【音楽史】「十二音技法の考案によって無調音楽が生まれた」という言説は誤り
- Satoshi Enomoto

- 8月26日
- 読了時間: 7分
これは一度や二度ではないのですけれども、タイトルにも書いた「十二音技法の考案によって無調音楽が生まれた」という説明・解説を方々で見ます。カジュアル向け音楽史解説書然り、音楽系YouTuberの解説動画然り…もしかすると他のところでもそのように言われているのかもしれません。
このような説明は様々な意味から史実に対して誤りであると言わざるを得ません。「だいたい合っているけれど厳密さが足りない」などというレベルですらなく、因果関係すらも転倒しているとさえ指摘しなければなりません。
誰が最初に上記言説を言い出したのかはわかりませんが、恐らくそれと同じ説明を行う複数の人々は誰かが言ったり書いたりしたであろう上記言説を鵜呑みにし、そのまま披瀝しただけなのでしょう。シェーンベルクとその周りの作曲家の創作年表なり、19世紀末〜20世紀初頭の音楽シーンなりを俯瞰していれば「順序が違うな」とはすぐにでも気付けそうなものではありますが、どうもそれをも怠っていそうではあります。
まずは「十二音による作曲法」を考案したシェーンベルク一派とハウアーについては見ておきましょうか。
シェーンベルクは1906年作曲の《室内交響曲第1番》を書いたあたりからは伝統的な機能和声からの遊離を始め、1908年から1909年にかけて作曲していた連作歌曲《架空庭園の書》において遂に調性的主和音への解決をも放棄しました。作品番号の無い歌曲《渚にて》も同時期の作品です。
この時、シェーンベルクは確かにベートーヴェンやブラームスに由来するような「動機を素材として構築する作曲法」則ち発展的変奏を意識的に、あるいは無意識的に行っていました。しかし共通点はあると言えど、それは後に言われるような「十二音による作曲法」ではありません。シェーンベルクが「十二音による作曲法」を試行し始めたのは1917年から作曲に取りかかった《ヤコブの梯子》においてであり、このオラトリオは未完成に終わったものの、その試みは1923年完成の《ピアノのための組曲》といった、本当に十二音による作曲法を用いた作品群へと繋がりました。
ちなみに、多くの方がご存じであろう代表作《月に憑かれたピエロ》は1912年の作曲です。部分的に12の音が出現する箇所もあるにはありますが、しかしこの時もまだ「十二音による作曲法」という形は考案されていません。「《月に憑かれたピエロ》は十二音技法で書かれたシェーンベルクの代表作」という誤情報を見た記憶もありますが、辞書の文中に出てきた言葉を繋ぎ合わせただけの出来の悪いAIのような認識であるように思います。
シェーンベルクの認識としては、調性機能から離れつつも動機によって音楽を結びつける試行を繰り返し、それを整理・反省した結果導き出された作曲方法こそが「十二音による作曲法」であると捉えられるでしょう。動機を最初から音列としてまとめておくことによって、そこから様々な形の音楽を取り出すことができますし、しかも音列から導き出した音楽はその音列によって関連が担保されます。音楽中の関連を保つ調性機能から離れた代わりに、音列-動機に関連を維持する役割を託したわけです。
十二音技法という作曲技法が先行しているとする説明が、まずシェーンベルクには当て嵌まらないことは明確であると思います。技法の考案が作曲成果に繋がると考える因果関係を信じ込むことからこそ、そのような誤解が生まれるという事情もあるでしょう。実際には理論技法よりも作品が先行する例が決して稀ではないことを留意する必要があるでしょう。
ハウアーはシェーンベルクに先んじて十二音技法を考案したとされる作曲家です。シェーンベルクらとも面識があり、共著を書く計画まであったようですが、どちらが先に十二音技法を考案したかというプライドによって険悪になり決別しました。ただ楽譜を実際に読んでみればわかりますが、ハウアーによる十二音による作曲法はシェーンベルク一派のそれとはそもそも思想も実践も大きく異なるものです。共通点が「十二の音を使う」というだけであって、それぞれ別の作曲技法を打ち立てただけであったと言ってもよいかもしれません。
ハウアーは十二音の音列からさらに和音進行を導き出し、その和音を元に作曲を進めるものです。その和音の構成音内であれば旋律はある程度自由に選び取ることができまして、その結果としてむしろシェーンベルクらの音楽よりもハウアーの音楽の方が旋律が明瞭に聴こえてくると感じられるかもしれません。
独自の十二音技法に至る前のハウアーの作品もシンプルながら官能的な和音を特徴としていることを見るに、その十二音技法自体が神秘主義的思想に基づく理論先行のものとは言われていても、ハウアーの音使いを支える美観のようなものは十二音以前の作品から既に見られるものであるように感じます。
また、ハウアーの十二音技法は確かに調性機能には従わないものの、主和音(導き出した和音進行の最初の和音)への帰着を放棄していません。しかもその和音は大抵それまでの調性音楽で幾度となく聴いたであろう、トニックの機能を持ち得る構成の和音でありまして、決して何調のものであるかもわからないような奇怪な和音ではありません。ハウアー初の十二音技法による作品であると紹介される《ノモス》Op.19でも、その終結はヘ長調の準固有和音Ⅳ+6→主和音Ⅰ、ないしはヘ短調のⅣ+6→ピカルディ終止Ⅰと捉えることができます。膨大な《十二音遊戯》シリーズも長七和音への解決に大きく偏ります。
ハウアーは自身の音楽を「無調」とは呼んでいるものの、主和音らしき和音への帰還を律儀に守ろうとする点なども相俟って、恐らく皆様が想像する「無調」のようにはあまり聴こえないのではないかと思います。「随分と転調の激しい音楽だなぁ」くらいにしか感じない可能性すらあるのではないでしょうか。
ちなみにハウアーも十二音技法を確立する前、その活動初期にはシェーンベルクの表現主義のような作品を書いていまして、そちらの方がむしろ調性的主和音への解決を放棄しています。そのような意味ではハウアーもまた十二音技法確立以前から既に「無調」と呼ばれる音楽を作っていたとも言えるでしょう。
そもそも「無調」と呼ばれる音楽はシェーンベルクやハウアーから始まったものではありません。このことに関しては頻繁にヴァーグナーの《トリスタンとイゾルデ》の第1幕への前奏曲が取り上げられますが、あれは和声的に説明もできるものでしょうから、衝撃的ではあれど、言われるほど「無調の先駆」などと持ち上げるものでもないと個人的には考えています。
むしろ《トリスタンとイゾルデ》を聴いて衝撃を受けた当事者の一人であろうリストはその晩年に本当に所謂「無調」に突入したと言えるでしょう。それは後世のような十二音技法によってではなく、増三和音や減七和音などの多用によるものでした。ト短調の調号で楽譜が書かれている《暗い雲》の最後の和音はE♭aug/Aという、まるで調性音楽の主和音にはなり得ないような構成のものです。
十二音技法そのものは「無調」の前提ではありません。十二音技法が無くても「無調」は成立するのであり、あくまでも「無調」の中の一種として十二音技法が挙げられるのであります。
これとは逆の例で、シェーンベルクと同世代のレーガーは「無調」に進んでいない一方、パッセージ中に十二音を揃えるということを度々行っていることがヨーゼフ・ルーファーによって指摘されています。シェーンベルクは私的演奏協会でレーガーを何度も取り上げていて、まさにルーファーが指摘する《ヴァイオリンソナタ》Op.122や《弦楽三重奏曲》Op.141bもそのプログラムに入っていましたから、十二音のヒントをシェーンベルクはレーガーからも得ているかもしれません。
如何せん、ざっくりとでも「理解した気になってもらう」ことがカジュアル向けコンテンツでしょうから、内容がある程度ざっくりになってしまうのは仕方の無いことでしょう。しかしあまりにもざっくりすぎるどころか、時系列や関係までがこんがらがった説明をするのは流石に良くないでしょう。それは読み手や聴衆の音楽に対する解像度を下げるだけです。
十二音技法にも色々ありますし、「無調」にも色々あります。十二音を用いる調性音楽もあれば、十二音を用いない無調音楽もあります。決して「十二音技法の考案によって無調音楽が生まれた」という因果関係ではないということを、改めて強調しておきます。







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