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【雑記】ストリートピアノとバズりたいピアニストたち

執筆者の写真: Satoshi EnomotoSatoshi Enomoto

更新日:2022年1月24日

 昨年の1月に品川駅ピアノ問題について書き、一部界隈から集中砲火を受けて凹んだわけですが、どうやらまた同じようなことが起きた模様。というか、空気は以前より悪化したのではとさえ思うところです。


 今回の問題はピアニストたちが個人的な動画撮影のために長時間ストリートピアノを占拠した事件です。

 ピアノに触りたい一般人は「ピアノを弾かせてください」とも言い出せず、指を咥えて立ち去るしかない。自分が弾くよりも上手い人たちが弾いた方が周りの空気も良くなるし、その動画がSNSやYouTubeを盛り上げてくれるかもしれない、自分がその邪魔をするわけにはいかない…そんなふうにさえ思っているかもしれない。

 そういうことを思いやることもなく、ピアニストの側が「弾かずに立ち去ったのは自身の判断だろう?」なんて言うのはあまりにも心無いように思われます。

 

 ピアニストたちがこぞってストリートピアノでこれ見よがしに腕自慢大会をやったり、動画を撮って広報に利用したりという行動を取ることによって、ピアニスト側にその気が無くとも一般の人たちを萎縮させている現状があるのではないかと日頃から感じていたところです。


 ちょっと言い方が悪いんですけども、ピアニストたち、自惚れてませんかね。


「バズる」という広報手段に多くの人が味を占め、ポツリポツリと承認欲求オバケが姿を現し始めたこの御時世に、タイミング良く(悪く)ストリートピアノというものが利用できるようになってしまったということが最大の不幸だと思われます。

 海外ではバズり文化になる以前からストリートピアノが存在したために、既に利用に関する良識が根付いていたからこそ、問題になるような状態に陥ることを免れているのでしょう。特定の人たちだけでなく誰でもピアノに触って和気藹々とするという話を聞いては羨ましくもなります。

 日本という国は近代化の際にも欧米諸国から色々なものを輸入して、表面的に近代国家の体裁を整えたのではなかったかと思いますが、どうやらストリートピアノも輸入した文化であることに変わりはないようで、人間自体の良識が追いつかねばそれはやはり表面的なものにすぎなくなりましょう。「他所は他所、うちはうち」という考え方で日本と海外は違うと主張するのは、だいぶ虫が良すぎると思われます。



 

 提言。

・ストリートピアノという場における配慮や良識が根付くまで、録音や撮影を一切禁止とすること。

・もちろんSNSやYouTubeへのアップも不可(撮ってないはずなのだからね!)

・利用者が口コミで広めることはむしろ推奨される。

・設置者による広報やストリートコンサート企画は設置者がその権限によって行う。

・どうしてもストリートピアノを個人の広報に利用したい場合、設置者が有料にて許可を出す。お金はピアノのメンテナンスに使う。


 これらはストリートピアノをローカルなものにする考え方であります。関内のピアノ、馬車道のピアノ、横須賀中央のピアノなど、それぞれの雰囲気やそこに集う人々がその地域独自のものであることを志向します。ピアノをネットというグローバルな舞台からローカルな人々の手元に引き寄せることになります。何より、これによって外部のピアニストたちの手に因らない地域振興・地元振興が可能になると思われます。

 ストリートピアノは街頭に置かれたライヴステージ上の楽器にあらず、集う人々が平等に音楽を分かち合う“場”そのものでありましょう。

 

 ピアニストたちはどのように振る舞えば良いのか?


 僕が親交のあるピアニストたちには、ストリートピアノがネットで盛り上がっていることに対して冷淡だったり、苦く思っている人も多いです。彼らは自ら進んでストリートピアノを弾いたりしません。というのも、自分がピアノを弾くことで、一般の人々がピアノを弾く機会を少しでも奪ってしまったり、また弾きたいという意志を萎縮させてしまったりすることを気にかけているからです。自分たちがプロとして見られていることを“そういう面”においても自覚しているわけです。

「ストリートピアノはみんなが弾いてよいピアノなのに、プロは弾いてはならないと言うのか!」と反発するピアニストもいらっしゃることでしょう。1年前にも、ピアニストたちやそのファンたちにそう言われました。



そうです。


「みんなが弾けるようにするためにこそプロが遠慮しろ」

と僕は言っています。



 プロがストリートピアノを弾く時というのはいくつかの限られた状況においてで充分だと思います。


①設置者の企画した、ストリートピアノを使った街頭コンサート

 やはりたまには街の人たちも「凄い演奏」に遭遇してみたいものでしょう。それは仕組まれたもので良いと思います。


②誰も弾いていない時

「誰も弾いていない」という状況に、一般の人たちは「触っちゃいけないのかな…?」と不安になる場合もあると思います。所謂ファーストペンギン役を買って出るのは度胸のある人の仕事でしょう。「自由に弾いていいんだよ!」と示したらすぐに席を譲りましょう。僕は今や専らこの立ち位置です。


③一緒に弾いてほしいと頼まれた時

 周りに他人の耳があるから一人でピアノに触るのが畏れ多いという人もいるでしょう。そんなときは即興連弾の相手を買って出てあげればいいのです。

 僕が最近友人のオープンマイクでやっていることなのですが、“連弾を組んだ相手が出鱈目に弾くのに対して、自分が上手く立ち回って即興的に曲っぽく仕立て上げる”という技があります。これを使えば、一切ピアノを弾いたことがない人でもピアノによる即興演奏ができます。「全く弾けないんだけど弾いた気になってみたい!」という人がいたら僕はこの技で手伝います。


 ピアニストたちはそろそろストリートピアノの社会的意義を考えてもいいと思うのです。ストリートピアノは、全ての人が平等にピアノに触れる機会を提供するためのものです。思い出してください、学校の音楽室にあるピアノを休み時間や放課後に弾く生徒がいませんでしたか? そういう役割のものであると僕は信じています。


 決して演奏スキルのある限られた音楽家だけが自我を撒き散らし、聴衆を熱狂させてファンへ変貌させるための装置ではないのです。そのような意義を心に留めないピアニストたちが音楽に向き合う中で学んできたものは、演奏スキルだけだったということでしょうか。それとも「俺様の演奏が聴けるお前たちは幸福だなぁ! 幸福だろう?」と考える確信犯的アイドルなのでしょうか。そのあたりは僕にとっては他人の感覚であるからして、確かなことは言えません。



 

 今回の問題には擁護も非難も、様々な意見が噴出しています(僕の観測範囲内では、日頃からストリートピアノで活動している人には擁護側が多そうですが)。この事件に言及したことで、僕も無傷では済まないような気もするところです。が、これは音楽社会における立ち振舞いを再考する機会でもあります。自らの活動のために周囲を省みない音楽家たちを白い目で見る人たちが現れ始めていることに、そろそろ気付いてもよい頃合いです。


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