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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】ピアノ学習教材を選ぶこと


 ピアノという楽器の教材は古今東西に様々なものが存在します。ピアノの学習者たちはその中からいくつかを選んで取り組み、演奏技術を向上させていきます。そして実は決まりきった必修コースがあるわけではなく、ピアニストたちに「どんな教材を通ってきたか」を聞いてみると、意外にも多少の差があったりします。


 多くの学習者がだいたい通るであろう古典的な教本や練習曲を挙げてみると…バイエル教本、ハノン(本当はアノンと発音するのが原語に近いのは周知の通り)の《60の練習曲によるヴィルトゥオーゾ・ピアニスト》、チェルニーの『30番練習曲』~『60番練習曲』、クラーマー/ビューローの練習曲、ブルグミュラーの《25の練習曲》、バッハの《インヴェンションとシンフォニア》、バルトークの《子供のために》や《ミクロコスモス》…あたりでしょうか。最後の方は普通に技術トレーニングを超えて音楽作品ですが。


 ちなみに上述の教材の中では、榎本はバイエル、チェルニーの『50番』『60番』、クラーマー/ビューローを未履修です。また僕の場合、ブルグミュラーについてはだいぶ後になってから知識として知っておくだけのために1週間に2~3曲取り組む方式で読み切りましたので、演奏技術の習得自体にはあまり貢献しませんでした。…ショパンの練習曲? ああ、そんな作品もありましたね…(挫折した顔)


 

 これらの教材は、指導者がどのような技術を生徒に習得させるかを考えて選ぶべきものでしょう。姿勢や身体の使い方などは指導者が実演を伴って教えていけばよいのでありまして、教材はその攻略対象としての役を果たすものです。攻略する過程で技術が向上するのです。


 そういうわけですから、攻略する過程で技術向上が見込める教材を選ぶことが前提であろうことはお分かりになると思います。「昔から慣例的にバイエル!」などという無批判な教材選定は無責任というものです。実際には「ピアノはバイエルから始めるものじゃないの?」なんて聞かれた現場もありましたけれども。


 例えば、バイエルとハノンとチェルニーだけを一生懸命にやったとして、それらの中には長調と短調以外の音楽は出てきません。他の旋法や複調や特殊奏法を経験することはできないのです。ここで《ミクロコスモス》を扱うと、長調/短調以外の旋法や複調、ハーモニクス(ただしハーモニクスは鳴らす音よりも下の鍵盤を抑えた方がよく鳴る。バルトークの書法はシェーンベルクのOp.11を参考にしたものだと思われます)を体験することができます。




 ということは《ミクロコスモス》をやれば全ての技術が揃うのかというと、しかしそういうわけでもありません。まず《ミクロコスモス》には音階の練習や分散和音の練習が入っていないのですけれども、音階の練習も分散和音の練習も「既にハノンがあるのだからわざわざこっちにも書かなくていい」という考えなのです。書いていないからといって大事でないと言っているわけではないのです。


 また、ハノンにおける音階練習や分散和音練習は長調/短調(ド旋法/ラ旋法)に基づくものであり、他の旋法によったものは書かれていません。なぜならハノンの教本はその後の旋法和声を用いるような音楽作品を想定していなかったからです。長調/短調の場合と弾く鍵盤の種類が同じだったとしても、他の旋法を弾く時にはそれぞれに応じて各音の力関係は変動し、したがって指使いや身体の使い方も変わってくるはずです。またその旋法和声に基づくカデンツを弾いてみることも新鮮な音楽体験、演奏体験になると思います。現代では旋法まで網羅した教本も少なからず出版されていると聞きました。


 

 クラシックのピアノの、しかも上の世代の指導者に多そうな印象を持ちますが、ピアノ学習教材を慣例的に決まりきったコースで取り組ませることが行われている節が見られます。バイエルから始め、ハノン、チェルニー、インヴェンション。それが終わらなければ曲を弾いてはならない…このような方針は、一見基礎教育を徹底しているように見えて、音楽経験を狭めるものであるように思われます。


 ハノンやチェルニーを全く不要であるとは言いません。これらによって習得できる技術もあるでしょう。僕だって今から50番でも60番でも弾いてみれば得られるものがあるかもしれないのです。しかしこれらを片っ端からまるで作業のように弾きこなしていくとなると、それは意識的なトレーニングにならないのではないでしょうか。


 個人の能力の熟達に合わせて様々なものを学ぶことにより、その人のカリキュラムが結果的に出来上がっていくのではないかと考えています。それこそ「~の教本を終わらせました」「~の練習曲集を終わらせました」などという観点で取り組むのではなく、数多の教材から重要だと思われるものをピックアップし、また更に発展形を作って取り組んでいくやり方は充分にアリだと思います。チェルニーをひたすら30+40+50+60曲弾いていくなどというのは、かえって練習目標を曖昧にしてしまうでしょう。


 どの教材が必要/不要といった話がたまに起こります。それは本当にどうしようもないものを除き、練習の主旨や目標が決めるものです。その教材作品単位を「必要」と言えば拾いすぎますし、「不要」と言えば捨てすぎます。どのような技術を習得するために教材に取り組むのかを考えることが、指導者にも生徒にも重要であるでしょう。


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