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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記・美術】エゴン・シーレ展にはゲルストルも来る


 美術展に行くのが趣味の一つです。コロナを拾うことを恐れてかなり控えているのが現状ですが、色々と行きたいものは日頃からチェックしております。


 特に今、開催を楽しみに待っているのが、来年1月下旬から東京都美術館で始まる『レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才』です。僕自身の20世紀初頭ウィーン贔屓は音楽に限ったものではなく、美術でも同様です。シーレのみならず、クリムトもココシュカも大好物であります。


 すっかり「シーレ展やるのか! これは行かなきゃな!」と、シーレにばかり意識が向かっていたのがつい数日前までの話でした。何があったのかというと、紙のチラシをたまたま手に入れたのです。


 なるほど、シーレ展にはシーレのみならず、レオポルド美術館所蔵の他の画家たちの作品も一緒に展示されるようでした。これはますます楽しみになった…と思った一瞬後に飛び込んできたのが、ゲルストルの名前でした。



 リヒャルト・ゲルストル(1883-1908)はウィーンで活動した画家です。シーレも28歳病没という早世ぶりでしたが、ゲルストルはそれよりも若い25歳にして自殺を遂げています。評価されるよりも前に亡くなったわけですが、その絵画は表現主義の先駆でありました。


 ところで、この画家ゲルストルの自殺には、音楽家シェーンベルクの存在がほぼ直接関わってきます。


 ゲルストルとシェーンベルクは、1906年にマーラーの指揮したコンサートで出会いました。ゲルストルは音楽に興味を持ち、一方でシェーンベルクも趣味として絵を描いていました。ゲルストルとシェーンベルクの付き合いは家族ぐるみのものでありました。


 そして、シェーンベルクの妻マティルデとゲルストルの不倫事件が起こることになります。周囲の人々の説得もあり、どうにかマティルデはシェーンベルクのところへ戻ったものの、シェーンベルクは孤立を歌うゲオルゲの詩に傾倒して《弦楽四重奏曲 第2番》Op.10、《2つの歌曲》Op.14(第2曲の詩はゲオルゲではなくヘンケル)、《架空庭園の書》Op.15などを生み出し、その一方でゲルストルは自ら命を絶ちました。



 数年前のウィーン・モダン展でも、ゲルストルが描いたシェーンベルクの肖像が来日していました。当事者たちはもう誰もいないのに、その愛憎と絶望が確かに現実にあったことを示す物品が、絵画や音楽作品という形で残っています。


 エゴン・シーレ展には、ゲルストルも眼に焼き付けに行かねばならない…と思ったのでした。

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