【社会】"私の戦後80年宣言"
- Satoshi Enomoto

- 8月15日
- 読了時間: 8分
日本共産党の田村智子委員長が「皆それぞれの『私の戦後80年宣言』を考えてみてはどうか」という旨をInstagramの配信で発信していたのを見たので、それに対する考えも併せて自分なりの『私の戦後80年宣言』を書いてみる次第です。
事の発端は「石破首相が戦後80年談話を見送るかもしれない」という報道がなされたことでした。結局どうなるかは確定でない情報ではあったものの、先の大戦の風化や歴史改竄を見過ごすことになってはならないでしょう。
終戦からの節目の度にその時の首相が談話を発出することには、それが首相によるものであるということにおいて大きな意義があると思いますが、しかし首相の立場ではない国民一人一人が「戦後n年」について思いを馳せ考えを述べることにも意義はあるでしょう。何かを自分の言葉で述べるからには色々なことも資料にあたって調べねばなりませんし、むしろこの「戦後80年」について述べること・書くことを通して意識が整理されることもあるでしょう。
僕は先の大戦を直接経験していません。歴史として学ぶことによってしか、その実態を知識として知ることはできないでしょう。
先の大戦を実際に経験した自分の身近な人々と言えば、90代も半ばに差し掛からんとする自分の祖母か、あるいは平均年齢90歳の合唱団のおじいちゃんおばあちゃんくらいです。母方の祖父母は既に亡くなって久しいです。去年亡くなった祖父は直接戦場に行くことは免れました。曾祖父に関しては父方も母方も戦場へ行き、母方の曾祖父(祖母の父)が戦死したことだけは知っています。今や高齢者層でさえも先の大戦を直接体験した人は少なくなってきていると聞きますが、実感としても確かにその通りであるように感じます。
一方、偶然ではあるものの、僕自身が主に研究対象に据えている20世紀の音楽家たちの殆どは大戦の影響から逃れられませんでした。シェーンベルクやバルトーク他、多くの音楽家がヨーロッパの外へ亡命し、その反対側でヴェーベルンやカゼッラらはナチズム・ファシズムに接近しました。いずれの側にせよ、程度の差はあれど各々の人生は大きく狂わされたことは明らかでした。親族がナチスと関わったヴェーベルンは終戦直後に射殺されるという非業の死を遂げましたから、決して権力者の信奉者が無事であったわけではありません。
ヨーロッパばかりの話ではありません。日本国内でも多くの作曲家が戦争に協力し、国家を礼讃する音楽を作りました。当時まだ音楽家になっていなかった戦後世代の音楽家たちもまた、青年ながら子供ながらに凄絶な体験をしたことを述べています。三善晃は機銃掃射によって友人が肉塊になり果てるのを見ました。
大戦が終結し、終戦後にも生き延びた音楽家たちは「終戦後の世界」に何を遺すことができるかを考えたでしょう。シェーンベルクはホロコーストを糾弾する《ワルシャワの生き残り》を、ファシズムに同調したことを恥じたカゼッラは《荘厳ミサ曲》を書きました。
また日本人作曲家たちの創作も大戦に対して意識的であったでしょう。戦時中に皇紀2600年に寄せて《交響曲第1番》を書いた橋本國彦は、今度は日本国憲法の発布を祝う《交響曲第2番》を書きました。他にも三善晃の反戦三部作や林光の《原爆小景》など、合唱を伴う作品には特にその傾向が見られるでしょう。その流れは今なお新しく作られる作品に受け継がれていると思います。
社会的・政治的な題材を作品に含むことを芸術的堕落と見做す価値観が存在することは承知しています。そのような価値観は今に始まったものではありませんし、先述の音楽家たちが活動していた時代にもそのように言われていたかもしれません。
しかしそれでも、音楽家たちは戦争の過ちと惨禍を遺し伝え、未来の平和を願い祈るための創作を行いました。かつて画家のゴヤはフランス軍がマドリード市民を虐殺する様子を絵画に残し、後世に伝えました。大戦後の音楽家ひいては芸術家たちが行ったのはそれと同じことです。僕たちの先人たる芸術家たちは明らかに、過ちを過ちとして、惨禍を惨禍として伝え、未来に期待と希望を託したと思います。彼ら彼女らは決して社会と無関係に生きていたわけではないのです。
この意味において戦争に対する反省の風化はむしろ芸術の敗北であるとさえ僕は考えたいと思います。もしも戦争が無いまま済んでいたならば、これらの作品は作られずに済んだのでしょう。しかし現実に戦争は起こり、戦争が起きた後の世界を僕たちは生きています。そして、あろうことか戦争は続いています。
年月が経って、いよいよ戦争に対する反省の風化は顕著になってきていると感じます。戦争を反省することが「自虐史観」などという奇怪な言葉で呼ばれ、「民族の誇りを毀損するもの」であると吹聴され、倫理や歴史や科学をも否定する反知性主義の台頭が見られる現状は強く警戒されるべきでしょう。これは恐らく日本だけに限った話ではなく、世界中で同時多発的に起きている現象であると思われます。
自分という個人の誇りではなく「民族の誇り」や「国家の誇り」などというものに縋る点に既に現代の病理は現れているでしょう。
インターネット、SNSが隆盛する現状において、他人の活躍や自慢がありありと見え、本来感じる必要も無い劣等感に苛まれる人は多いのでしょう。隣の芝が青く見える環境は助長され、それに対抗する形で如何に自分の芝が青いかを見せびらかすことに人々は躍起となっています。
自身を大きく見せようとする欲望はもはや本人が自力で獲得できる能力や名誉を大きく超え、自身よりも規模の大きい括りでの名誉を欲し、遂には所属集団たる「民族」や「国家」を称揚するに至ります。戦争犯罪という現実は自分たちの名誉のために邪魔であるからこそ歴史改竄に取り組むわけです。本人たちは自身が輝いていると思い込んでいるでしょうが、その姿は民族や国家という集団幻想の構成部品となり果てたものに見えるということをはっきり言っておきましょう。
「正義の反対はもう一つの正義だ」などと、どこぞの漫画か何かで見たかもしれない弁を弄して、あらゆる物事を相対化しては「物事を客観視できている自分」に陶酔して自慰をしているうちに、ついに「正義」とは何か、「善」とは何か、「よい生き方」とは何か、「よい社会」とは何かといったことを悩み考えることは放棄されたのではないでしょうか。何でもかんでも「どっちもどっち」と考える愚鈍な相対化は地球平面説を真面目に信じるような末路をもたらすでしょう。南京事件の存在自体を否定する運動もまたこのような怠惰な考えに支えられていると考えられます。
戦争が世界から途切れて無くならないことを挙げて「戦争は無くならないものだからあっても仕方がない」などと宣う諦めや開き直りに与することを到底良いとは思えません。確かに現状なお世界中で戦争は続いています。しかしその事実は「戦争の無い未来」をこれから少しずつでも目指さない理由にはなりません。戦争が一つも無い世界、全ての人がいがみ合うこと無く同じ人類として手を取り合える世界が本当に実現されるのが、たとえ100年後であろうと500年後であろうと1000年後であろうと、今からそれを願い求め続ける必要はあると思います。脳内が焼け野原であるよりはお花畑である方が、生命感があることは明らかでしょう。
歴史修正主義者(自慰史観論者)も差別主義者も、いずれにしても歴史や科学や人類に対する加害者でしかありません。一方で彼ら彼女らは自身を被害者であると信じ込んでいるからこそ、心から被害者として振舞うのでしょう。しかし歴史修正にせよ差別にせよ、彼ら彼女らに何ら向上をもたらすことは無いと断言できるでしょう。相対的な優越と絶対的な向上は異なります。劣等感を払拭する方法は前者ではなく後者によってのものであってほしいと思います。
僕は音楽家の一人として芸術家の一人として、人々に人間を取り戻すことを目指さねばならないと考えるに至っています。音楽をすることによって自分自身が称賛や名誉を得ることにはもはや何の価値も無いでしょう。自分が音楽を人々に届けることによって、あるいは人々が音楽に向かうことを自分が手伝うことによって、人々が音楽によって人間としての自立や自己承認、自己肯定を打ち立て、「人間として善く生きるとはどのようなことか」を考えられるようにしなければならないでしょう。間違ってもその魂を民族や国家や権力者に売り渡さぬように、その魂を自分のものとして、自分にも他者にも尽くせるように。
そのために僕は音楽のみならず様々な物事をこれからも学びましょう。芸術、科学、社会、哲学、他にもあらゆるものを。これらは戦争に翻弄された人々が(あるいは現在進行形で翻弄されている人々が)どんなに欲しくても享受できなかったものです。これらを投げ捨てようとする反知性主義に僕は抵抗を示します。陰謀論などに縋って「目を覚ます」ことを拒絶し、知性に拠って「夢を見て」、その実現を希求します。現状変更のために武力を行使することに抗議し、武力に傷付けられるあらゆる人々に連帯します。平和を希求する人類に連帯します。
これをもって、榎本智史の極めて個人的な戦後80年の宣言としたいと思います。







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