもとんでもない口実が現実に飛び出してくる光景を此度見たでしょう。


 今更でしかないのですが、平和条項は自分たちが保持しているだけでは全く足りなかったのです。本当は他国にも強制してまわるべきものだったことを思い知らされました。ロシアにも押し付けておかねばならなかったのです。そもそも最初からプーチンの君臨を許してはいけなかったのです。改憲によって自身の任期を延ばそうとするような人物ですし、不正選挙の疑惑も囁かれますし、どのみちその君臨は免れなかったかもしれませんけれども。


 思えば、確かにスターリンは死んでいなかったのです。その災厄が降りかかるのは決して隣国ばかりではなく、ロシア国内も同様でしょう。側近や支持者もそろそろそのリーダーの正気を疑った方が良いと思われます。21世紀のスターリンが敷く実質的な絶対王政に粛清されてからでは遅い。



 また、クラシック音楽界に関係がある話として、ロシア人の音楽家たちが孤立していく状況がもう既に起こり始めています。特にプーチンと距離の近かった指揮者 ゲルギエフは、一気にそのポストを失いかけているほどでしょう。音楽界の中で起きているだけでも大混乱であるわけですが、もはやその外、音楽界を外から見ている人たちにとっては、ロシアの作曲家の音楽作品というだけで既に忌避され始めています。なるほど、戦時中の「敵性音楽」という考え方は本当にあったのだと実感するばかりであります。


 僕個人としては、人間と音楽作品は分けて考えたいと…以前までは思っていました。先の東京オリンピックでの降板騒動を見て、あのような場に出る人間は本当に品行方正でなければならない、人間と音楽は分けて考えてはもらえないものであるということを実感しました。それを適用するならば、酷ではありますが、プーチンに近いゲルギエフに関しての処遇は、それが正当か不当かはさておき、筋は通っていると思います。


 人間の感情というものは無視し難いものであります。音楽作品自体に悪いところが全く無かったとしても、そこに付いている属性によって受け取り手には大きな嫌悪を引き起こしてしまうわけです。そのことを僕は非難する気にはなれません。行いが一瞬で泥を塗ってしまうということなのです。


 そして、それとは別の観点ですが…もしも自分の国が他国への侵攻を始め、人々を殺戮し蹂躙している時に、果たして自分はそれを尻目に音楽の舞台に上がることができるだろうかと考えてしまうのです。僕はどんな心持ちで、どんな顔をして舞台に出て行けばよいのかわかりません。きっとその場の誰一人として温かい目をしてはいないでしょう。もはや音楽を届けようと考えることさえもが、その状況下においては酷く傲慢な態度として映ってしまうでしょう。そんな風に音楽をするのは、僕自身が耐えられないと思います。ロシアの音楽家たちも似たような思いを強いられることになっているのではないでしょうか。


 もう既に、ウクライナの人々も、ロシアの人々も、さらにその周りの国の人々も、実際の被害が未だに無い人たちでも、心には戦争の汚泥をかぶっている状態です。そして実は、これは此度の侵攻に限った話ではありません。他の地域でも昨今様々に似たような事件がありました。その度に人類は揃いも揃って泥を浴びているわけです。いい加減に懲りねばなりません。強い者が弱い者を屠って当然などという獣のような思想を人間社会に持ち込んではいけないのです。学ばねばなりません。


 ウクライナの人々と、この戦争に反対するロシアの人々に連帯します。



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