• Satoshi Enomoto

【雑記】リモート合唱の伴奏提供と、音楽したいということ。

 本日の昼はリモート合唱の伴奏動画収録でした。すっかりご無沙汰してしまっていた横須賀国際合唱団の企画です。それこそ新型コロナウィルスが感染拡大を始めてから、即座にリモート合唱の方法を模索した合唱団もありましたが、やはりそのやり方は険しいものでもありました。リアルタイムで他の人たちとハモることが出来ないという点において満たされなさを感じる合唱人も少なくはなかったでしょう。しかし感染の収束が見えない中、とうとう横須賀国際合唱団もリモート合唱に挑戦です。


 僕はこれまでに、自主的に歌曲や合唱曲の伴奏音源をYouTubeにアップしていました。大学の後輩である伊藤那実さんを真似してのことなのですが、僕の場合はドイツリートに重点を置いているので実はそこまでラインナップが重複しておらず、結果的には仕事が分化されているのかな、といったところです。


 ところで、依頼によって指揮に合わせて伴奏を弾いて動画に撮る、ということが実は今の今まで一度もありませんでした。音源だけを提供したことはありましたが。出張で弾きに行くことも、こちらが電子ピアノで音源提供することもできるということはもっとPRしていった方が良いかもしれないとは思いました。先月の本番の多さにかまけてYouTubeの更新も止まっているので、そろそろ再開したいところです。伴奏音源に階名唱ガイドを乗せることもできますので、なんなりとご依頼ください。



 白状しますと、僕自身もリモート合唱には食指が伸びなかった合唱人の一人です。というのも、僕の所属する合唱団DIOがそもそも指揮者を立てず、仲間の息遣いなどを窺いながら演奏するという方針を取っている合唱団であることに起因します。リモート合唱ではリアルタイムでの仲間たちの反応がわからないことになります。DIOでは"演奏作品"が完成することよりも、声を束ねていく過程の方を求めたかったという思いが、仲間たちにもありました。そのような理由もあって、僕が一人多重録音で信長貴富《ヒスイ》、千原英喜《宮沢賢治の最後の手紙》、ラ・モンテ・ヤング《Composition 1960 #7》などを歌っては、多重録音合唱の苦行っぷり(演奏した音源が出来上がる喜びはあるが、そこまでが非常にハード)を思い知ったりしていたわけです。


 しかし状況はどうでしょう。緊急事態宣言は2度延長され、しかし飲食業ばかりが打撃を受けるだけの持久戦にして、まさかの3度目さえ囁かれる始末。合唱は飛沫が飛ぶ活動ですし、どんなに対策を講じても集まって歌うのが怖いという思いはこちらにもあるのです。そういうわけでほぼ完全に活動はリモートに切り替え、楽典や階名唱などをすることに専念してきましたが、もうさすがに合唱団という名前なのに合唱をやっていなさすぎて合唱飢餓状態になってきているのも事実です。うちは勉強団ではない。


 当初はリモート合唱を渋った勢ですが、このまま歌うことが出来ないでいるよりは、せめて何かしら公の場に音楽を鳴らすことが出来た方が心の健康に良さそうだと思えてきたところです。そういえば12月のソロ企画を聴きにきてくださったピアニスト仲間である大内暢仁さん(最近CDが出ました。とても素晴らしいので皆様もぜひ)も言っていたのですが、コロナ禍によって演奏会が自粛になって最も音楽に飢えているのは音楽家自身かもしれない、と僕も思います。


 自粛期間中に、一人で音楽に向き合う時間だけは確かに山ほどあったでしょう。しかしやはり、音楽は誰かに届けてこそそこに存在したと認められるし、自分自身も認めることができるという面はあると考えます。『誰もいない森の中で倒れた木は音を立てるか?』という話の派生形のようなものです。自分独りだけがいる森の中で倒れた木の音は自分だけには届くでしょう。しかし、木が倒れた音を他の人々に聴いてもらうことはできないし、その音を自分が聴いたということを信じてもらうこともできないのです。相手に聴かせない音楽は、相手にとっては音楽ではないという現実の惨さに、僕は耐えられそうにはありません。



 今までのリアルタイムの合唱と同じようにはいかないにせよ、リモート合唱には"人々に合唱音楽を届けられる"という意味があるのです。リモート合唱がリアル合唱の代替手段ではなく、むしろ別物と捉えられるべきであるという話は承知の上で、いずれの形態にせよ、音楽を届けることができるということは共通であるわけです。それが現時点ではリアル合唱が制限されているというだけのことです。


 やり方はどうあれ、一度くらいは苦行を覚悟でリモート合唱に挑戦してみるのもよいかもしれません。僕もできる限りの技術提供はさせていただきます。

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