「生徒が譜読みや練習をしないでレッスンに来たので叱った」のような話を指導者たちから聞いたり、またSNSで目にすることが少なくありません。
確かに僕自身も、決してサボっていたわけではないのですが、難しい曲の譜読みの遅さを頻繁に叱られたものです。譜読みの早さは職業演奏家として無視できないステータスですから、その後の商売競争に負けないためには能力を伸ばした方が良いのは事実ですし、そのことを指導者たち自身も痛感してきたでしょうから、生徒へのレッスンにおいてもその思考回路で考えてしまうことも理解できます。
週1回30分だけ練習したところで音楽が上達するかというと、やはりちょっとそれは時間が少ないと思われます。したがって、どうしても自主的な取り組みもセットであることが必要になります。そういうわけで、指導者は「生徒は自主的な練習もしてくるものだ」という前提でいることでしょう。よって、生徒が譜読みをしてこなかったり練習をしてこなかったりした場合に、指導者は叱るという反応を返すということになるのです。
…ということを推察したわけですが、僕自身はどうしてもこの「練習してこないことを叱る」ということに違和感を覚えます。まあ自分が他人を叱ることが苦手(←だから高校の講師が務まらなかったのでは?)ということはあるのですけれども、この「譜読みが遅い」「練習してこない」の裏には指導によって改善できる技能的事情が隠れている可能性も考えられると思うのです。
レッスンの最初には、譜読みや練習をしてきてどこまでできるようになっているかという現状確認をします。どの地点からどのようなレッスンを行うべきかという判断をするためであり、それはその通りなのですけれども、そこで出来がよろしくないとか読めていないとかいうこともまた“現状”の一例にすぎないのであって、その時点で責める・叱るという反応に打って出ることは違うと思います。
譜読みが遅いのは何故なのか。それは必ずしも譜読みをサボっているからではありません。譜読みというものは、ただ単に一つずつ音符を拾っていって鳴らせるように体を動かしてくるだけのマッチョなものではないはずです。音がどのように結び付いて音楽になっているかということを、知識と思考を駆使して見極めることが、譜読みを早くする第一歩です。
そして譜読みという段階には音楽によってそれぞれ難易度があります。楽譜から読み取るのがただでさえ難しい音楽は存在しますし、それを「読んできなさい」と生徒に丸投げし、読めていなかったら叱るという指導者は非常に理不尽な人間だと思うのです。「この部分はこのように考えると音楽を理解して捉えることができる」というやり方を教えるのも、音楽のレッスンのうちでしょうし、それによって生徒が新たな気付きを得るかもしれません。指導者がこれを放棄することがあれば、それはネグレクトも同然だと思います。
同じく、練習してこないという場合にも「どんな音楽を目指して」「どのように」練習すればよいのかがわからないという可能性も考えられると思うのです。それを両方とも確固として持っているならば一人で突き詰める工夫も考えようとするでしょうし、練習自体が面白くなるはずです。そこで何かが欠けてしまっていて、どこに向かってどのようにやればいいかも判断できない“練習”にどうして取り組もうと思えるでしょうか。それを見えるようにしてヴィジョンを持たせることも指導者の為せる業ではないでしょうか。
また、生徒が音楽にばかり時間を割ける人たちというわけでもないでしょう。学校が忙しい子供たち、仕事が忙しい社会人、果てはレポートに追われる学生たち。流石に学生たちについてはある程度の根性や工夫も見せてほしいところではありますが、首が回らなかったものは仕方ありません。
そんなことを考えてみると、譜読みが遅かっただの、練習が徹底していないだのということを僕はあまり責める気にはなりません。そして、別にそれらをやってきていなかったとしても、レッスンできることはあります。
例えば、譜読みをやってきていなかった場合は「では今からここで読んでみましょう」というレッスンをすればいいだけのことです。確かに演奏技術的な助言はできないでしょうが、この時には譜読みのやり方をレッスンすることができるのです。譜読みにもコツがありまして、それを知っていれば効率良く読むことができたり、知らずに一音一音力ずくで地道に読む羽目になったりと明暗も分かれます。どんなふうに楽譜を読めば効率良く、しかも明瞭に音楽を理解して演奏に繋げられるかということは、「次のレッスンまでに自分で読んできなさい」では教えることはできないし、生徒も学ぶことができないのです。生徒が譜読みをしてこなかった時は、それを指導するチャンスでもあると思います。
それまでに理解できなかったことが理解できるようになるとか、できなかったことができるようになるとか、次に繋がる糸口を掴むとか、そのようなことを得られるようにする場がレッスンでありましょう。自分の練習でできるようにしてきたものを「はい、できています」と言うだけならば、それはレッスンというほどのものではないのではないでしょうか。
レッスンに臨む際には、生徒はあまり「うまくやってやろう!」と気負う必要は無いと思います。とりあえず自分のできる範囲内で頑張ってくれればいいでしょうし、できないことや分からないことは疑問として指導者に遠慮無く投げつけていいと思います。良い指導者であれば、それを頭ごなしに否定せず、かといってすぐに答えを突き付けるわけでもなく、きっと順を追って導いてくれるはずです。
翻って指導者の側も、生徒の躓きの原因を見抜き、改善に導くことこそが重要でしょう。生徒が自分の期待通りに成長しないことに苛立ったり叱ったりすることはよろしくないと思います。出来が良くないことをレッスンで責められるのではないか…と生徒が思って萎縮してしまうことは、音楽をやっていくにあたっても大きな障壁となりかねないでしょう。
音楽を本格的にやっていくのは確かに厳しいことではあります。しかしそれは音楽自体の奥深さ・難しさであって、レッスンにまで過度な苛酷を反映しなくてもよいのではないかと思うところです。ましてやレッスンを受ける人たちが全員プロになろうというのではないでしょう。むしろ一人一人のペースでじっくりと音楽に向き合えるように配慮し、導いていくことが、その人のためになる“レッスン”なのではないかと考えております。
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