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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】「易しい曲」「難しい曲」という言い方が指すもの


 俗に「易しい曲」「難しい曲」などという言い方があります。いくつかの名の知れた作品について「初心者向けの作品」などと言われることがあったり、あるいはYouTubeの動画の煽り文句で「世界一難しい曲!」などというハッタリを利かせることがあったりするわけです。


 たかがカンパネラが世界一難しいわけがなかろうよ…という野暮なツッコミはさておきまして、一体何を以て人々は曲の難易度を「易しい」や「難しい」と判断するのでしょうか。バッハのインヴェンションやトスティの歌曲をどうして「初心者向け」と断言できるのでしょうか。


 

 まず想像されるのは身体的動作の難しさでしょう。演奏するその様子が激烈であるほど「難しい」と見られるということです。高速で鍵盤を駆け巡る指や、会場を揺るがす轟音は確かに迫力があり、「難しい曲」であるように見えることも頷けます。


 しかし、これは嫌味に聞こえるかもしれないのですが、派手に見える技巧は案外そこまで難しくはないものです。さすがに一般的な日常生活と同じ体の使い方であるとは言いませんが、スポーツ選手ほど過酷ではないと思います。しかも、あんなにド迫力のリストやラフマニノフの音楽ですが、意外と人間の指のことをきちんと考えているようで、イメージされているほど無茶ではないのです。もちろん、弾き方がよろしくないと無茶になりますが…


 それら派手に見える技巧よりも、本当に難しいのはお察しの通り、微細なコントロールであります。相応しい情感を豊かにもって音楽を奏でられるかどうかということは、力尽く一辺倒で達成できるものではありません。このことに注意するならば、《エリーゼのために》の「ミリミリミ…」という彷徨の半音さえも、決して易しいものであるとは言えなくなるでしょう。楽譜に指示された音をただ鳴らすことと、コントロールされた情感をもって音楽を奏でることの間には大きな山があるわけでありまして、単純に何の曲が易しい/難しいという判断は早計であると考えてもよいと思います。


 

 次に考えられる要因は楽譜を読む難易度でしょうか。単純に見れば音数の多い曲ほど読むのが大変という傾向はあるでしょうし、それはあながち間違いでもないかもしれません。しかし、それだけではありません。音が少なく、短い曲だったとしても、その読譜の面倒さによって「難しい曲」と見られている作品は少なくないでしょう。


 例えばヴェーベルンの遺作に《子供のための小品》という1ページのピアノ作品があります。この曲はシンプルな12音技法で書かれており…と聞いたところで怖じ気づく方もいらっしゃるかもしれません。アーティキュレーションの細かさはありながらも、技巧的には小学生でも弾けるような作品であると思うのですが、とは言え12音技法です。慣れていない人にとっては音同士の繋がりを追うことすら難しく感じられる可能性はあるでしょう。


 クラシックでは楽譜の読み方自体も問われます。楽典の教科書に規定されているような読み方であるとも限らないわけです。それを判断するには、楽譜上には書かれなかった美学や理論についての知識を持っておく必要があるわけでして、これを勉強して実践経験を積むことも含めると、それこそ小学生や中学生の時に弾いたようなモーツァルトのロンドでさえも易しい音楽ではないことを感じていただけると思います。


 

 しかし、なぜこのように「易しい曲」「難しい曲」というイメージが曲ごとに刷り込まれてしまっているのでしょう。想像するに、曲ごとに難易度を規定してしまった方が指導運営において楽だからではないかと思います。「あなたは今このレベルだからこの曲をやりましょうね」というやり方ができるのですね。


 それこそクラシックには膨大な数の作品があるわけですから、何の指針や提示も無ければどんな曲をやろうかということにも迷ってしまうでしょう。ならばだいたいの目安のように曲の提案があることはありがたいことです。しかし、それがいつしか「その曲は易しいから初心者がやるもの」「その曲は難しいから上級者がやるもの」というイメージが作品自体に定着し、演奏したことが無いどころかよく知りもしないのに作品の難易度をランク付けし、もはや「あの難しい曲を弾いているんだぜ!」という表面的なアピールにまで及び始めるとなると、あまり良くない意味で愚直な見方であるかもしれないと思うところであります。


 

 何の曲が易しい/難しいという面が全く無いとは言いません。しかし、易しい/難しいという判断の大部分は、「その作品をどのように演奏するか」という観点に基づくと思います。それこそ、大人になって色々な音楽を経験した後で子供の時に弾いた作品を掘り起こしてみたら、全く殆どその魅力を表現できていなかったことに気付いた…などということさえあるものです。それは作品自体が易しかったのではなく、"自分に合わせて易しくして弾いてしまっていた" とでも言うべきことなのでしょう。


 逆に考えれば、周囲の人たちがこぞって演奏している曲を必ずしも今すぐに自分も演奏しなければならないわけではないということも意味すると思います。どうしても今の自分の力では納得のいく演奏ができない、と思ったならば、経験を積んだ10年後の自分にでも期待すればよいでしょう。その方が断然良い音楽ができる可能性もあるわけです。初学者が頻繁に演奏するような作品だとしても、初学者には到底真似できないような演奏をすれば挽回はできるのです。


 曲を「易しい」「難しい」と言うのは概して表面的な要素であります。この言葉に囚われすぎると、自分の取り組みについても他人の取り組みについても、要らぬ偏見を抱く危険性もあります。そんなに一概に言えるものではないな、と心に留めておくだけでも穏やかに音楽に集中できると思います。

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