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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記・ソルフェージュ】脱“ソルフェージュのためのソルフェージュ”


 音楽学校の入学試験にはソルフェージュが付き物であります。その内容はその音楽学校のレベルが上がるごとに複雑化する傾向にあるということは事実と言って差し支えないと思います。


 それを一概に悪いとは言いません。それは学校の方針でもありましょうし、意図はあってのことでしょう。


 ところが、それをどうにか乗り切りたい側にも思惑が働くわけです。あの複雑な聴音や新曲視唱をどうすればこなせるかということを、本人のみならずその指導者も考えるのです。


 ここにおいて、最も手っ取り早い方法こそが絶対音感です。一つ一つの音の高さを記憶しておけば、どんなに変な音が出てきてもその場その場で譜面に書き取ったり歌ったりもできるはずだ、ということです。確かにその通りではありましょう、最強の力技と言ってもいいかもしれません。


 ただ、「本当にそれでいいのか?」という疑問を抱きます。


 絶対音高の記憶を用いて音を当てる能力は、連続的な音楽を捉える能力とはまた別の観点のものです。前者を使うシーンが一切無いとは思いませんが、後者を軽んじる指導が為されることとはどうしても地続きでありましょう。要するに試験で良い点数が取れれば良いわけですから、その過程は気にしないということになるのです。


 ところが、音楽を連続的なものとして捉えるという後者の能力の観点を持たねば、音楽を探求していくことには繋がっていかないのです。音楽は時間の上に存在し、それを成す構成音の継時的関係が音楽における論理や文脈となります。文章は文字の羅列ですが、それは文章という連続的なひとまとまりによって初めて意味を伝えるのであり、一文字一文字単体に意味は無い(一文字で意味を成すものもありますが)のです。


 つまりは、一文字ずつメモして「よ  う や く つ  ゆ が あ  け ま し  た」と書き取っただけのものと、文章として「ようやく、梅雨が明けました」と受け取ったものとを、同じ100点として良いのかということです。結果が合っていればやり方はどうでもいいだろう、という考えはこれを良しとするも同然のものであるわけですが、現実にはこれに陥っている例が見受けられることは少なくありません。


 そして、この「結果が合っていればやり方はどうでもいい」が極まったところにあるのが “ソルフェージュのためのソルフェージュ” でしょう。または “ソルフェージュ試験のためのソルフェージュ” と言った方がより的確かもしれません。


 複雑困難な問題が出てくる試験に対して、より複雑困難な課題をひたすらこなして経験的に立ち向かおう、ついでに絶対音感を身に付けて試験に活かそう、というのは大変に(悪い意味で)マッチョな考え方と訓練法であると思います。意味を成さない文字列は、芸術表現としては面白い可能性は捨て切れないものの、それを聞き取ってメモするという訓練はできても、文章として意味を考えるところまで発展させることは難しいでしょう。それは音楽に置き換えれば、連続性の希薄な音の羅列を聴き取り、そこで正誤判定して終わりということと同じです。それでは音楽に踏み込んでいません。せめてそこから捉え方を考えることに繋げることができればいいのでしょうけれども、元が元ですから限界もありそうです。


 むしろソルフェージュでは “音楽をどのように捉えるか” ということに焦点を当てた訓練を行いたいものです。それならば音楽作品に取り組む際にもその能力は活かされますし、きちんと “音楽のためのソルフェージュ” となるはずです。


 ここ数日の間に、わざと理不尽を強いるような、笑いのネタとしてのソルフェージュ課題がTwitterを賑わせましたが、これらは笑いのネタではあってもソルフェージュに使えるものではなく、それができたかできなかったかということも重要ではなく、そして音楽的にどうのという話にも繋がりません。なので僕は笑いながらも深い言及は避けたのですが、同時に「どうしたら面白い、音楽的に突っ込んだ話に発展させられるようなソルフェージュ課題を作ることができるだろうか?」ということを考えました。


 理想形としては「一見難解そうに思われるものの、音楽の捉え方の面を工夫して聴き取ったり歌ったりすることで実はそこまで難しくないことが明らかになるような課題」というものでしょう。用いられる音高の種類が多く、いかにも混乱を招こうと書かれたように聴こえる聴音課題が、遠隔転調を繰り返したり倚音を多く使っていると見極めた途端に安定して聴けるようになったり、臨時記号だらけで掴み所が見当たらない新曲視唱課題が、細かな転調や珍しい旋法を用いていると理解できた途端に楽に音が取れるようになったり、という課題があったら面白いでしょう。高校時代に数学Ⅲの定期試験で、一見手強そうな積分が工夫によってどんどん馴染みある形に攻略されていくという気持ちの良い問題を解いた経験がありますが、ソルフェージュでもそんな課題が欲しいと思うのであります。


 僕のやっているレッスンで僕自身が作っている新曲視唱課題、和声課題、またYouTubeで毎週土曜日に更新している聴音動画などについても、ただ機械的に取り組むのではなく、自らの頭で考えて工夫をすることによって音楽を捉えられるようになるような、面白い課題を作りたいものです。この “工夫して音楽を捉えようとする” というソルフェージュ活動によって得た能力こそが、演奏や作曲といった音楽活動において大きく貢献すると、僕は信じているのであります。


 

おまけ




 12音が出揃う新曲視唱課題だが、均を考えていくと「ドレミファ」の階名だけで歌えてしまう例。


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