【雑記】千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ参ってきました
- Satoshi Enomoto
- 4 日前
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8/15には追悼行事もあるだろうと考えて別の日に千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ行ってきました。所在地は以前から知っていたものの、実際に参ったのは今回が初めてでした。
戦死した曾祖父の墓参りにはここ数年行っているものの、曾祖父の場合は身元もわかっている上で遺骨も戻ってきましたし、認知している自分の親族の中で身元不明の戦死者犠牲者はいませんので、恥ずかしながら優先順位が低かったことは認めざるを得ません。
戦後80年ということでようやく足を伸ばしてみた次第です。最寄り駅は半蔵門か九段下、正直仕事でも私用でもあまり降りたことの無い地域です。
ニュースで中継される終戦記念日の様子とは異なって、決して閑散としているわけではないまでも、参拝者はそこまで多くなかったように思います。その場で花を買って手向けました。
許可を取れば写真撮影もできないことはないのですが、「追悼してますアピール」のところの写真まで撮ろうとする自己顕示欲は自分の中では忌避したいと思ったので、冒頭に挙げた入り口の写真しか撮っていません。まあ、日の丸を掲げて記念撮影をしている人たちもごく少数いましたけれどもね…考え方も目的も相容れないかもしれない…
行って初めて知ったことですが、前屋には遺骨収集の様子の写真が展示してあるのですね。その範囲の広さには驚きましたし、終戦から80年も経ってなお回収しきれていない遺骨があることも納得します。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑に葬られているのは身元不明の軍人や軍関係者、さらに民間犠牲者です。きっと中には戦争に行った先で人を殺した軍人もいることでしょう。戦争が始まってしまえば、死んだり死なせたり、殺したり殺されたりという行いは必定です。そしてその最期が「身元不明」で遺骨が回収されたりまだ回収されなかったりするわけですから、戦争によって人間らしさは徹底的に毀損されるのだなと改めて思うところです。
身内がこの墓苑に眠っているわけではない立場ですが、しかしここへ参って先の大戦を改めて反省し、その反省を活かす責務が現代の人間にはあるのだということを改めて確認する意味で、ここに参拝する意味はあろうと考えます。