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執筆者の写真Satoshi Enomoto

【名曲紹介】シューベルト《魔王》:4つの《魔王》と試行錯誤

更新日:2022年2月9日



 シューベルト(Franz Peter Schubert, 1797~1828)の名前は誰もが中学校の音楽の鑑賞の授業で耳にしていると思います。その31年という短い生涯において、膨大な数の、しかもクオリティの高いドイツ語歌曲を書き、歌曲王と呼ばれて西洋音楽史に名を残しました。彼の功績はそれだけには留まらないと思いますが、今回はさておき。


 そんな彼の作品1(公式に世に出た最初の作品)にして代表作《魔王》を、多くの人が聴いたことがあるはずです。この曲には、歌い手が「語り手」「父」「息子」を一人三役で演じる、それが旋律ごとの音域によって性格付けされている、危機感が増すごとに音が上がっていく…などのポイントがあるために、授業教材として扱いやすいということこそが教科書に載る理由でしょう。


 

 ところで、《魔王》にはなんと4つの版が存在します。現在一般に知られ、演奏されているのはその中でも第4版、最後に決定稿とされたものです。そこに到達するまでには、ほんの微妙な改訂や、演奏効果がかなりガラッと変わってしまう改訂がありました。


 これらの改訂の変遷を、それぞれの箇所ごとに見ていきたいと思います。


【3連符】

 おそらく、《魔王》を初めて聴いた際にまず深く印象に刻まれるのは曲を貫く3連符の畳み掛ける連打でしょう。聴き手の不安や緊張を煽る絶大な演奏効果を上げています。


 ところが、実はこの3連符が改訂の最中で失われた段階があります。それが第3版です。第2版までは3連符だったのですが、なんと普通の2分割になってしまったのです。一定時間内の音の存在密度が減るわけですが、緊張感は半減どころではないでしょう…



 この改訂の理由は、ひとえに演奏難度を下げるためであると考えられています。《魔王》の伴奏を弾くのに、そもそも現代のピアノでは鍵盤のタッチが重いために無茶をせざるを得ません。そのため、タッチが軽くてもいいシューベルトの時代のピアノなら弾ける…と言われていたのですが、この3連符は当時でさえも難しいものだったかもしれないと考えられます。結局、出版のための第4版では3連符に戻されたのでした。確かに2分割ではただ地味というところをも通り越して緩い音楽になってしまったかもしれませんね。


【構成音の配置】

 ピアノが連打している和音の中の構成音の配置も微妙に異なっています。これに関しては第1版から第2版に改めた時点でほぼ第4版に近い構成音配置となっており、ある意味第1版から第2版への改訂はこの構成音配置の見直しとバスをオクターヴ化することが主であったと言えるかもしれません。




【小節数】

 “Willst, feiner Knabe, du mit mir gehn?”の直前に、第1版で1小節だったのが第4版では2小節ぶんに引き伸ばされている箇所があります。バスに動きが出た分だけ長くなったのですね。実はこの2小節に伸ばす改訂が行われたのは第2版から第3版への時です。しかし先述の通り第3版は3連符ではなく2分割を基本としたものでした。したがって3連符でかつ2小節のものは現行の第4版のみです。



【クライマックス】

 最後のページこそ、第4版が決定稿たる所以と言っていいかもしれません。


 まず第1版から見てみましょう。右手は相変わらず連打ですが、閑散とした左手と、最後の“in seinen Armen das Kind war todt.”の箇所にご注目ください。



 これが第2版になって、“in seinen~”の音価やピアノとの噛み合わせ、拍子感も変わりました。しかし右手の連打の傍ら、左手が閑散としているのは変わらずです。


 第3版になって、左手の上行音形が増量しました。されど第3版、やはり右手が2分割です。左手が充実してきたかと思えば右手の密度が減ってしまったのでプラスとマイナスです。むしろ右手の密度を減らしたら音楽がスカスカになってしまったので左手を増やした、という可能性も考えられるかもしれませんね。



 そして現在知られる第4版に辿り着きます。超進化です。まさかの両手のオクターヴ連打。ここでは空いている片方の手でもう片方の連打を手伝うという技は使えません。そう、《魔王》の伴奏パートはクライマックスが最も苛酷なのです。しかしそのお陰で音楽には音がぎっしり詰まって、その迫力で聴き手を音楽の中に否応無く引き摺り込むのです。また、歌の“Kind”とピアノが初めてタイミングをずらして書かれていることも興味深いでしょう。歌がより自由にレチタティーヴォできるようにするためのものではないかと考えています。



 なお、ここに挙げた他にも強弱設定などが変遷していることが確認できます。その改訂においてシューベルトが何を意図していたのかを考えてみると面白いでしょう。


 

 シューベルトに限らず、作曲家たちが一つの作品を完成させるために試行錯誤を繰り返した形跡というものは意外に残っているものです。決して一足飛びに作品が完成するわけではなく、ああでもないこうでもないと様々なアイデアを試しては検証し、ベストな音楽を選んでいくという過程を経ているのです。


 ただ目の前に用意された楽譜を読むだけではなく、そこに到達するまでに作曲家たちがどのような試行錯誤を行ってきたかを辿ってみると、今目の前にある楽譜が示す音楽の狙いが見えてくるかもしれませんよ。



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