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執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】批判(評価判断)しよう!


 世間では、煙たがるニュアンスで「○○は批判ばかり」などという言葉を聞くようになりました。なにもSNSに限った話ではなく、どころか生身の対面の社会でもありふれた言い方になりつつあります。


 そのように「批判」という言葉が使われる時には、大抵の場合「○○は文句ばかり」と同義と考えられているように思われます。類語と思われているのは「文句」「悪口」「非難」といったところでしょうか。ならば「○○は文句ばかり」と直接的に言えばよいではないかと思うのですが、どうも「批判」という言葉の方を使いたがるようです。


 ところで「批判」という言葉の意味を調べますと、


① 物事の良いところと悪いところを見分け、検討を加えて評価・判断すること。

② 誤りや欠点を指摘し、正すように論じること。


 …ということであります。必ずしも悪い点ばかりを考えるものではなく、また攻撃性を持って謗るだけのものとも異なるようです。むしろ良い点も悪い点も指摘し、それを検討・議論を経て評価・判断へと導くものでしょう。


 

 上述の内容を指摘する他の方々の文章は既にいくつか見つけていて、それらとまったく同じことを重ねて書いても仕方ありませんので、個人的な視点から一つ例え話を挙げたいと思います。


 普段から演奏活動をしていくにあたって日々の練習は大切なものです。僕の場合はピアノということになるわけですが、このピアノを練習する時にも様々なことを検討・判断しています。


 とある作品を弾くにあたって、自分の考えている音楽表現が適切であるかどうか、音楽の捉え方は音楽を損ねずかつ無理の無いものか、音楽表現のために用いている奏法は適切であるかどうか、等々。こうすれば納得がいく、こうすれば上手くできる、といった試行錯誤を行うことが "練習" であるわけです。なにも楽譜に指示された鍵盤をなりふり構わず兎に角押していっているわけではないのです。


 「ここは楽譜に文字でそう書いてあるわけではないけれど音楽的に少し減速しよう」などという判断には様々な要素を考慮する必要があります。フレーズ、リズム、和声、音型、アーティキュレーション、ダイナミクス、その他諸々の要素を根拠にして、その音楽表現を検討し、それを良いと判断するのであります。


 またあるいは、技巧的に非常に難しいパッセージがあった時には、運指や腕、肩、さらにはより広範囲に及ぶ身体の使い方を検討せねばならないでしょう。プロの演奏家でも、ああしても弾けない、こうしても弾けない、ではどうしたら弾けるだろうか、ということを苦心しながら試行錯誤するのです。理想の音楽が実現できない原因はどこにあるのか、なんだか手首の位置が良くない気がするぞ、などと考えるのです。


 一方で上手くいったことについては「こうすれば上手くいくことがある」という知見として蓄積しておきます。それはそのままの形で応用できなくとも、「この時にこうしたら上手くいったから、今目の前にある問題にはこう対応してみよう」という考えが働くことになります。


 作曲活動においても同じことが言えると思います。この音を選んでこのような音楽が出来上がったが、ではそれが理想に適う最も良い選択であるか、ということをしばらく考え直し続けることになった経験が何度もあります。


 これらのことを振り返ってみると、音楽への日々の取り組みは、自らが行った音楽への "批判" ではないかと考えられます。それは決して単純に粗探しのみを行うというわけではなく、良い点も悪い点も振り返って考えることを意味するのでしょう。批判を繰り返しながら音楽を磨いてゆくわけであります。


 

 都合よく綺麗な事を書きましたが、現実に起こることはこれまた怪奇であったりもします。もはや論じてもいないような言い掛かりを「批判は聞くべきだ」という言葉をセットにして投げつけていく例は、SNSに限らずどんなところにも見られるようになりました。すなわち、本当に「悪口」「誹謗」を「批判」ということにしてしまうことが起きているわけです。


 そのことを考えると、「批判」という言葉がいつの間にやら「論じてもいないただの悪口」というイメージを持ってしまったのも、無理もないことかもしれません。なるほど、「検討」「評価」「判断」という意味を塗り潰すことによって、その意思や技能すら奪われようとしている一例かもしれません。「批判無き○○」というものは非常に危ういものであると思うのですが、これに賛同してしまう人たちは評価判断の思考をまんまと抜き取られているのかもしれません。


 批判は攻撃ではありませんし、攻撃の意思を持ってはなりません。疑問を持って検討して、良いも悪いも評価判断していく思考のことでしょう。それが結果として何かを突いたり崩したりすることに繋がらないとは限りませんが。


 批判とは、より良いものを作るためにじっくり考えることなのであります。

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