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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】学生時代に肺炎になった話から


 大学の2年生の前期定期試験期間、僕は気管支炎をだんだんと拗らせて肺炎になりました。


 定期試験の学科目の初日は本当にただの風邪くらいだった筈なのです。大学の定期試験は病気などで欠席すると追試をお願いしなければなりません。そして追試では、点数が1割引きになります。つまりそれは100点満点を取らなければ成績のS評価には届かないことになりますから、どうにか給費で学費を間に合わせている身には圧倒的に不利になってしまいます。


 給費を落とすことだけは回避せねばならない…という考えのもと、何度も倒れそうになりながら学科目と実技、さらにはその後の集中講義を乗り切った結果、ついには肺炎にまで到達していたのでした。1ヶ月半の夏休みを完全に返上して療養にあたったものの、体重は45kgほどにまで低下し、その後半年に渡って微熱や息切れが続く後遺症が残ったのでした。


 

 新型コロナウイルスの流行が始まった時、僕が最も恐れたのはこの経験の再現でした。当初は確かに若い人が軽く済んだなどという話もありましたが、肺炎の症状だけは何としてでも回避せねばという意識が真っ先に浮かんだのです。ただの風邪を拗らせただけの肺炎でさえ重い後遺症を残したのですから、此度の新型コロナなんてものに罹ったら絶対に生活に支障が出ると考えたのです。


 今現在は主に演奏やレッスンを自分の手元で行って稼いでいる身です。特にどこかに雇用されて安定した収入が保証されているわけではありません。それに矢鱈と手数を広げてしまったせいで、自分がダウンした時の代理を殆ど頼めない状態なのです。


 新型コロナでなくとも、病気をした瞬間に大なり小なり穴ができることになります。新型コロナに限ってはどんなに短くとも10日間は動けないでしょう。回避する術がいくつかでもあるならばそれを用いないという選択は無いわけです。


 さて、体調を崩す度にピアノの師匠に言われた言葉として『健康も実力のうち』というものがあります。僕の師匠は元々が頑丈な人間でして、一度も風邪をひいているところを見たことがありません。そんな師匠の基準ですから「んな無茶な!」みたいな具体的な助言も言われたりしたのですが、代理のいない今のような身になってみると、あながち極端な話ではないと実感します。音楽家なんて身体が商売道具ですから、健康管理を怠ることは商売道具の管理を怠ることと同等なのでしょう。


 

 それで此度のコロナであります。一応の手元でできる対策は一通り行っているつもりです。マスクの着用、手指の消毒、換気…さらには基本的に外食さえも控えてテイクアウトのみにしています。楽屋に密集しないことさえも意識しています。


 先日書きました通り、ワクチン接種も1回目は済ませました。2回目は来月です。幸いにして、2日ばかり腕の動きが悪かった以外の副反応はまったくありませんでした。1回目なので軽かったのかもしれません。


 ワクチンの安全性について色々と言われていることは知っています。mRNAワクチンがこれまでのワクチンとは仕組みが異なることも聞きましたし、周りを見ても副反応に見舞われる人は多そうです。異物混入の例もありましたし、製造や運搬の過程で本当に安全なのかという疑念が生まれるのは仕方の無いことでもあるのでしょう。


 Qアノン等の主張するワクチン陰謀論も耳に入ってきました。さすがにワクチン接種を共産主義(画一と見倣している?)と結び付けて反対するのはただの逆張りなのかブレないということなのかは判断しかねるところではありますが、政治思想の方向性自体に対してウイルスは平等に猛威を振るうと思われます。本当に人類を減らそうと思ったら、僕なら言い訳をしながら何もせずにもうしばらく放置を続けます。


 感染爆発からの自然免疫による収束の例も聞きます。自然免疫を獲得すること自体は大量の犠牲を払うことによってできるということだとは思うのですけれども、インドは「やめておいた方がよい」と言っていましたね。払う犠牲が大きすぎると。日本でも犠牲を厭わないならばやろうと思えばできるのでしょう。きっと僕は犠牲になる側の人間でしょうから、賛成はできません。


 ワクチンを接種したのには、伴奏の仕事で高齢者福祉施設に行くからという職務上の理由もあるのですけれど、なんだかんだで第一にはそちらの方が自分が生き残れそうだと思ったからです。ウイルスだって生き残ろうとして変異を繰り返しているのでしょうし、その自然に従った場合にこちらが淘汰されないとは限らないと考えます。身近に居着いてしまったものはもう仕方無いからワクチンを頼り、今のワクチンが効かない変異株の登場については防疫(物理)を国にお願いしたいところであります。


 まあ、かつて榎本家の人間が1人、スペイン風邪のパンデミック下で死んだことに対する反省家訓があるという意識もはたらいているのですけれどね。


 

 今の生活スタイル・感染への対策は結局のところ色々考えた結果ではあります。まず自分が罹ったら稼げない…仕事先に持ち込むことは避けなければならない…師匠の心得…榎本家の過去の教訓…僕個人においてはワクチンを接種した方が既往歴からすると有利であろう。これは他人へ押し付けられるものでもなく、また他人から介入できるものでもありません。


 自然に従って淘汰されるより、人工の力で自然を歪めてでも自分の生き残れそうな方を僕は選びます。

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