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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】作曲活動停止中


 来月6/11(土)は、作曲家・合唱指揮者である森雄太さんが企画してくださった、作曲者を呼んで界隈の歌曲・合唱曲を深掘りする『おふらぼ Vol.1』にゲストとしてお呼びいただいております。『令和』という元号が発表された際に作曲した無伴奏混声合唱曲《時に、初春の令月にして、》を取り上げていただきます。


 こちら、只今参加者募集中です。皆様ふるってご参加ください。



 

 これまでに演奏活動や教育活動の傍ら、地味に作曲活動を続けてきました。周囲の方々のお力添えもあったお陰で、歌曲、合唱曲、劇音楽などが形になりました。


 ところが、どうも去年の夏頃からすっかり作曲に関してスランプに陥ったようです。ありがたいことに演奏や講座が忙しくなり始めて充分に時間が取れなくなったという要因も無くはないでしょうが、その影響自体は微々たるものでしょう。本当にそれだけならば書こうと思えば書ける筈です。


 思うに、オリジナルを作るということに対して慎重になってしまった面が大きいかもしれません…というか、自分の中でハードルが上がりすぎてしまったように感じます。


 演奏や講座の用意をする時間が去年の夏頃から増えました。自分が実際には弾かないものも含めて、膨大な量の楽譜や資料を読んだり、音源を聴き漁ったりするようになったのです。それこそ、大学・大学院で学んだ以上の範囲に手を出したかもしれません。


 その中で、未だに自分の知らない音楽があまりにも多いということに直面してしまい、何を書いても「過去の音楽の未消化のパクリ」みたいに思えるようになってしまったのでした。


 音楽に限らずでしょうが、芸術はそのどれもがそれまでの何かしらから影響を受けているはずです。それを影響を受けたそのまま未消化でアウトプットすると、どうも自分の工夫によって作ったものではないように思えてくるのです。恐らく短期間で色々な音楽を齧ってしまったために咀嚼が追いつかなくなってしまったのではないかと考えています。


 自分が "オリジナル" と呼ぶ音楽を、自分の工夫によって作り、それが一体何を聴き手に問うのか…ということを確固として持てないうちには、依頼を受けて何かしらを書くことはあっても、自発的なものはしばらく作れないかもしれません。充電期間ならぬ咀嚼期間と割り切ることにします。


 

 で、冒頭の宣伝に関わってくるのですが、やはり「作曲家」を名乗るには作品を書かねばならないわけであります。こんなに前に書いた作品を前に出して、進行形の「作曲家」を名乗ることに対して自分自身が抵抗を持ってしまっている事実はあるのですが、この企画の中での立場はその通りなのです。曲を書かない僕が悪い。


 音楽史を見てみると、作曲家の中にもいくらかのパターンはありまして、生涯常に新しい作品を作り続けて音楽の広がりや深化を見せる人もいれば、若い頃のヒット作だけが一人歩きしてその他見向きもされないみたいな人もいます。


 世間の好き嫌いや評価はそれとはまた別なのでしょうけれども、後世が振り返って面白いのは前者であろうと思われます。後者のように、一発だけ当てたお釣りで以後食っていくという作曲家が過去にいなかったわけではないでしょうが、なんだか敢えてそれを目指すような動きを最近見ていて、他人事ながら「虚しいじゃんな…」などと勝手に感じている次第ではあります。お気持ち表明。



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