【名曲紹介】間宮芳生《合唱のためのエチュード》:民族音楽系合唱練習曲集
- Satoshi Enomoto
- 3月17日
- 読了時間: 7分
更新日:4月8日
僕は自分の所属する合唱団(合唱団DIO)で歌える曲を常日頃から漁っています…というのも、合唱団DIOは慢性的な女声不足でして、しかし女声不在というわけでもないので、普通の混声四部合唱をするにはパートバランスがそれはもう酷い状態で活動をしています。
そのような状況に直面しますと、どうしても一般的な編成に拘らない作品を探すことになります。ただ、その中で思いもよらなかった面白い作品に遭遇することもあります。
そんな榎本が最近楽譜を買った、間宮芳生の《合唱のためのエチュード》という曲集について、この記事で僕なりに紹介してみたいと思います。

間宮芳生(1929-2024)といえば、日本の民謡を研究し、そのかけ声や囃子詞を素材とした創作において人気の高い作曲家です。合唱に関わる人ならば、様々な合唱の編成による『合唱のためのコンポジション』のシリーズにはほぼ必ずどこかのタイミングで遭遇(自分が演奏する場合に限らず)することになるでしょう。その『合唱のためのコンポジション』シリーズに取り組むためのエチュードとして考えられたのが、当記事で言及している《合唱のためのエチュード》です。全曲が一気に作られたわけではなく、1983年から2015年までかけて断続的に10曲が書かれました。
音楽之友社から出版されている楽譜には、このエチュード集を制作する切っ掛けとなった出来事についても本人によって書かれています。曰く、1982年にブルガリアのソフィアで民族音楽の発声で歌うコンサートを聴く機会があり、特にそのリハーサル前に行われた二声部の発声練習が興味深かったとのこと。この体験が元になっているため、このエチュード集の楽譜は同声合唱を一応の基本として書かれています。ただ、様々な編成で歌うことも可能であると併記されています。「音域にかかわらず、高い声と低い声と、すべての人が平等に練習すること」が重要な狙いであるとも明言されています。
以下に10曲の編成や特徴を書いていきます。著作権はもちろん生きていますから、ここには譜例は載せず、できる限り言葉で説明します。楽譜の内容が気になる方はさっさと楽譜を購入することを推奨します。¥1200+税也。
Etude I
1983年作曲
二声
冒頭からいきなり「厳格にノンヴィブラートで」と指示される、仏教の声明をモデルにしたエチュードです。スラーが切れているところは声を改めるものの、休符以外では息継ぎをしないことが求められます。片方のパートが声を保続し、もう片方が様々に動くというパターンが大半を占めます。混在している付点と複付点のそれぞれのリズムは明確に区別することが求められています。
Etude II 「ヨーイク」
1983年作曲
基本ユニゾン、中間部のみ三声カノン
北欧スカンディナビアに住むサーミ族の伝統的歌謡「ヨーイク joiku」をモデルにした跳躍音程を含む旋律のエチュードです。基本的にユニゾンで混合拍子(変拍子スレスレ)の旋律が歌われますが、中間で1拍ずれの三声カノンが始まります。このカノンはヨーイクというよりはアイヌの伝承歌唱ウポポの様式であるようです。これは縦の和音に安定的な三和音が出現するようなことは無く、長2度が重なることさえ厭わない、本当に原始的に追いかけるだけのカノンです。カノンの後は冒頭のようなユニゾンに戻って終わります。
Etude III
1985年作曲
前半二声、後半ユニゾン
都節音階を基本とする謡曲的エチュードです。「安定したミ、ラ、シは強く響く声で / その他の音はやや不安定で少しくぐもった声で」と指示されています。このドレミシラブルは固定ドか移動ドかどちらのつもりで作曲者が書いているかは判断できませんが、どのみち都節音階がベースなので安定音はその3音に違いないでしょう。曲の後半では楽譜自体はユニゾンであるかのように書かれていますが、不安定な音程/音高で歌うことが前提となっている音に関しては偶発的なハモリが発声することを想定していると思われます。
Etude IV
1985年作曲
手拍子を伴う二声
アフリカ中央高地の音楽を素材とした3/4拍子と6/8拍子が交錯するリズムのエチュードです。手拍子は歌のおまけではなく、手拍子自体が一つの生命感のある音楽として存在することが求められます。もちろん歌い手が手拍子を叩きながら歌うわけですが、歌3/4拍子+手拍子6/8拍子、歌6/8拍子+手拍子3/4拍子というパターンも出てきます。一種の脳トレかと思ってしまいそうですが、グルーヴに乗っかることができるかどうかがカギかもしれません。手拍子はヴァリエーションを加えても可だそうです。
Etude V 「5度のエチュード」
1999年作曲
二声
その名の通り、完全5度音程を作っていくエチュードです。ただし、5度音程は後出しで形成するため、結果的にはその直前に形成される完全5度以外の音程も意識的に聴いて掴んでいく必要があります。このエチュード集の中では最も階名読み替えの頻度が高い曲でしょう。なお、楽譜上では歌詞は "e" のヴォカリーズとなっていますが、特に母音にこだわりがあるわけではないようなので、様々に試してもよいと思われます。
Etude VI 「風流」
1999年作曲
タンバリンを伴う独唱+斉唱
岩手県毛越寺に伝わる芸能『延年』をヒントにした、『閑吟集』の中の一篇から採ったテキストを抑揚をつけて唱えるエチュードです。中間部では斉唱が謠のように歌います。独唱者は専らシュプレヒシュティンメと掛け声のようです。恐らくタンバリンも独唱者が兼任することになるでしょう。この曲に関しては、恐らく五線譜基準の西洋的な拍感および拍子感は殆ど役に立たないことは確実です。言葉自体の間や抑揚を掴み取ることを試行錯誤すべきであると思います。ちなみに、作曲者自身が想定していたかどうかはわかりませんが、謠の部分はムタツィオ無しのヘクサコルドで捉えることができます。
Etude VII 「リズム・エチュード《唱歌》」
1999年作曲
二声、和太鼓(option?)
日本の民俗芸能や伝統音楽には、楽器のリズムやメロディを唱え言葉によって学ぶ唱歌(しょうが。しょうかではない)という方法があります。このエチュードは太鼓の唱歌をテキストとしてその絶妙なリズムの揺れを捉えるためのものです。「太鼓を打ちながら歌ってもよい」という指示が楽譜には書かれているので、もしかすると太鼓はオプションでよいのかもしれません。何より課題は2つの8分音符が均等ではなく微妙に跛行リズムに寄るというところにあります。楽譜には三連符の1:2として例示されていますが、決して正式に三連符というわけではなくそこに「近づく」という塩梅を得ることが求められます。
Etude VIII 「ハーモニー」
1999年作曲
三声(div.あり、実質的には四声)
ハンガリーの民俗音楽・民謡からメロディや歌詞が採られているようです。作曲者自身の解説の口ぶりからするとメロディと歌詞は別のところから採っていそうですね。歌詞はハンガリー語ですが、たった2単語 "istenöm, szerelmes" だけですので、そこまで不安に思わなくてもよいでしょう。副題の通り、ハーモニーのエチュードとなっています。曲全体の半分以上は高声部がdiv.しているため、ほぼ四声と考えてよいです。一般的な合唱に馴染んでいる方々はむしろこの曲については普段通りの合唱のような感覚を覚えることでしょう。
Etude IX
2015年作曲
三声(div.無し)
フィンランドのとある民謡を素材にした自由な展開です。歌詞はフィン語ではなく "no" と "na" のみになっています。エチュードとしての目的は前曲と重複するかもしれません。楽譜のレイアウトは三声div.無しという形ではありますが、中声部の音域が「下声部の最低音~上声部の最高音」と広いという点だけ覚悟しておいていただけるとよいと思われます。
Etude X 「ヨーイク再び」
2015年作曲
二声(div.あり、最大四声)、パーカッションまたは手拍子
速いテンポの5/8拍子によるヨーイクのエチュードです。二つの声部のリズムが噛み合うセクションと噛み合わないセクションが明確に区切られています。両声部がdiv.した和音で頂点を築くと、その直後には両声部は融合して一声部となって終わりへ向かっていきます。「音域にかかわらず、高い声と低い声と、すべての人が平等に練習すること」を重要視する作曲者の考えが反映されたエンディングとなっているわけです。
間宮芳生の『合唱のためのコンポジション』シリーズの解説は色々なところにあるため、少し調べれば何かしらの情報は出てくるものでした。ところが、『合唱のためのコンポジション』シリーズよりは断然演奏ハードルが手頃であると思われるこの《合唱のためのエチュード》は、各曲にどのような面白さがあるのかという情報は殆ど出てきませんでした。世間のこの作品への興味関心を僕の文章がどれほど喚起できるかはわかりませんが、ぜひともこのようなスタイルの合唱曲にも興味を持っていただき、音楽の世界を拡げてほしいと思います。
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