僕が団員として所属する合唱団DIOは今年、中世・ルネサンスあたりの時代の音楽に積極的に取り組んでいます。そのような演奏活動をしようと決めたからというわけではなく、単に合唱団内のパート人数比を考慮した結果、演奏に適する編成が自動的に中世・ルネサンス時代に偏ったという次第でした。
しかし怪我の功名か、遠い昔の音楽に触れることによって、これまでに自分たちがやってきた合唱のルーツを辿るところに視点を向けられるようになりました。せっかく興味が出てきたのだからと、僕が個人的に気になっていた国立西洋美術館の『内藤コレクション 写本 ─ いとも優雅なる中世の小宇宙』に団員を誘って行くことにしました。
なお、僕は決して中世・ルネサンス音楽の研究者などではありませんし、専門に学んだこともありません。普通の音大の必修授業の知識に毛が生えた程度のことしか知らない状態で行ったのでした。
写本とは、まだ印刷技術が無かった中世のヨーロッパにおいて、羊や子牛などの皮を加工して作った獣皮紙に、人力でテキストを書き写して作った本です。今回の展示は写本の本体というよりはそこから切り離された紙葉、すなわち零葉を取り上げたものでした。
聖歌の楽譜を見ることを目的で行きましたが、もちろん写本はそれだけではなく、聖書のテキストや暦などもその範疇にあります。まず驚いたことと言えば、想像していたよりも写本零葉が小さいということでした。それは決してネガティブな点ではなく、むしろその緻密な筆写をより衝撃的に味わえるものでした。写本の中には様々な挿し絵や彩飾が挿入されているのですが、どんなに細かいものであっても顔の表情などが見て取れるほどに丁寧に描かれており、人間の手による技術には驚嘆します。
普段何気無く読んでいる楽譜の昔の形を見るという体験は想像していた以上に面白いものでした。昔の聖歌が五線譜ではなく四線譜で書かれていたり、ヘ音記号やハ音記号もよりアルファベットの形状に近かったりということは、確かに知識情報としては知っていました。しかしいざ実物を画面越しでさえない生身の目で見ると、その情報が本当に事実として在るのだと実感できたものです。
下の画像の楽譜には今やお馴染みの "♭" も書き込まれていますね。元からそのような由来であることは知っていましたが、想像していた以上に "b" に見えます。
楽譜は現代のものと比べてだいぶ大きいサイズです。下の画像のように、複数人で一つの楽譜を見ながら歌っていたのですね。このように当時の様子を観察することができるのも、写本を見ることにおける面白い点の一つでしょうか。一緒に行った団員と並んで楽譜を読んで、周囲に聴こえないくらいの小声で口ずさんだりもしてみました。
次の画像では五線譜が出てきています。「基本は四線譜」と思っていましたが、なるほど、音域が広ければ五線譜も用いられていたわけですね。音部記号が頻繁に上下する他、ハ音記号とヘ音記号が並んで書かれている段もあります。これを見たその場では「片方書けばわかるんじゃないのか?」と思いましたが、今この記事を書きながら考えてみると、楽譜のサイズが大きい=五線の幅も広いという要因もありますから、ハ音記号とヘ音記号が両方書かれていた方が音を瞬時に読みやすいのかもしれません。
写本という物自体が生の人の手で作られて残ってきたことを味わうと同時に、その写本の中に書かれた美術や音楽、宗教の物語などもまた人の手によって作られて残ってきたということを体感する機会となったように思います。
楽譜は音楽の情報が記号化されて書かれたものでしょう。僕たちは楽譜を読む時にどうしても紙の上の記号情報の読み方にばかり気を取られがちですが、楽譜も元は「どうにかして音楽の情報を記録して残したい、後でもう一度演奏できるようにしたい」という欲求から発明されたはずです。
写本の楽譜も記号情報には違いないのですが、客観的な情報というよりも、この音楽を残そうとする人間の生々しい欲求の方が強く感じられました。演奏の方にも「この音楽を後に残すのだ!」というくらいの主観的な意気をもって臨むことは、あまり悪いことではないのかもしれません。
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