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【学習記録】憲法は権力を制限するためのもの【日本国憲法】

  • 執筆者の写真: Satoshi Enomoto
    Satoshi Enomoto
  • 4 日前
  • 読了時間: 3分

 僕は何ら憲法の専門家ではありません。一般の方々と同じように中学校の公民や高校の現代社会の授業で憲法のことを学びました。音大で教職課程を履修していたので、日本国憲法が必修だったというところだけが特殊です。


 そうは言っても日本国憲法を取ったのは学部の一年生の時、あとは教員採用試験のために掘り起こしていた程度です。それでも今のような時勢においては、その復習に取り組むのも何かしら役に立つかもしれません。折角なので、書いて憶える(タブレットでの手書き入力です)のも兼ねて榎本が学び直したことをブログに残しておきたいと思います。シリーズ予定。



 過去、歴史上には専制主義が蔓延りました。国家の統治が特定の支配者・権力者の手によって行われたわけですね。これを「人の支配」と呼びます。君主の支配権は神から授かったものとする考え方、即ち「王権神授説」も絶対王政を支えました。


 これに対し、権力者の支配から国民の権利を守るために、権力を憲法によって制限するという「法の支配」たる考え方が立憲主義です。憲法を中心にして社会を組み立てるということ自体が字面の意味ではありますが、権力を制限するという方針は含まれるものと考えるのでしょう。


 したがって、憲法は決定的に権力を縛ることを目的とします。普通の法律と憲法の違いがそこにあるというざっくりした話を中学生の頃に聞いた記憶があります。


 第98条第1項に「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」とあります。いわゆる違憲というやつでしょう。憲法に反する法律が成立させられてしまっても、憲法がそれを抑え込んでくれるのですね。


 どうやら明治憲法制定の際にも、伊藤博文は「憲法を設ける主旨は、第一に君権を制限し、第二に臣民の権利を保全することにあり」と帝国議会で明言したそうです。結果的に天皇主権を明記している明治憲法は権力を制限してなくね?とは思うところでして、時代ゆえの発想の限界もあるのかもしれませんが、治安維持法などが成立する程度に人権保障が脆いことは目に入りますね…


 憲法の目的は国家の権力を制限し国民の権利を守ることにある…ということを、大学の講義の最初のコマで習いました。いや、新しく習ったというよりも殆ど前知識の確認だったかもしれません。ここが外れていてはそもそも先に進めないということだったのでしょう。


 それにしても最近は、憲法を「国家が国民に理想の国家観を押しつけるための道具」であるかのように考えている勢力が、あろうことか国民側も含めて増えつつあるようで、まさにその考えに基づくような形式や内容をもつ改憲案が飛び出してくるのを見ては辟易するところです。権力を制限するという発想が乏しく、それどころか国民の権利の方を制限する文言すら見られます。


 「権力にとって憲法が邪魔だ(だから改憲したい)」という言葉を聞いたり読んだりしますが、権力にとって邪魔にならない憲法は肝心なところで役に立っていないも同然でしょう。逆に、権力者が邪魔だと感じる憲法は大変良くその務めを果たしていると言えます。


 憲法が権力を制限するためのものであることを認識していない(あるいは知っていて国民をミスリードしている)勢力が積極的に改憲を目指しているのだから危なくてしょうがないです。「こいつに憲法を変えさせてはいけない」と判断するための基準として、「憲法は権力を制限するためのもの」ということを理解しているかどうかを確認してみるとよいでしょう。

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