• Satoshi Enomoto

【ソルフェージュ】階名唱と旋律分析:思考回路の強制起動


 「飲むだけで痩せます!」「聞き流すだけで英語が喋れるようになります!」「買うだけで罪を償えます!」…などというのは、実際の効果は知りませんが、いかにも怪しまれそうな商売文句です。そんなに楽でいいんですか!?という心理でしょう。


 このテンプレートを使って、ソルフェージュ(音楽技能の訓練)を推進したい人たちが「階名唱をするだけで音楽能力が向上します!」と半分だけ冗談で言ったりするわけですが、これは「ソルフェージュをすれば音楽能力が向上します!」と言っているようなもので、実際には「楽して~ができるようになる!」という甘言の類いとはまた異なるものです。


 階名唱という訓練自体は、実は小学校音楽の学習指導要領に組み込まれているものです。その点をして「階名唱は初級のためのものだ」という言説が流布することもありますが、小学生がやるから低級なもの、と考えるのは早計です。低級だからではなく、音楽の捉え方として原初的である故にカリキュラムに入っていると考えるのが適切です。



 前述の冗談「階名唱をするだけで~」は、いかにも“階名唱という歌う行為として実行するだけのもの”として認識されるでしょう。これは半分正しく、半分はミスリードです。階名唱は、小学生でもできることという面を持ちながらも、潜在的に音楽の理論的側面への観点・思考を起動させるものなのです。階名唱を始めた瞬間から、音程、旋律型、旋法、調や均などといった楽典的事柄を、ほぼ強制的に考えざるを得なくなるという効果があります。旋律を成す複数の音がどのような距離と組織関係をもって音楽として繋がっているかを考えねば、階名唱は習得されないのです。


 明らかに、指導する方にも習得する方にも手間と時間はかかるでしょうし、考えることは非常に多くなるでしょう。しかしむしろ、それこそが階名唱の狙いであると言えます。音当てを遂行できるようにするだけならば、音高を記憶に刷り込んだ方が、あるいは音名を鍵盤に直接紐付ける方が、実は断然楽かもしれません(そして実際にこのやり方は行われているものでもあります)。ある意味で階名唱は、面倒だけれども大事にしなければならない音楽的思考回路をフルに活用させる(活用させることを強いる)訓練方法であると考えられます。



 とは言っても、階名唱をすることによって最も強く先に明らかになるものは、調や和声といったものより以前に“旋律型”に尽きるでしょう。旋律がどのような形をしているか──旋律がどのように起き、どのように経過し、どのように締め括られるかということ、そしてどの音が重く、どの音が軽いかということです。


 主音になり得るのはドやラばかりではありません。旋律型に階名を振った結果、主音がレやミやファになることは決して珍しいことではないのです。しかもそれは予め決まっているものではなく、むしろ旋律型によって変動する重心に位置する音が結果的にその役割を担うことで主音として見做されます。そして一つの旋律において必ず一つの中心音が決まるわけではなく、旋律によっては二つ三つの中心音が浮上する場合さえあります(主音ではなく核音という名称を用いたりします)。


 連なる様々な音程と音価、そしてその組織の中で決定される中心音。旋律の姿を、階名を振ることによって明らかにし、その構造を分析することが、感覚と理論との間を渡すソルフェージュの最も根本的な活動理念ではないかと思います。感覚vs理論という構図の論議は度々起こりますが、それ自体が感覚と理論との紐付けたるソルフェージュの欠落を意味するものであると言えるかもしれません。



 ちょっと先日話題になった『《海》のメロディ間違ってない?』事件。恐らく、ただ単に音符を書き込む線を間違えたパターンの誤植であろうとは思います。さすがに正しくは「ミーレードー ラレドーラー」でしょう、ということもついでに書いておくべく、これを教材として試しに階名唱してみましょうか。



 歌えましたか?


 この《海》は1941年に国民学校初等科1, 2年生用の教材として『ウタノホン(上)』に収録された文部省唱歌です。作詞は林柳波、作曲は井上武士。ド-レ-ミ--ソ-ラ--ドという五音音階が用いられます。


 ところで、実は文部省唱歌の中に同じタイトルの曲があります。こちらの《海》は1913年に『尋常小学唱歌 第五学年用』に収録されたものです。階名唱で確認してみましょう。



 その階名に基づいてその音の位置・扱われ方を確かめてみると、まず前者の《海》はド-レ-ミ--ソ-ラ--ドという五音音階から構成されているのに対し、後者の《海》はドレミファソラティドが揃っていることが確認できます。より少ない音の種類で、その童謡的性格を色濃く出すのは前者でしょう。一方、後者は「ドレミラソ」のような部分にだけは五音音階の性格を残しつつも、ファやティも学習すべく意図的に組み込まれたであろうということが推察されます。


 また、主音であるドが、前者では最後のみ強拍に来ているのに対し、後者では強拍に位置していることが多いことがわかります。主音として安定感のある音が強拍というこれまた安定感のある位置に置かれることによって、旋律が安定して収まってしまうという効果があります。前者は逆にそれが避けられていることによって、最後までうねりのような動きを失わずにいると考えられます。


 このように、旋律の形の分析…旋律分析は、特に階名を用いることによって、ある程度一般化して行うことができると思います。階名を用いる利便性という観点も確かに存在しますが、より大きな意義は音楽を楽にするということよりも深くするということの方にあると考えています。



 人間の音楽の始まりにおいて、最初から理屈が考えられていたわけではないでしょう。恐らくもっと生理的に始まったはずです。そして、それを後から体系的に捉えようとする試みが出てくることは、音楽が理論に先行することとは矛盾しません。


 小学生たちは、階名で歌うという活動を通して、原初の音楽理論に踏み込むのです。耳コピや絶対音感のみに依存する学習方法は、演奏が出来てしまったとしても、“音楽を理論的に捉えようとする”という活動において支障をきたす人を生み出してしまうかもしれません(必ずしも全員がそうなるわけではない)。この思考回路の起動をスルーさせない方法として、階名がそのソルフェージュの入り口に設定されているのでしょう。

 今僕が行っている階名唱のオンラインレッスンは、この階名唱の利便性に着目し、自力で合唱の音取りをできるようになりたい人に役立ててもらうつもりで始めたものでした。つまるところ「譜読みに効果的に使えればOK」程度の認識で始めたのです。しかし、これを始めてみたところ既に合唱慣れしている人たちは自力で音楽理論に踏み込み、また初めてやってみたという人は今まで考えてこなかったことを考えるようになって非常に頭を悩ませながら取り組んでいます。これは悪いことではなく、むしろ多くのことを考え始めた結果その難しさに気付いたということでしょう。


 階名唱は、考えることを強いる訓練方法であるのです。


© 2023 virtuoso3104 - Wix.com