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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【分析メモ】半音階の表現力


 半音ずつ上行する/下行するという半音階進行は、西洋音楽史上の音楽表現において強烈な効果を何度も発揮してきました。一般にクラシックの聴衆が半音階を耳にする機会は、半音階が特に多用されるようになった19世紀ロマン派の音楽においてのものが多いでしょう。その時代にまで来ると半音階はありふれてしまい、相対的に特殊性が減じていくようにも思いますが。


 

 16世紀のルネサンス時代の後期に入ると、マレンツィオやジェズアルドといったマドリガーレ(イタリア語の多声声楽曲)の作曲家たちが半音階を用いるようになります。ヘクサコルドでソルフェージュしていたはずのこの時代に一体どのようにして以下のような曲をソルフェージュしたのかが気になるところではあります。


 もはや調すら確定しかねるような半音階進行をもつジェズアルドの《私は死んでゆく》を見てみましょう。不貞絶許マンとしての強烈なエピソードばかりが独り歩きするジェズアルドですが、死や悲しみといった表現を斬新な半音階で表そうとする試みは、その激情ぶりにも起因するのかもしれません。


 ジェズアルドが再発見・再評価されるのは20世紀に入ってからとも聞きますが、彼の半音階は一つの強烈なモデルにもなったでしょう。



 また、このように「半音階に言葉・感情を託す」という試みは、音楽的調和を重んじたルネサンス時代から感情表現を重んじたバロック時代への移り変わりをも投影していると言えるかもしれません。


 そのルネサンスからバロックへの過渡期を生きたモンテヴェルディにも、半音階表現を見ることができます。半音を接触させたマドリガーレを書いたせいでモンテヴェルディが理論家から凸られた話は別の記事に書きましたが、彼は迷うことなく言葉の表現を優先しました。


 さて、モンテヴェルディがヴェネツィアで書いた最後のオペラである『ポッペーアの戴冠』から、ネローネからの命令によって自害しようとするセネカを引き留める仲間たちの「死ぬなセネカ」という重唱です。セネカへの懇願が半音階上行によって描かれます。


 上行音型とだけ考えるとポジティヴなイメージを持ちそうですが、半音階によることで上からの重圧に抗って上行しながら「死ぬな」と繰り返しているように聴こえてきます。



 バロック時代における発明の一つにラメント・バスを挙げることができるでしょう。悲しみや苦しみを表現するために、バスで完全4度音程間(ヘクサコルドで言うラ↘️ミ)を半音階下行するというものです。単純にラソファミと下行するだけでもネガティヴな空気を持たせることはできますし、ラソファミにそのような意味が託されていると考えられる音楽もありますが、それが半音階になることによってさらに効果が上がります。


 バロック時代のオラトリオの最初期の作曲家の一人であるカリッシミの『イェフタ』には、30分に満たない演奏時間中に合計4回のラメント・バスが出現します。


 最初の2回は、イスラエルびとに破れたアンモンびとの嘆きの描写です。主人公はあくまでイスラエル側なのですが、カリッシミはイスラエルの勝利の描写だけではなく、アンモンの立場での敗北も描いたのでした。



 残る2回は、「家に帰って最初に出迎えた者を燔祭(生贄)に捧げる」と神に誓いを立てたイェフタをイェフタの一人娘が出迎えてしまったことから起こる2人の対話に登場します。イェフタの娘は進んで自らを生贄に捧げるように言いますが、決して軽く決心したものではないはずです。その低音にはラメント・バスがあるのです。


 ただの言葉や台詞だけでなく音楽を付けるメリットというものはこのような点にもあります。即ち、独白の裏に存在する心情を音楽によって同時に描写できるということです。


 この記事からは脱線した例になりますが、映画『君の名は。』で瀧が奥寺先輩とデートをする場面で背景に流れている音楽が後で《三葉のテーマ》として出てくるものと同じメロディであり、デート中にずっと三葉のことが引っ掛かっていることを暗示するという用例もあります。



 カリッシミからさらにもう少し時代が下ったイングランドの作曲家パーセルは、演劇とオペラの間に位置する様式であるセミ・オペラをいくつか遺していますが、その中で唯一の厳密なオペラが『ディドとエネアス』です。トロイの王子エネアスとカルタゴの女王ディドの行き違いと悲恋の物語ですが、エネアスと別れたディドが自死を選んで歌う最後のアリア《私が地に横たえられた時》ではラメント・バスが常に繰り返されます。悲しみが延々と廻ってしまう心情が立ち上ることになります。



 

 さらに時代は下って古典派へ。バロック音楽の揺り戻しか、巨視的にはどちらかというと均整のとれた形式が表現の枠組みを司る時期になったように見えるでしょう。明るく軽い作品の方が好まれてはいましたし、ベートーヴェンはさておいても、ハイドンやモーツァルトはそのようなリクエストに応えた音楽を多く作っていました。


 ところがそんなモーツァルトやハイドンでさえも、時には恐ろしくドラマティックな作品を書いています。


 ソナタなどに比べると演奏頻度は少ないであろうモーツァルトの《ロンド》KV511は、彼にしては珍しいほどに直接的に陰鬱な音楽です。作曲されたのは1787年の3月のこと。同年の5月には父レオポルトが没することになりますが、その体調が芳しくないことはモーツァルトも聞いていたようで、不安を手紙に書いています。また遡って同年の1月には親友であるハッツフェルト伯爵が31歳の若さで亡くなっています。


 ロンドのテーマは引き摺るような半音階を含んでいます。決して大袈裟で爆発的な表現ではないものの、この必要最低限の音のみを用いて深いmestoな音楽を作ってしまうのは流石といったところでしょう。



 死が影を落とすピアノ作品はハイドンにもあります。プライヴェートな逸話を作品解釈に軽く持ち込むのはいかがなものか…という考えはありつつも、その情感が音楽に上手く填まり、説得力をもってしまうということはあり得るものです。演奏者が勝手に考えて付けるオリジナルストーリーよりはまだ現実味があるでしょう。


 ハイドンの《アンダンテと変奏曲》もまた、ハイドンの友人たちの死と結び付けられて考えられる作品です。僕はこの作品を初めて譜読みした時には、変奏が終わった後に来る終結部において大きな衝撃を受けたことを覚えています。


 この記事ではここまでに旋律における半音階を主に取り上げてきました。ハイドンは和音ごと半音階移動をしてしまいます。



 行き先が曖昧になるこの半音階移動は、まるで焦点の定まらないままフラフラとしてしまっている状態であるようにも聴こえます。


 この作品に結び付けられる一人は、エステルハージ家での職務を終えたハイドンを快くヴィーンの社交界に招き入れた貴族のゲンツィンガー夫人。この曲が書かれた1793年に36歳で亡くなっています。


 そしてもう一人、真偽はより曖昧ながらも、親友モーツァルトその人の死が関係しているのではないかという説もあります。ハイドンは興行に呼ばれ、1791年の1月にロンドンへと旅立ちます。高齢のハイドンを心配しつつ、モーツァルトもこの旅立ちを見送りました。このハイドンの第1回イギリス滞在は1年半に及ぶことになります。作曲家の生没年に少し詳しい方ならば、ハイドンがイギリスに滞在している間にヴィーンでモーツァルトが35歳の若さで没したことに気付いたでしょうか。


 具体的な相手はわからず、そもそも死を想定しているとも限りはしないこの《アンダンテと変奏曲》ですが、半音階にはそのような強烈な心情を託し得るということだけは言えるでしょう。


 

 19世紀ロマン派に入って以降は、もう殆ど半音階は当然の手法となっていきました。僕がピアノで半音階を弾くための運指を習ったのはもはや小学生の時です。広く普及するということは一見ポジティヴな現象に見えつつも、一方では特別な意味を失い始めるということにも繋がっています。


 むしろ却って今のやり方がどのようなものであるかということは、目の前のことを観察すれば掴める面もあるでしょう。一方で、一般化に伴って失われた意味は、どうしても遡らなければ見えてこないこともあるでしょう。


 歴史上の作曲家たちが駆使した半音階の表現力。その力を問い直してみた先には、その後の音楽も異なった聴こえ方をするかもしれません。

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