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【名曲紹介・対訳】ブレヒト『統一戦線の歌』:団結してナチズムに立ち向かうための歌

  • 執筆者の写真: Satoshi Enomoto
    Satoshi Enomoto
  • 8月13日
  • 読了時間: 7分

更新日:9月17日

Das Einheitsfrontlied

統一戦線の歌


詩 Bertolt Brecht (1898-1956)

曲 Hanns Eisler (1898-1962)



Und weil der Mensch ein Mensch ist,

人間は人間であるが故に

drum braucht er was zum Essen, bitte sehr.

食べるものがとても必要だ

Es macht ihn ein Geschwätz nicht satt,

演説の言葉で腹は満たされない

das schafft kein Essen her.

そんなものは食べるものを生み出さない


(リフレイン)

Drum links, zwei, drei!

ならば左、2、3!

Drum links, zwei, drei!

ならば左、2、3!

Wo dein Platz, Genosse ist!

君の居場所だ、同志よ!

Reih’ dich ein in die Arbeitereinheitsfront,

労働者統一戦線へ加わって立ちたまえ

weil du auch ein Arbeiter bist!

君もまた一人の労働者であるのだから!



Und weil der Mensch ein Mensch ist,

人間は人間であるが故に

drum braucht er auch Kleider und Schuh.

着る服と履く靴も必要だ

Es macht ihn ein Geschwätz nicht warm,

演説の言葉で暖は取れない

und auch kein Trommeln dazu.

勇ましい太鼓にもそれはできない


(リフレイン)



Und weil der Mensch ein Mensch ist,

人間は人間であるが故に

drum hat er Stiefel im Gesicht nicht gern.

ブーツで顔を踏まれるのは御免だ

Er will unter sich keinen Sklaven sehn,

自分の下に奴隷がいることを望まず

und über sich keinen Herrn.

そして自分の上に主人がいることも望まない


(リフレイン)



Und weil der Prolet ein Prolet ist,

労働者は労働者であるが故に

drum wird ihn kein anderer befrein.

他の誰からも自由を与えられることはない

Es kann die Befreiung der Arbeiter nur

労働者の解放を可能にするのは

das Werk der Arbeiter sein.

労働者自身の力だけなのだ


(リフレイン)


アイスラーとブレヒト
アイスラーとブレヒト

 1933年1月末、右傾化する大衆の支持を確保するために、ドイツ(ヴァイマル共和政)のヒンデンブルク大統領はナチ党のヒトラーを首相に指名し、ナチ党・保守派連立内閣が成立しました。閣内でナチ党は少数派でありながらも、ヒトラーの要求は次々に通るようになります。


 総選挙実施中の同年2月の国会議事堂放火事件を、ナチスはドイツ共産党の企てと断定し、憲法の基本権を停止する緊急令を布告して共産党員を多数拘束しました。総選挙の結果自体はナチ党が単独過半数を得るものではありませんでしたが、国会が招集されると、ヒトラーは国会の立法権を政府に委ねる全権委任法を成立させ、他政党を解散に追い込んで遂に一党独裁体制を手に入れます。


 既存の労働組合はナチ組織に統合され、言論機関は新設された宣伝相の統制下に置かれ、社会主義者などの反対派は突撃隊(SA)・親衛隊(SS)によって拘禁されました。このあたりの経過を読んだだけでも、『ニーメラーの警句』を思い浮かべた方は多いかもしれません。


 ラジオという当時のニューメディアを存分に利用し、部分的に社会主義的主張も盛り込んで大衆運動的に宣伝を展開したナチ党は、それらをもってしても決して選挙で多数派になったわけではありませんでしたが、権力に関わったことによって可能となったあの手この手を駆使して反対派を弾圧していったのでありました。


 何はともあれ、ドイツ社会民主党もドイツ共産党も活動を禁止されました。社会民主党と共産党は左派同士でも敵対関係にあったのですが、ナチズムに立ち向かうためには喧嘩をしている場合ではないことが人々の目にも明らかでした。社会民主主義者と共産主義者による統一戦線が必要でした。



 《統一戦線の歌》は1934年に書かれ、1935年に初演されました。作詞は『三文オペラ』『イエスマン、ノーマン』『四川の善人』などの演劇で知られるベルトルト・ブレヒト、作曲は元シェーンベルク門下で(後に離脱)《ドイツ交響曲》に代表される反ファシズムを掲げた創作を展開しつつ映画音楽などにも関わったハンス・アイスラーの手によるものです。この二人に制作を依頼したのは一緒に仕事をしていた劇場監督のエルヴィン・ピスカトールです。


 1937年には俳優・歌手であるエルンスト・ブッシュがレコーディングしました。この歌はドイツ国外で流行し(社会民主党も共産党も禁止されていますので…)、特にスペイン内戦時に義勇兵によって歌われました。ドイツ語のみならず世界各国の言語に訳されており、スペイン語や英語、フランス語、イタリア語にすら留まらず、韓国語版、セルビア語版、スウェーデン語版、フィンランド語版、カタルーニャ語版まで作られていることが手元でも観測されています。


 さて、歌詞の内容を見ていきましょう。


 1番と2番では「人間は人間であるが故に」どのようであるかということを主軸に主張しています。食事も服も靴も人間にとって重要なものです。恐慌に喘いでいた当時の人々が尚更必要としていたものでしょう。


 Geschwätzは「お喋り」「無駄話」と訳される言葉ですが、ブレヒトとしては姿勢だけは勇ましいナチ党の演説を指していると考えられます。確かに民族主義塗れの演説は貧困で自信を失った人々の心を陶酔させるには充分であったでしょう。しかしその演説自体は人々の空腹を満たすこともできなければ、暖を取ってくれることも無いのです。


 「だから左派に団結せよ!」とブレヒトは呼びかけるわけですが、その際にこの Arbeitereinheitsfront 労働者統一戦線のことを dein Platz「君の場所」であると言います。ナチ党の下ではない、しかし社会民主党も共産党も活動を禁止されたその時に残った居場所こそが統一戦線であると。


 3番の歌詞では人間の平等を説きます。誰かの奴隷になることを望まないということは多くの人が賛同するところでしょう。しかし意見が分かれてしまうのはその次です。「誰かの奴隷になること」を望まないのと同じように、「誰かを奴隷として扱うこと」についても拒絶することができる人間がどれほどいるでしょうか。自分が虐げられることは御免でも、他人を虐げることに対しては抵抗や躊躇を覚えることができますでしょうか。むしろ積極的に他者の上に立ってブーツで相手の顔を踏みつける側になりたい人々が増えているように感じるところです。


 4番では der Mensch「人間」が der Prolet「労働者」に変わり、労働者の解放を勝ち取ることについて歌われます。ここでは自己責任論のように「誰にも頼らず自分の力でやれ」と言っているわけではないと思われます。ナチ党のような権力が仕事をくれるだろうという媚びた考えへの拒否を呼びかけるものではないでしょうか。ナチ党はその排外主義政策によって、確かに反抗的でないドイツ人に限定して仕事を回復させ、「ドイツ民族の誇り」なるものを与えたでしょう。ブレヒトたちはそんなものは欲しくないわけです。


 アイスラーはこの歌詞に行進曲風の音楽を付けました。リフレインの口調がそれを感じさせるものであったからと推察できます。メロディについても、音楽教育を殆ど受けていない労働者たちでも歌えるように有節形式のシンプルなものとなっています。戦後の1948年になってアイスラーは、その行進曲味を和らげるためか、流麗なオーケストラアレンジを施しました。


 元々のアイスラーはシェーンベルク門下で十二音音楽を書いていた作曲家で、そちらの作風の作品もなかなかにパワフルで面白いのですが、彼は当初から社会主義者でしたし、労働者たちから乖離した選民的な音楽性をアイスラーは良しとしなかったのでしょう(後年に実は十二音技法を再び用いたこともある)。この《統一戦線の歌》が最もシンプルなものに位置する作品かもしれません。


 《統一戦線の歌》はそのメロディのキャッチーさもあってか、ギター弾き語りやバンドネオン弾き語りなどで演奏されている動画をもすぐに見つけることができることでしょう。クラシックの作曲家が書いた作品ではありつつも、政治的意図を伝えることこそを目的として、ジャンルを超えて演奏されている作品であると言えるでしょう。


 ブレヒトとアイスラーの協同創作はブレヒトが亡くなるまで続きました。共にナチズムに抵抗した戦友を失ったアイスラーのショックはあまりに大きく、晩年はアルコール依存症に陥ったことによってその死を早めることとなりました。また彼らが亡命先のアメリカの赤狩りに遭って舞い戻った東ドイツは彼らの理想とはもはや異なるものであったかもしれません。


 それでも、彼らがかつて共にナチズムに抵抗し、また人々にナチズムへの抵抗と団結を呼びかけたこの《統一戦線の歌》は、今なお反ナチズムの御旗として、現代の人々によって歌われているのです。

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