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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【感想】sync-async:存在と存在との関係性


 5/23(月)に大倉山記念館にて行われた、コントラバス奏者 太田早紀さんのコンサートシリーズ『sync-async』Chapter 2 を聴きに行ってきました。



 コントラバスと琵琶、ソプラノ、フルートそれぞれのための二重奏のための作品を主とした現代音楽プログラムでした。


 僕は評論ぶるほどのことはできないので、個人的に面白いと思ったところをピックアップする形で書かせていただきたいと思います。



 

 一番面白いと思った作品は河西祐季さんの《A Folk Song》でした。特に民謡を題材にしたなどというわけではなく、むしろソプラノが弾くアナログシンセのノイズを人間の近くに存在する根源的なものと見立てた「folk」です。


 旋律楽器の二重奏の作品というと、どうしても物理的事情から音同士の関連性がミクロ志向になりやすいように思われます。やはりそれは同時に発音できる音の数が限られてしまうことに要因があるでしょう。2つの楽器間の音程やリズムの絡み合いのコンセプトに終始してしまいがちになるわけです。


 河西さんの《A Folk Song》では、アナログシンセ(とそのノイズ)は、コントラバスとソプラノに次ぐ第三の楽器というよりは、それを取り巻く環境として機能しました。同じ環境の中で、コントラバスとソプラノが各々環境に沿ってみたり、あるいは問いかけてみたり、さらには環境の中でお互いに音楽を引き継いだりしていたのでした。


 二重奏のお互いの関係というミクロ視点ではなく、それを支える環境というマクロな視点が用意されていたことがこの作品の面白いポイントであったと思います。


 

 後閑綾香さんの《Labeling for Contrabass and Body》も面白い作品でした。こちらはコントラバスとフルートのための作品ですが、厳密にはコントラバス奏者とフルート奏者のための作品であったでしょう。音同士の関係性ではなく、奏者同士の関連性が基盤にあったということです(結果として音同士の関係性は存在する)。


 コントラバスの周期的な弓の動きに連動して、動作を伴うフルートの息が聴こえてくるところから音楽は始まり、その繰り返しの中でそれぞれのモーションが徐々に変化していきます。この部分をドローン系のミニマルミュージックの一種として聴いた人もいたかもしれません。


 二重奏のための作品ではありつつも、この作品における二重奏は実体(コントラバス)とその影(フルート)のそれと受け止められるでしょう。最初は一体となって動いていますが、徐々に影が独立を始め、その自立を獲得して二つの像の関係を成立させます。


 自身と他者との対話ではなく、自身とその影、あるいは自身の軌跡との関係を顕現させるという意味で、二重奏という編成を意外な方向から利用した音楽であったと感じました。


 

 二重奏という編成は、どうしても2つの楽器間における対照あるいは合致にスポットが当たりがちになります。その結果として、2つの楽器から鳴る音の間における関係ばかりを考えてしまいます。


 それ自体は悪いことではありませんが、今回の『sync-async』公演では、二重奏について更なる関係を築くアイデアがあるということが提示されていたと思います。そしてそれは音同士というよりは役同士、奏者同士、存在同士という視点まで拡大されたものであったでしょう。


 主催の太田さんが言った通り、この公演は「演奏者と聴衆」との関係も念頭に入っています。これは聴き手それぞれの答えが出たことでしょう。それはこの公演に限らず、「演奏会というイベントを行う」ということの意義に繋がるはずです。



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