• Satoshi Enomoto

【雑記】触れる世界を拓くこと、暗闇を光で照らすこと


 "啓蒙" という言葉があります。蒙(くら)きを啓(ひら)くという意味でして、蒙の字あたりが「上から目線だ!」などと言われることもあるようですが、英語では "Enlightenment" 、フランス語では "Lumières" 、ドイツ語では "Aufklärung" …「光を与える」とか「明るくする」というニュアンスだと考えると、相手を貶めそうな字面は漢字の時だけでは、などとも思うところです。


 さて、世界というものは確かに自身の外側に存在してはいますが、それと同時に "自身が触れている世界" というものが自身の内側にも存在しています。確かに存在はするものでしょうが、自身がそれを体験しない限りはそれが存在するはずの部分は "よくわからない" の暗闇が広がっているようなものでしょう。


 生きて色々なものを知ったり体験したりしていくということは、その暗闇部分にも世界が存在するということを確認する営みでもあると考えます。そこに光を当て、灯りを点し、自身の触れている世界を拡げていくということです。


 恐らく僕自身が自分にとって音楽を通してやっていることはそのようなことであると思います。自分の触れる世界を拡げようとする行いが、色々な形の音楽活動になっているわけです。ピアノを弾くのも、歌うのも、作編曲をするのも、レッスンやレクチャーをするのも、この指針から外れたものではありません。


 

 普段の言動から露呈しているとは思いますが、僕は『クラシック名曲コンサート』みたいなものが最も苦手です。食指が動かないなどというレベルですらなく、どんなに力のある演奏家が演奏する場合でも、そのようなプログラムのコンサートには行きたいと思えないくらいです。


 というのも、それは既に陽光が充分に当たっているどころか、スポットライトが集中してギラギラと輝きまくっているものに対して、さらに光を追加しようとする行為であるように思われるからであります。多くの人たちが延々と絶賛してきたものを右に倣えで絶賛して、何か自分の触れている世界に拡がりはあるのでしょうか。


 もちろん、既に飽きるほど聴いてきた音楽の未知の一面に光を当てられるような演奏には意義があると思いますが、残念ながらそのようなものは稀であります。同じような曲目を同じような演奏で同じように聴衆に届けるという営みを繰り返していては、閉じた世界に生きる貴族に仕える使用人のようなものです。現代のクラシック音楽が実際に疑似貴族的な営みっぽいのは確かにその通りでしょうが。


 世界を拡げる、世界を開示する…そのような行為は、暗闇に光を灯そうとすることによって為されると考えています。既に受け入れられ、光を存分に浴びている音楽を賛美しようとするよりも、未だに多くの謎を抱えていて、暗闇の中に潜んでいる音楽に肉薄しようとする営みにこそ、世界を拡げる可能性が含まれていると信じています。


 

 現代の聴衆が蒙昧であるなどとは僕はまったく思いませんし、謎な要素が多い音楽に対して興味が湧かないということはどうしても仕方の無いことであると思います。リストの作品は調性崩壊に突入した後期よりは若い頃の超絶技巧の方が好まれるでしょうし、人間の痛みに溢れた表現主義シェーンベルクよりは自然の柔らかい響きに包まれるドビュッシーの方がファンは多いでしょう(ドビュッシーは僕も好きですが)。


 だからこそせめて、僕が音楽活動をすることによって少しでも多くの人たちが触れる音楽の世界が拡がってくれたら嬉しいと思うのであります。"よくわからない" に向き合う時に、先陣を切るのは僕ら演奏家の方の役目です。なにせコンサートより前に一人で練習をしながらその "よくわからない" に向き合うことになるわけですから。


 演奏の1回1回が「啓蒙」でありたいと思います。聴衆が蒙昧だと言いたいのではなく、殆どの音楽作品は多少の謎の暗闇の部分を持っているはずです。演奏者は先陣を切ってその暗闇を光で照らし、聴き手をリードせねばならないと考えています。演奏を聴く前には暗闇だった部分が、演奏を聴いた後には日陰くらいになっていてほしいのです。


 直近のコンサートである『重ねる音楽 ─ 重なる音楽』然り、『古典派のやさしいソナタ』然り、僕が妙な曲目を組みたがる理由はそこにあります。既に日向に出切っている音楽に今さら光を当てる必要はありませんし、とてつもなく微細に残された暗闇にピンポイントで光を照射できる力は凡才の僕にはありません。それは才能のある人がやってくださればと思います。どのみち限られた時間を割くならば、僕が先導を務められる作品を選ぶということです。メンデルスゾーンやショパンの案内はできませんが、シェーンベルクやバルトークの謎解きに挑むことはできます。


 自分の中にある世界の暗闇の部分に光を当てていくこと、謎を解き明かそうとすること。暗闇を歩くのは怖くとも、日陰を歩くのは怖くないでしょう。歩ける世界が増えることは、風通しの良いものですよ。

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