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【感想】水谷晨 個展・東日本大震災追悼コンサート

執筆者の写真: Satoshi EnomotoSatoshi Enomoto

 僕自身には評論を書けるほどの能は無いので、単に感想レベルのことを書いていきたいと思います。ただ、今回はスタッフとしても関わっておりまして、その視点から見えたこともあると思っています。


 実は、僕は最初の企画段階から関わっていたわけではありません。企画が既に立ち上がった状態で遅れて呼ばれたのでした。当初こそ広報の手伝いという名目でしたが、結局は動画編集や会場スタッフまでこなすことになりました。広報に関してはこれまた自分の中でも考えることがありまして、それはまた別の記事で書きたいと思います。



 

 此度のコンサートは、友人でもある作曲家、水谷晨さんの初の個展でした。彼と知り合ったのは学生時代にまで遡りまして、今回演奏されたプログラムのいくつかの曲についてはその存在を前々から知ってはいました。当日はプログラムに大幅な変更が加えられましたが、その順に従って書いていきたいと思います。


 管楽四重奏による《Fanfara e Allegro》は今回のコンサートの冒頭を飾る作品でした。明快な調性をもっているとは紹介されましたが、そのテイストはやはり水谷さんの好みが反映されているように思えました。すなわちルドルフ・エッシャー(1912-1980)の音楽の色彩感であります。彼にルドルフ・エッシャーの《ソナチネ》を薦められたことがありましたが、それに似た明るさをもっていたように感じます。


 ソプラノとピアノのための歌曲《Lady Banks Rose(木香薔薇)》は改訂版の舞台初演でした…という、解説にも書かれていない話を何故僕が知っているかと言えば、初版の舞台初演のピアノは僕が務めたからです。初版の初演からほどなくして改訂は行われたと記憶していまして、CDに収録されたのも改訂版の方だったでしょう。歌は息の長いメロディとして歌われ、音楽の推進力は専らピアノの華麗なパッセージに任されます。和音の構造もシンプルなものばかりではありませんが、ジャズなどに親しみのある方にとっては決して不可解なものではないでしょう。


 今回のコンサートは当初、前半に調性作品、後半に前衛作品という構成のプログラムでした。変更によって前半に入ってきたのが、ヴィオラ・ソロのための《Flamenco Sketches》でした。タイトルからすれば「フラメンコ…スペイン…?」などと想像しますが、民族主義的な色はさほど無く、どちらかと言えばリズム書法や奏法を要素として借りてきたように聴こえました。リハーサルの時に、弓で弦の上を円運動する奏法に拘っていたのを覚えていましたが、なるほど、ヴィオラからありとあらゆる音色が発せられていたのは印象的でありました。田中玲さんの熱演にも拍手を送りたいです。


 長めの休憩を挟んで後半の最初の曲は、現時点で水谷晨の代表作と言えるであろう、弦楽四重奏のための《A Study of Difference and Repetition》でした。イタリアで行われた2018年チッタ・ディ・ウディーネ国際作曲コンクールで1位に入賞した作品であり、僕も既に何度か録音を聴いていました。反復の中から浮かび上がる高次倍音の美しさを堪能した方も多かったのではないでしょうか。彼のことですから、ラドゥレスク(1942-2008)あたりからの影響もあるかもしれません。


 《Le Tombeau de Escher》は、告知していたフライヤーには載っていなかった作品です。本来は器楽のみの編成であり、朗読を入れたのは今回のみの版ということです。クラリネット/バス・クラリネット、ヴァイオリン、チェロという編成でありながら、今回のプログラムの中では最も激情が迸る作品であったかもしれません。ペンデレツキ(1933-2020)の《広島の犠牲者に捧ぐ哀歌》を想起した方も少なくないでしょう。楽器群があのけたたましい音量だったわけですから、朗読がマイク付きになったのは必然であったかもしれません。


 フルート・ソロのための《Indonesia 1965》は、1965年にインドネシアで起きた共産党員およびその支持者へのジェノサイドを題材に採った作品でした。水谷さんの政治性が反映されているとも言えるでしょう…とは言いつつも、個人的には実際の音楽に政治性を感じたというよりは、むしろある種のエスニック色を感じる節が所々にあったように思います。倍音などは森の木霊のようでした。壮絶な特殊奏法も一部ありましたが、奏者の森川明日香さんが水谷さんと綿密に打ち合わせをして良い形に持っていったように思います。非常にお見事でありました。


 最後の曲は、プトレマイオス朝エジプトで信仰された沈黙の神の名前を取った《Harpocrates》。音響に対置する静寂を味わえた方も多く、今回のコンサートで人気が高かったのはこの曲であったように見られます。メディアに残すための撮影の音が静寂時に聴こえてしまっていたことを残念がる声も一部から聞かれたようでした。《A Study of Difference and Repetition》と並べて再演を期待したいです。


 

 今回諸事情によってプログラムから外れてしまい、初演の機会を逃し続けている作品もあります。それらの作品についても舞台に乗る日が待たれます。古典的な《オランダ組曲》や《DSCHの名によるソナタ》もさることながら、ピアノという楽器の扱いについての水谷晨なりの解答としての《Piano Piece Ⅰ 》も日の目を見てほしいものです。


 学生時代に初めて出会った時には「作曲科だけど作曲してませ~ん」などと言っていた水谷晨さん。あくまでも、この個展はようやく立った一つの通過点に過ぎないのでしょう。本人はおろか、運営としてさえも暗中模索同然であったことは認めざるを得ません。ポジティヴにもネガティヴにも、得られたものはあったでしょう。これからまた水谷晨の音楽がどこへ向かってゆくのか、ぜひチェックしていただきたいと思います。彼の音楽は始まったばかりであります。



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