【雑記】「死なない程度での人間の飼い方の実験でもしてんじゃねぇの?」:《娑婆堕罵-Shabadaba-》とマルクスを繋ぐ

TVを持っていないのでドラマ『ポリティカルパン』は観ていませんが、RADWIMPSの《娑婆堕罵 -Shabadaba-》は聴きました。何を隠そう、元からWIMPERではあるのです。時々の問題には否を唱えましたが。
この《娑婆堕罵 -Shabadaba-》が、政治を題材にしたドラマのタイアップ曲であることからそのような内容の作品になったという面を考慮しつつ、野田洋次郎さんの真の意図ははかりかねますが、この歌のテキストからどのようなことを受け取り、何を想起したかを聴き手が書き残しておくことも音楽受容の在り方の一つでしょう。
歌詞考察記事を書くつもりはありません。野田洋次郎が何を考えているかというよりは、彼の意図とは無関係に、彼の書いたテキストがどのように他のものと繋がるかを書くことがこの記事の主旨です。
この曲のサビに「死なない程度での人間の飼い方の実験でもしてんじゃねぇの?」という言葉があります。これは不満を大いに含む疑問、あるいは疑念でしょう。曲中で3回繰り返されるこの疑念は、恐らく現代社会においてはイデオロギーの別を問わず、人々の中に覚えのある感覚であるのではないでしょうか。
安くない税金や保険料その他が徴収される割にはそれらが還元されている感覚は少なく、30年もの間で労働賃金は殆ど上がらないのに物価高は進みました(実質賃金のマイナス)。防災において政府が国民に自助を求める声明を発したのはついこの間のことです。
一方で税収は6年連続で過去最高を記録し、またこの30年で大企業の純利益は16倍、株主配当は10倍に増えたと言います。

なんで純利益も株主配当も内部留保も増えたのに労働者の賃金だけ出ないんだよと思うのは、労働者からすれば当然であろうと感じます。
ただでさえ増えない給与賃金から税金や保険料がどんどん出て行く状況において、税金の極端な廃止論や福祉の切り捨てが主張として噴出するのは納得がいきます。消費税や相続税の完全廃止が人気を取り、さらには「外国人のせいで保険料が高い」というデマに乗る人々が続出するのは無理もありません。しかし消費税や相続税の廃止で最も得をするのは既に"持っている"富裕層です。
片や「給与が少ないならもっとたくさん働けるようにしよう」という労働規制緩和の提案が出てくることには、都合の良いように扱われている面が非常に大きいでしょう。給与を増やすためにはその資本をより肥えさせればよい…ということは一見解決方法としてシンプルに見えるでしょうが、それによって給与が微増したところで、まんまと労働者が働いてくれた分だけ売れる商品・サービスが増えるわけですから、資本は労働者以上に利益を得るでしょう。まず、長時間労働と休日出勤の連続で心身を壊した知り合いは一人や二人だけに留まりません。
これらはいずれもマッチポンプにすぎず、大企業や株主がより多くの利益を享受する結果に繋がるだけです。労働者の相対的貧困の立場はほぼ改善されません。
《娑婆堕罵 -Shabadaba-》に視点を戻しましょう。「死なない程度での人間の飼い方の実験」という表現は、大企業・株主と労働者の関係の現状に当て嵌まりつつあると考えられるでしょう。
労働者も日常生活を営んでおり、その中の「自分の労働力を提供する時間」を商品として売って給与賃金を得ています。ここで得た給与賃金が日常生活を営むための費用を下回ると労働者は飢えます。つまり労働者を生かして…飼っておくためには、日常生活を保障するだけの給与賃金を労働者に与えねばなりません。
逆に言えば、日常生活に支障が出るギリギリまで保障を絞って労働者を飼うことができるかどうかを考える人がいるかもしれない可能性に心当たりはありませんでしょうか。労働者が、本当に働いた利益の分ではなく、日常生活"は"送れる分だけを給与賃金として受け取ることになっていたとしたら。
日常生活"は"送れるようにするという考えの極め付きは、政府の「2年間の飲食料品のみの消費税減税(その後増税)」にも表れているように見えます。一律の消費税減税ではなく飲食料品のみに限定されていることについて様々な理由が述べられていますが、「飲食料品さえ値段を下げて確保できるようにすれば労働者は飢えない」と考えている可能性を邪推しています。食べるものにさえ困窮した高校生がスーパーで米5kgを万引きしたニュースは今年の3月の話です。
資本は、労働者が日常生活"は"送れるだけの給与賃金を払えば、労働者を生かしておくことができます。それは則ち、もしも日常生活を送るために必要な飲食料品や日用品がより安く手に入るようになるならば、給与賃金を据え置いたとしても労働者は日常生活を送れるようになり、労働者からの給与賃金の引き上げの要求を抑え込むことができます。
給与賃金が限られている状態で、税金や保険料が引かれることを「許せない」と感じることは当然です。しかしここで「許せない」の矛先が税金や保険料に向いているようでは、真の原因から目を逸らされているでしょう。つまり、大企業の純利益や株主配当や内部留保がどんどん増えているのに、なぜ労働者だけが給与賃金を渋られているのかということです。
これらこそが「死なない程度での人間の飼い方の実験」ではないでしょうか。
労働者一人一人が、税金や保険料を払ってなお、健康で文化的な(最低限度ではない)生活を送れるような賃上げと労働時間短縮の方が重要ではないかと思います。
…などと偉そうに書いてきましたが、資本主義による「労働者の飼い方の実験」を喝破したマルクスとエンゲルスの名前をここで挙げておきましょう。《娑婆堕罵 -Shabadaba-》のサビのテキストを見た数秒後にはマルクスの顔が思い浮かびました。まだ『資本論』原典までは読んでいないものの、日本共産党の志位議長が書いた『Q&A いま『資本論』がおもしろい』でざっくりと仕組みを学べたので、そこと発想が繋がった次第です。
野田洋次郎さんが何を想定してこの言葉を書いたのかはわかりませんし、マルクスや志位和夫は読んでいないでしょう。そこは別に構わないのです。先に述べたように、今回書いているのは歌詞の作者の意図を考察する記事ではなく、歌詞に世間を独り歩きさせるための記事です。
RADWIMPSを愛聴し、科学的社会主義を読んでみた一音楽家の戯言だとでも思ってお読みくだされば幸いです。"偶然の一致か運命の合致 はたまた自分勝手スケッチ"…みたいな具合の文章になりましたが、自分勝手スケッチで見えてくるものもたまにはあるということで。




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