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【雑記】クラシック音楽からの多文化共生

  • 執筆者の写真: Satoshi Enomoto
    Satoshi Enomoto
  • 1 時間前
  • 読了時間: 5分

 ネゼ=セガンが指揮した今年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2026はまだ記憶に新しいでしょうか。ヨハン・シュトラウスⅡ世の《インディゴと40人の盗賊》序曲、《エジプト行進曲》(中東)、ヨーゼフ・ランナーの《マラプー・ギャロップ》(インド)、フローレンス・プライスの《レインボー・ワルツ》(アフリカ)など、ヨーロッパの外を題材にもつ作品が比較的多く演奏されました。


 恐らく一般に知名度の高いクラシックの作品の中でも、欧米の外の文化や音楽から題材や印象を採ったであろう作品がいくらか思い浮かぶかもしれません。それは好奇心の対象にすぎなかった場合もあるでしょうし、例えば日本を題材とする欧米のクラシック音楽作品があったからといって「日本は凄いんだ」などと考えるのは自惚れに基づく早計ですが、好奇心にせよ憧れにせよ、あまり考えたくはないですが文化盗用にせよ、それら「欧米の外」から来た要素は確かにクラシック音楽の中に混ざり、その音楽の多様性に寄与したことでしょう。


 歴史を振り返ってみれば、流石にアジアは地理的に遠かったにしても、クラシック音楽とその源流たる音楽たちは決して他文化と無関係に営まれてきたわけではありません。中世のトゥルバドゥールでさえアラブ文化の歌唱の影響を受け、バロックに突入したモンテヴェルディにすらその影響が見られます。モーツァルトやベートーヴェンがそれぞれに《トルコ行進曲》を書いていることは周知の通りです。サン=サーンスは北アフリカを愛し、かの地域の音楽の要素が複数の作品に見て取れる上、本人は現在のアルジェリアで客死しました。


 19世紀も後半になると、クラシックの様式の中に自国のローカルな題材や要素を積極的に持ち込む国民楽派も台頭しましたね。東欧や北欧の言語のリズムさえもが音楽に入るようになりました。ヤナーチェクの《霧の中で》の終曲をお聴きください。もはや拍子という捉え方すらもが限界を迎えています。


 バルトークやコダーイは各地の民謡の採集に取り組みました。彼らの赴いた範囲はトルコやエジプトにまでも及んでいます。集めた民謡の中には、それまでのクラシック音楽ではなかなか考えなかったような混合拍子や変拍子で記譜することになる音楽が含まれます。旋法の扱い方も教科書的なものではなかったでしょうし、それらを編曲する上で彼らは従来の和声の常識には必ずしも則らない大胆な和声を使用するに至りました。


 南米ではブラジルのヴィラ=ロボスやアルゼンチンのヒナステラなどがやはりクラシックと南米ローカルの音楽の融合を試みました。前者の《ブラジル風バッハ》シリーズは古典的な枠組みだけ借りながら、その音楽の性格はあまりバッハと形容されるものではないでしょう。後者は《エスタンシア》がベネスエラのシモンボリバル・ユース・オーケストラのお陰で有名になりましたが、《ピアノソナタ第2番》の第2楽章にはペルーのハラウィが置かれていたりと、アルゼンチンに留まらず広く南米を意識しているようにも見えます。


 アメリカで始まったジャズの影響を、クラシックは大きく受けました。それらの間に立っているであろうガーシュウィンの音楽を多くの方はご存知でしょう。ガーシュウィンと交流をもったラヴェルの《ヴァイオリンソナタ第2番》の第2楽章はブルースです。他にもシュルホフやストラヴィンスキー、ヒンデミット、その他大勢の作曲家がジャズの音使いをそれぞれのやり方で取り入れました。最近亡くなったカプースチンのピアノ協奏曲群などはベースとドラムセットまでオケに入っています。


 現代、クラシック音楽は欧米だけのものではなくなりました。培われてきた書法自体は色濃く残りつつも、それらは様々なローカルな要素を入れるための器として機能し、「クラシック音楽だった部分」と「ローカル音楽だった部分」が境界も判らないほどに渾然一体となって、現代の音楽は作られています。中国のテープ音楽、インドネシアの民族楽器を伴う合唱音楽、スワヒリ語で歌われる劇伴音楽、中東のピアノ音楽、韓国の打楽器合奏をソリスト群とする協奏曲、その他諸々。


 クラシック音楽を好む人々の中には、もしかするとクラシックのもつ権威的な部分、支配者的な部分を好んでいる場合もあるかもしれません。しかし少なくとも榎本は、ローカルを受け止め、ローカル同士を接続し、グローバル実現の一端を担うものとしてのクラシック音楽を支持しますし、今やそのつもりで音楽に取り組んでいます。音楽そのものが他文化を引き込んでその中で多文化の共生を成しているというのに、それを演奏する人間が多文化共生に反対では、音楽に対して示しがつきません。


 世に蔓延る排外主義者たちはもとより、一般の方々の多くも「グローバルの要素を排斥すれば純粋なるローカルを守れる」とシンプルに思い込んでいるのではないでしょうか。僕はこれをむしろ逆であると考えています。則ち、グローバルの世界を相互に行き来し、目一杯に交流して相互理解を深めることによって、ようやく初めて思い込みや偏狭さを免れたかけがえのないローカルを自認することが可能になるということです。


 多文化共生を通じて自文化は発見されるのであり、それより前に謳われる愛国心などは、自文化中心主義に囚われて思い込んだだけの伝統や慣習に向けられた幻覚にすぎないでしょう。「外の文化の流入によって自文化が壊れる」という考えは、裏を返せば「自文化は外の文化の流入によって壊れる程度には軟弱なものである」という不安や不信に起因するものでもあると思います。実際にはそんなことは起きないのですが、似たようなことを思い込んでいた時分が僕にもありましたので理解自体はできます。


 世界を調整し繋げる方法を考え、そのように立ち回ることが求められます。この現在においては、排外主義こそが思考停止・思考放棄です。不安と不信を誤魔化すための安直な愛国主義を脱出し、排斥でも支配でもない形で滑らかに世界を繋げるために何ができるかを考えたいものです。



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