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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【音楽理論】テンポ:標語と数値と実際と

更新日:2022年1月24日

 合唱団で「学校で習った速度標語の復習をしたい」という声が上がったことがあります。LargoとかModeratoとかAllegroとかいう標語がどんなテンポを示しているのかということですね。

 

 中学校や高校の音楽の教科書の巻末には、様々な速度標語が列挙された表が掲載されていることでしょう。定期試験で「次の速度標語を遅い順に並べましょう」といったような問題を出された経験のある方も少なくないと思われます。


 そしてもう一つ、アナログなメトロノームの盤面に書かれた順をそのまま受け止めて「この速度標語は数値で言えばだいたいこのあたり」と認識している方も多いのではないかと思っています。なんてったって目に見える形で数値が示されているわけですからね。


 この数値は、1分間にメトロノームの打音が何回打たれるかを示したものです。BPMという言葉を聞いたことがあると思います。Beats Per Minuteの略だと説明すればもうお分かりになるでしょう。




 

 ところが、現代の我々が「それぞれ速度標語が表すテンポはこんなものだ」と認識しているよりも、実態はかなり複雑です。僕が手元で見つけた例を少し挙げてみようと思います。


 かのアマデウスの父、レオポルト・モーツァルトの『ヴァイオリン奏法』には、速度標語について書かれた箇所があります。その中でも気になるところがいくつか。


 アレグレット Allegretto はアレグロ Allegro よりは少し遅く、一般的にいくぶん活発で優雅で諧謔的なテンポで、アンダンテ Andante と共通する部分が多い。


 アンダンテ Andante あるいはゲーエンド gehend という言葉は、楽曲を自然な足取りで演奏することを意味している。特にマ・ウン・ポーコ・アレグレット ma un poco Allegretto と書かれている場合はそうである。


 おや? メトロノームの盤面に書かれたテンポによると、アレグレットとアンダンテはだいぶ違いませんか?


 実際の曲における珍しい例を見てみましょう。ドゥシークの《フランス王妃の受難 ── マリー・アントワネットの死》という劇的なピアノ作品があります。その中には、次のような速度標語が出てきます。



 アジタート agitato は「激しく」「急き込んで」などと訳され、有名どころではベートーヴェンの月光ソナタの終楽章がPresto agitatoという速度標語を持っています。そんなagitatoがAndanteに付いてしまう例があるわけです。


 今でこそ教科書的には「ゆっくり歩くような速さで」などと記述され、遅い類いのテンポだと認識されているAndanteですが、どうやら速い類いのテンポと認識されていた面もありそうです。


 ところで、意味を弱める「-ino」をAndanteに付けたアンダンティーノ Andantinoという速度標語もあります。「Andanteを弱める」というのは理解できますが、ではこのAndantinoは、

「元々遅めなAndanteの遅さを弱める」⇒「Andanteよりテンポは速い」

なのか

「元々速めなAndanteの速さを弱める」⇒「Andanteよりテンポは遅い」

なのか、一体どちらなのでしょう?


 17~18世紀においてはテンポというよりも拍を規則正しく進んでいくような演奏スタイルを示していて、これに従って19世紀初頭までは速い部類のテンポだったようですが、19世紀の間に遅い部類のテンポという認識が広まったとされます。


 実際のところどっちなのよ?ということを一概に断言することはできません。一言に指示されたAndanteやAndantinoをそのまま数値的・額面的に認識するのには少し待ったをかけた方が良いように思われます。



 

 速い部類のテンポとされている標語についても、レオポルトの同著に興味深い記述が残っています。


 ヴィヴァーチェ Vivace は活発を意味し、スピリトーソ Spiritoso は全身全霊で演奏してほしいという意味で、アニモーソ Animoso とほとんど同じである。これら3種類は速いと遅いの中間で、これらの言葉が添えられた楽曲は色々なテンポで演奏することができる。


 メトロノームの盤面においては、Vivaceは間違いなく速い部類の速度標語です。しかし、レオポルトによると「速いとは限らない」ということになります。


 アレグロAllegroは活発なテンポであるが、急ぎすぎてはいけない。以下のように、言葉を足したり添えたりして、ほどよくしなければならない。


 アレグロ・マ・ノン・タントAllegro ma non tanto、アレグロ・ノン・トロッポAllegro non troppo、アレグロ・モデラートAllegro Moderatoは、アレグロを速くしすぎないようにという意味である。


 VivaceにせよAllegroにせよ、これらは「活発」というニュアンスを持っているにすぎず、速いテンポを示す記号であるというわけではないと言えましょう。活発さを表現しようとした結果、テンポが速いものになるというだけのことです。メトロノームに掲げられたVivaceのテンポは、あくまでも「活発」を反映した一例にすぎず、決して一対一のものではないわけです。


 ベートーヴェンの習作《選帝侯ソナタ》には Allegro cantabile という一風変わった速度標語が書かれています。カンタービレcantabileは「歌うように」という意味ですから、テンポの速いものよりも遅いものの方に付くものではないかというイメージがありますが、確かにAllegroがそこまで速くないものだとしたらおかしいことでもないでしょう。



 なお、ここまで挙げてきたレオポルトの記述も、当時の共通認識というよりはレオポルト個人の認識であることには留意せねばならないのですけれどもね。時代によっては速度標語としての意味よりも楽章タイプを示しているだけなんてオチもあります。



 

 テンポは標語や数値といった形で表記されてはいますが、結局のところ重要であるのは「どのような表情の音楽を実現するために」どのようなテンポが設定されるのかという点でしょう。指示されたテンポ表記は目安にはなり得ますが、絶対的な目的ではありません。このことに関して、バレンボイムの面白い回想があります。


 バレンボイムはブーレーズの《ノタシオンⅦ》の世界初演を指揮しました。この時、実際に曲に指定されていたテンポは、バレンボイムが指揮したテンポよりも断然速かったようです。しかしブーレーズ、バレンボイムの演奏に満足して、楽譜の方のテンポ表記をバレンボイムが指揮したテンポに書き換えてしまいました。バレンボイムが理由を尋ねると、ブーレーズは「作曲するとき僕は水で料理している。指揮するときは火で料理しているのさ」という比喩で答えました。


 バレンボイムによれば、作曲家がメトロノーム記号を記入する時には、まだそれは想像上のものであってサウンドとしての重量が無く、どうしても速く設定されがちであるとのことです。詩を心の中で反芻することと、声に出して読み上げることでは勝手が違うということと同じでしょう。


 この話を聞いて、僕自身の失敗にも納得がいきました。初めてバルトークのソナタを弾いた時、僕はメトロノームの数値を重視してそのテンポで弾きましたが、それを聴いていた先生方の一人から「テンポだけ守ろうとしただろ」と指摘されたのでした。あの曲のリズム感を活かそうと思ったら、どうしてもメトロノームの数値のテンポよりは落ちてしまいます。しかし、その速度標語はというと、Allegro Moderatoであるわけです。バルトークが「速くなりすぎないように」という注意を込めてただのAllegroではなくAllegro Moderatoと書き込んでいたのではないかと考えれば、テンポ設定も数字の額面通りとは限らずまた異なるものになるかもしれませんね。


 

 いくつか挙げてきた以外にも、標語なり数値なりによるテンポ表記というものは多様な意味を持っている上に、楽器や会場の響き方などにさえも影響を受けるものです。結局のところ一義的に「このように書かれていたら音楽はこんなテンポ」などと断言することは不可能でありまして、様々な要因を考えて判断していくしかないのでしょう。


 実のところ、僕自身も自分の作品に書き込むべきテンポを明確には判断できておらず、とりあえず速度標語とも呼べないような発想標語と並べてメトロノームの数値でだいたいそれくらいの目安程度を書いていますが、自分自身がそれに厳密に従っているかと言えばほぼ従っていない(従えていない)です。


 実際の音楽を抜きにしてテンポの話をするというのはもはや危ういことなのではないか…などとどうしようもない事を考えたところで、記事を締めます。まあ、現代の作曲家はメトロノームをかけてテンポを判断し、盤面を見てそこに書かれている標語を書き込んでいるということも考えられますから、案外教科書丸覚えでもやっていけてしまうものなのでしょうけれどもね。



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