• Satoshi Enomoto

【名曲紹介】瀧廉太郎《組歌『四季』》:日本風・実験的カンタータ?


 瀧廉太郎のピアノ作品についての記事をかなり前に書きました。僕自身がピアノ弾きである分、ピアノ作品にどうしても愛着があるのですが、瀧廉太郎の創作活動は専ら声楽作品が主軸であったというのが現実です。


 そのうちのいくつかは学校の教科書にも載っていて、音楽を専門的に学んだことがない方でも一般教養レベルで知っていて、かつ歌ったこともあるのではないかと思います。


 そのように有名になっている楽曲…具体的な題名を挙げるなら、《荒城の月》《箱根八里》《花》は、どれも瀧廉太郎が特に力を入れて書いた作品でもあります。まあ、実際には《お正月》が最も有名でかつ親しみのある曲なのでしょうが…


 ここまでに題名を挙げた楽曲の立ち位置を示しておきますと、《お正月》は『幼稚園唱歌』に、《荒城の月》と《箱根八里》は『中学唱歌』に、それぞれ収録されています。そして《花》は春夏秋冬に対応した4曲から成る組歌『四季』の「春」の曲です。


 …と聞くと、『四季』の他の季節、つまり「夏」「秋」「冬」の曲が気になってくる方もいらっしゃるのではないでしょうか。実は《花》だけではなく『四季』全曲の姿を知ることによって、瀧廉太郎がこの組歌に込めた並々ならぬ意欲を知ることができます。


 ここから、各曲について書いていきます。


 1900年にこの組歌は出版されました。楽譜の序文には「歌曲はたくさん書かれるようになったが、その多くは教育用の学校唱歌であってそこまで音楽自体の質は高くなく、一方で西洋から輸入したクラシックには無理に日本語訳詞をつけて歌うものだから原曲に合っていない。このことを問題だと考えて研究し、日本語の歌詞に基づいて作曲した」(意訳)という廉太郎の意志が書かれています。


 声楽曲の組曲と聞くと、細かい変動はあるかもしれませんが、大抵は全曲を通してほぼ同じ編成で書かれるイメージを持たれるかもしれません。


 ところが、瀧廉太郎の組歌『四季』はそれぞれの曲の編成が異なります。歌曲集とも重唱曲集とも、かといって合唱組曲とも呼びにくいものでしょう。最も近いものを想像すれば、もしかするとカンタータをモデルにしたのでは…と見ることも不可能ではないと思います。



春の曲

《花》

作詞:武島羽衣(武島又次郎)

編成:二重唱または二部合唱 + ピアノ伴奏

イ長調、2/4拍子、Allegro moderato


 自筆譜に書かれたタイトルは《花盛り》でした。3番までの歌詞を持つ有節形式の二重唱曲、あるいは二部合唱曲です。歌はずっと同じメロディかと思いきや、パートごとの音域や日本語のイントネーションに配慮し、所々で細かい変更を加えています。


 一定に流れていくようなピアノの伴奏は川の流れを模倣していると考えても面白いかもしれません。こちらも、ずっと1番から3番まで同じかのように聴こえつつ、細かな変化が施されています。間奏のピアノも実は回を追って変化しています。


 歌詞の形式に従えば、1番から3番まで同じメロディ、同じ伴奏をあててしまうことも不可能ではなかったでしょう。しかし日本語やパートの移り変わりに配慮し、微細な変化を漏らさずに書き改めることによって、曲全体が単なる繰り返しに堕することを免れていると考えられます。


 これはあくまでも僕の私見ではありますが、この《花》は、日本語に従って音楽を流動させていく、廉太郎なりの実験作品であったという聴き方も可能であるかもしれません。


 なお、中学校などの教科書にはト長調に移調されて掲載されています。調号の多い(と言っても♯が3つですが)調を避けた結果ではあるのでしょうが、イ長調のままだと上声が高いという要因も無くはないと思います。



夏の曲

《納涼》

作詞:東くめ

編成:独唱 + ピアノ伴奏

イ長調→イ短調→イ長調、6/8拍子、Allegretto grazioso


 作詞は廉太郎にとって東京音楽学校の先輩にあたる東くめ。早世した廉太郎とは異なり、東くめは1969年まで長生きしましたので、なんと詞の方は著作権がまだ生きております。保護期間が50年のままであれば今頃ようやく切れたはずだったのですが、70年に延びた際にギリギリ対象内に入ったのでした。なお、自筆譜におけるタイトルは『海辺の納涼』でした。


 組歌の中で唯一の独唱曲であり、単体で歌われる機会もそれなりにあると見て良いかもしれません。


 夏の海辺での夕べから夜を描く詞を考えてか、ピアノにはギターを掻き鳴らすかのような音型の伴奏が与えられています。恋の歌というわけではありませんが、イメージしたものはセレナーデでしょうか。上手く編曲すればギター伴奏で歌っても面白いかもしれません。音が細かいからといってピアノが頑張って弾いてしまうと、雰囲気が損なわれるかもしれないという可能性については留意しておいてもよいと思われます。


 中間部で気怠げな同主短調へと転調するのも一つの大きなポイントです。独唱の力を存分に見せるための劇的な演出と考えることも出来るでしょう。ほぼピアノは背景に徹していて、圧倒的に歌の方に役の比重が傾いている曲であると言えるでしょうし、歌い方の如何によっては、演奏効果は意外なほどに高いと考えています。



秋の曲

《月》

作詞:瀧廉太郎

編成:無伴奏混声四部合唱

ハ短調、6/8拍子、Andantino


 無伴奏の混声四部合唱によります。前の2曲と比べると演奏のハードルがやや上がりますが、相応に廉太郎がこだわった作品であることは充分にうかがえます。あまり知られてはいないのですが、廉太郎は作詞も行っていました。この曲については、東に2曲も作詞を頼むわけにはいかないので《納涼》の方だけを頼んで《月》は自分が書いた…という経緯のようですが、廉太郎は曲の付いていない詩作品もいくつか遺しています。


 「月」を主題にした作品となると《荒城の月》の方が有名ではありますが、《月》の方が作り込まれているので歌い応えはあると思います。ただし、旋律は組歌の中でも最もと言ってよいほどにアクロバットであり、難易度は非常に高いでしょう。


 旋律における広い跳躍音程に加え、四声部で同時に響いている和音についても、激しい不協和音が所々に見られます。均整を目指した書法というよりは、強烈な情念を描き出すための書法が採られていると考えてもよいでしょう。この書法に馴染む段階では、誰しも多少の躓きを味わうかもしれません。


 ちなみに、山田耕筰はこの《月》を半音下に移調し、ピアノ伴奏を付けて《秋の月》という独唱曲へと編曲しました。ピアノ伴奏が付いたことによって息の長い歌い方をしても間が保つようになった点は良いのですが、和音は不協和の少ないものに差し替えられ、歌詞や音符割りなどにも微妙に改編が加えられてしまっており、テンポや表情の指示も「Lento con tristezza」になるなど、過干渉の印象を受けざるを得ないと感じるところです。耕筰にも考えがあってのことなのでしょうが、折衷案の編曲を新たに作ってもよいかもしれません。



冬の曲

《雪》

作詞:中村秋香

編成:混声四部合唱 + ピアノ&オルガン伴奏

変ホ長調、4/4拍子、Andante


 4曲の中での作曲順は、既に詩が手元にあった《花》と《雪》が先だったようです。冬、秋、春の曲のタイトルをこの順に並べると「雪月花」となりまして、日本の美しい自然の風景を投影したタイトルにしようとしたことがうかがえます。


 この《雪》こそが、編成の面で最も演奏に手間がかかる曲かもしれません。混成四部合唱もさることながら、伴奏楽器が「ピアノオルガン」と指定されています。「ピアノまたはオルガン」ではありません。それぞれ異なる音楽が振り分けられており、オルガンの柔らかい持続音の上にピアノが硬質な高音で雪のきらめきを描くような演出も組み込まれています。


 あるいは、雪景色を「神の仕業」と表現する歌詞を反映して、宗教的な情景を描くためにオルガンを使用したということも考えられるかもしれません。合唱の書法も、前曲の《月》とは異なって均整の取れた安らぎのあるものとなっています。実は『四季』の出版とほぼ同じタイミングで廉太郎は洗礼を受けています。このことも関係があるかもしれません。


 クライマックスである「あはれ神の仕業ぞ」と歌うところで、ソプラノが4曲を通しての最高音であるGに到達します。《花》《納涼》においても最高音はFisであり、それらを超えることによって頂点を築いたと考えることもできるでしょう。ちなみに、現存が確認されている廉太郎の声楽作品の歌パートの中で最も高い音でもあります。


 組歌の中での調号について、前半2曲が♯3つ、後半2曲が♭3つという点も一瞬気になりましたが、単に音域に関しての偶然というだけかもしれません。



 1900年は廉太郎の傑作が集中的に作られた年でもあります。『四季』と同じ時期にはピアノ曲《メヌエット》が書かれ、翌年の3月には《荒城の月》《豊太閤》《箱根八里》が中学唱歌に採用されました。ドイツ留学への出発はその直後の4月でした。まさか急転直下がこの後に待っていようとは、本人にも想像はできなかったでしょう。


 もっぱら《花》だけが知られる組歌『四季』。編成はバラバラでありますが、その全曲に通して触れることによって初めて感じられる廉太郎の創意があるかもしれません。他の曲にも興味を持っていただけたら、こちらとしても幸いであります。

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