• Satoshi Enomoto

【雑記】“音取り” と木こりのジレンマ

最終更新: 3月23日

 楽譜から音楽を読み取って演奏すること。それはソルフェージュの能力であるわけですが、特に歌に見られるのが “音取り” という段取りであります。

「おや? “譜読み” とはまた違うのかい?」と思う人もいることでしょう。本来は恐らく言葉が違うだけなのですよ。楽譜から読み取った情報を声に出してどんな音楽なのかを確認すること。うむ、確かにそれは “譜読み” に含まれることのような気がしますね。


 しかし、実状はというと。

 全ての人がそうではないとは断りつつも、世間的に “音取り” と言えば「楽譜に書かれた情報をピアノに弾いてもらって、声に出しながら音楽を確認する」という作業を指すと思われます。きっと皆さんも中学校の合唱コンクールなんかの時に、パートごとに分かれて “音取り” をしたことでしょう。

 ピアノによる歌の “音取り” は歌う人の耳コピ能力に頼るやり方です。楽譜から音楽情報を読み取り、それを再現する能力に乏しい人に対して、応急措置的に効果を発揮してくれるという面においてメリットがあるように見えます。その事情も理解できなくはありません。合唱メンバーを集めれば、メロディやリズムを楽譜から読めない人も出てきますし、ある程度は経験的に楽譜が読める人でも難しいメロディやリズムを捉え切れない場合が無いわけではないでしょう。

 そういうわけで、「歌の音取りをしてくれるピアニスト」という仕事には一定の需要があります。歌う人はピアニストの力を借りて、自力で掴めない音楽を掴むことができる。ピアニストはお金が貰える。確かにこれは本人たちにとってwin-winの関係でありましょう。それを合意しているのであれば。


 しかし ── それによってお金を貰えるかもしれない側、つまりピアニストである僕が、わざわざこういうことを言うのはどうかとも思うのですが ── それって当の歌う人たちのソルフェージュ能力の不足につけ込む商売ではないかと考えてしまうのです。これ、相手がずっとソルフェージュを苦手でいてくれるほど、音取りしてあげる側はこの商売を続けられるという仕組みなのです。「ソルフェージュ弱者である方が悪いんでしょー!」と自己責任論を振りかざすことさえできてしまう話ではあるのですけれど、やっぱりこれって搾取構造だと思うんですよね。“ソルフェージュが弱い人を弱いままでいさせようとする” ということが可能になってしまう。

「ピアノで弾いた音を耳コピして歌う」ことがほぼ応急措置であるということを理解した上で応急措置が必要だからそうするのである、ということを否定はしません。

しかし、音楽のボトムアップを望むのならば、そのやり方では叶わないと思います。ソルフェージュの苦手な人がソルフェージュ能力を伸ばしていくことこそ、トータルで見れば音楽の深化に繋がるわけです。

 そのためには、ピアノにただひたすら音取りをしてもらうのではなく、ソルフェージュの学習に自己投資する方が良いと思います。確かにソルフェージュの学習は丁寧にやろうとすればまあまあ長い道のりです。ただ、自力で楽譜から情報を読み取り、音楽として表出するという能力は身に付けられます。ソルフェージュが苦手なままピアニストに音取り報酬を払い続けるよりは安く済むでしょう。

 ソルフェージュができるようになることで、譜読みも早くなって、多くの作品に取り組めるようになるかもしれません。取り組む曲にもよりますが、その工夫次第によっては音楽を掴むまでにかかる時間を圧倒的に短縮することも可能ではあると思います。また、合唱のようなアンサンブルにおいては、各々が自力で音楽を考え、主張や表現を打ち出すことができるようになるでしょう。能力がある一部の人からのトップダウンではなく、団員一人ひとりからのボトムアップが実現されるのです。「短い練習時間の中でソルフェージュなんかやってる暇は無いよ! だって音取りが大変なんだよ?」という反論は完全にループコースなのであります。

 ピアニストたちのボロ儲けを阻止してでも、ソルフェージュ能力を養い、自力で音楽ができるようになることにはそのような意義があります。


 

ここで小話を。

 シェーンベルクが12音技法で書いた《今日から明日まで》というオペラがあります。もちろん長音階、短音階では書かれていません。では、この作品の音取りこそは全てピアノの耳コピに頼らねばならないかというと、そういうわけでもないのです。

 シェーンベルクは『十二音による作曲』の中で次のように述べています。


 十二音技法を用いて作曲することによって得られる利点の主なものは、楽曲統一が効果的に行える、ということである。私はかつて自作のオペラ《今日から明日まで》に出演する歌手達の練習に立ち合っていた時、つくづくこのことが正しかったという満足感を味わったものである。歌手達は全員が絶対音感の持主であったのだが、このオペラはどのパートもリズム、イントネイション、技巧、いずれについても極度に難しいのである。ところが、急に一人の歌手がやって来て言うには、基礎になっている音列にひとたびなじんでしまったら、たちまちリズムもイントネイションもみんな非常に楽になった、というのである。少し間を置いて残りの歌手達も口々に同じことを言うのであった。私は非常にうれしかった。


 動機がすべて基礎音列から導出されているという主旨の記述ですが、つまりは基礎音列の構造さえ掴んでしまえば、後はその応用で歌えるようになるということが示唆されていると思います。それを見抜いて掴み取ることができるかどうかはソルフェージュにかかっているのです。絶対音感を持っている人ですら、このような音楽に対しては、ただ単にピアノで弾いてもらったからといってメロディやリズムが取れるようになるものではないでしょう。

 ピアノに頼ることを否定はしません。歌の音を直すのはコレペティートルの仕事にも含まれるでしょうし、コレペティと言わずともそこまで付き合うのが伴奏を務める人間の仕事です。しかし、音取りを任せてしまうのではなく、自力でできるようになることによって、踏み出せる音楽の幅が拡がることもまた事実でしょう。ピアニストの方もただ耳コピさせてお金貰う~みたいなのではなく、どのように捉えればメロディやリズムを掴めるようになるかを示唆し、ソルフェージュ面においても歌手たちをアシスト・エンパワーしていくことを試行してもよいと思います。

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