• Satoshi Enomoto

【名曲紹介】ファリャ《ベティカ幻想曲》:アンダルシア民族への賛歌



 近代スペインの作曲家 ファリャ(Manuel de Falla, 1876-1946)の名前は、クラシックを聴いている人の中でも特にスペインやバレエ方面に興味を持たない限りは触れる機会もそこまで多くないかもしれません。決して無名な作曲家ではないのですが、そもそもスペインのクラシック自体が他国と比べて影が薄いという状況はあるように思います。確かに時代のメインストリームという立ち位置ではないでしょうし。


 ファリャの生地はアンダルシア地方の町カディス。マドリードに移住してからはマドリード王立音楽院教授であったトラゴにピアノを師事し、同時期には作曲も試みていきます。


 1902年から1904年にかけて、ファリャは当時のスペイン民族音楽研究の第一人者であったペドレル(Felipe Pedrell, 1841-1922)に作曲を師事しました。ペドレルはグラナドスの師でもあり、アルベニスを民族主義に引き入れた人物でもあります。ファリャの音楽における民族主義路線も、ペドレルからスペイン音楽史や民族音楽の書法を学んだことに大きな影響を受けているでしょう。


 1905年に書かれたオペラ《儚き人生》がマドリード王立音楽院主催のオペラコンテストの一等賞に輝き、ファリャは脚光を浴びます。作品提出の翌日の王立音楽院主催のピアノコンクールでも優勝しているというあたりも只者ではないですね。しかし肝心の《儚き人生》の上演がなかなか実現せず、仕方無くファリャはこの作品を持ってパリへ行きます。


 ファリャが向かった先は、かのデュカス(Paul Dukas, 1865-1935)の元でした。デュカスは《儚き人生》を非常に気に入り、その尽力によってオペラ・コミック座において上演が実現します。ここでもファリャはデュカスに和声や管弦楽法を師事しました。ファリャの音楽の色彩感にはデュカスも寄与しているかもしれませんね。またアルベニスやドビュッシーと出会ったり、ラヴェルもいたサークル"アパッシュ"に参加したりするなど、実りの多い滞在となったでしょう。


 第一次大戦の勃発を受けて、1915年にファリャはスペインへ帰国します。しかしここからファリャは傑作を次々に生み出していきます。バレエ《恋は魔術師》《三角帽子》、ピアノとオーケストラのための交響的印象《スペインの庭の夜》…そしてピアノのための《ベティカ幻想曲》は1919年に書かれました。


 1922年にグラナダのアルハンブラへ移住してからは、詩人のロルカと親交を持ってフラメンコのカンテ・ホンドのコンクールを開催したり、チェンバリストのランドフスカと出会ったことによってチェンバロに目を向け、チェンバロが活躍する人形劇オペラ《ペドロ親方の人形芝居》や《クラヴサン協奏曲》が作曲されました。


 1927年からは創作ペースが落ちます。カタルーニャ語によるカンタータ《アトランティーダ》の作曲にかかっていたことが大きな要因でしょうが、世界も徐々に暗い方向へと動き始めたのでした。スペイン内戦が勃発し、左派自由主義者であったロルカは銃殺されてしまいます。ファリャは息をひそめて暮らし、1939年にアルゼンチンのブエノスアイレスでの演奏会に招かれたのを機に、そのままアルゼンチンへ亡命したのでした。《アトランティーダ》は1946年のファリャの死によって未完となり、弟子のハルフテルが補筆完成させることになります。



 

 さて、ファリャのピアノソロ作品の中でもモダンな位置にあり、演奏難度の高さを誇るのが《ベティカ幻想曲》でしょう。1919年に作曲され、ピアニストのルービンシュタインに献呈されました。ただし、1920年の世界初演はルービンシュタインのライバルでもあったホフマンの手によって行われました。ヴィルトゥオーゾ・ピアニストの彼らが弾くように書かれているわけですから、それはもう華やかな超絶技巧が跋扈します。ファリャ自身の腕前も影響しているでしょう。


 ファリャはこの《ベティカ幻想曲》について「この作品はアンダルシア民族への賛歌である」という手紙を残しているようです。アンダルシアはスペイン南端の州であり、ファリャの故郷カディスや、後に移り住んだグラナダを擁しています。そして何といっても、フラメンコと闘牛発祥の地でもあります。《ベティカ幻想曲》の「ベティカ」とはアンダルシアの古称であり、ファリャの故郷の歴史や文化への愛が込められた作品となっています。



 音楽はギターを模したようなトッカータで始まります。sus4の和音が特徴的ですが、ギターの調弦と無関係ではないかもしれません。D.スカルラッティの《ソナタ K.141》が思い出されます。この部分は、階名ではAをミとするフリギア旋法で書かれています。



 この曲に頻出するのが、以下の強烈な和音です。フラメンコの踊り手が足を踏み鳴らす音でしょうか、和音の響き自体が打撃的なインパクトを持っています。C-F-Gis-H-E という和音は、E のコードにテンションが付加されているのか、E + Fm のコードなのか、それとも G♯ の音を軸に対称になる鍵盤を選んだものなのか、それらどれもの意味なのかは分かりません。しかし、G-F-A-H-D の和音まで考慮すると、対称形という説が強くなるでしょうか。



 ギター的なパッセージは全編を通して続きます。A-D-A-H-E-G という不思議な響きの和音ですが、この構成音はギターの開放弦の音と一致します。冒頭と同じく、一見奇妙な和音かと思いきや、発想は意外にシンプルなのかもしれません。



 ヴィルトゥオーゾたちが弾くことを想定したことは先述しました。その中でも派手なところがこのグリッサンドです。上行は右手、下行は左手で弾きます。実は見た目ほど難しくはありません。むしろグリッサンド直後のアクセントの方が失敗率は高いです。




 しばらくするとカンテ・ホンドを模した部分が登場します。これまたユニークな書法を用いて、ファリャはその歌い方をピアノに投影しました。前打音をよく見ていただきたいのですが、なんと右手と左手が増1度音程ズレています。これによって一瞬のノイズが発生するわけですが、これがカンテ・ホンドのこぶしになるのです。歌の背後で小さく弾いているパッセージはギターの合いの手でしょう。



 ファリャは前衛的な書法にも接近します。ボルテージが上がっていく掻き鳴らしのようなパッセージでは、隣り合う鍵盤を巻き込んで弾いていきます。これこそは小規模のトーン・クラスターとでも言えるものでしょう。



 ゆったりとした中間部を経て、ほぼ同じ構成が繰り返され、コーダをもって曲は終わります。その崩れ落ちるようなラストには、冒頭にも出てきたあの強烈な和音が何度も打ち鳴らされます。テンションノートが多いのでわかりにくいかもしれませんが、長調や短調で終わるなどという野暮なことはせず、フリギア終止を用いています。古風、しかし新しい…何よりも最後までアンダルシア風味を貫きます。



 アンダルシアへの郷土愛、民俗音楽への造詣、パリでの学び、自身のピアノの腕前などが統合された結果生み出されたのが、この大規模な幻想曲なのでしょう。演奏難度もさることながら、その独特な音楽書法に面食らう人は多いと思います。しかしそれこそがこの作品の味であります。


 

 個人的な好みの話、その地域土着の味がある音楽が好きです。スペインももちろん、ハンガリーやチェコなどの東欧、フィンランドなどの北欧、さらには日本や中国、韓国などアジアの伝統的書法を織り交ぜた作品なども僕は良いと思います。国粋主義は好きではありませんが、自国の伝統音楽文化に誇りをもってそれを貫き通す姿勢には敬意を覚えます。


 今月(2022年2月)は榎本的には民族主義音楽に力を入れたいと思います。



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