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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】コロナ“間”の音楽活動

 また一つ、合唱の伴奏の仕事が飛びました。7月のものです。5月の本番が飛んだ話は既に過去の記事に書きましたが、今現在判断中の7月~8月にわたって行われる本番もそろそろ危なくなってきたことでしょう。3月には「ラ・フォル・ジュルネが飛ばなければいいね~」などと言っていましたが、あまりに楽観視していたと反省しています。


 仕方のないことなのです。舞台の上で大勢が歌えば飛沫も飛びますし、練習だって音漏れを防ぐ密閉空間で大勢が集まって行われるわけですから、ウィルスの蔓延する状況での合唱は端から端までリスクたっぷりの活動です。僕のように、普段引き受ける伴奏が殆ど合唱である(しかも定期ではなく合わせの時だけ呼ばれる)ピアニストには、おそらくこれからも仕事がしばらく飛び続けるであろうことを考えると、なかなか多難な事態になったなと思うところです。しかし、生き延びて合唱を再びやるために、今はどんなにやるせなくともひもじくとも我慢する時でしょう。


 そうそう。ようやく一律現金給付が決まったことは、失業状態がこの先もしばらく続くであろう人たちにとっては風向きの良いニュースでした。量が充分であるかどうかはさておきつつも、方向は適切であると思います。野党がそれぞれに主張していましたが、「マスク2枚」あたりから与党内でも反発が噴出していたように見えました。与党支持者の間でも一律現金給付を望む声が広まっていたという話も聞きますから、結果的には与野党支持を超えて国民の批判が政治に影響を及ぼした一例にはなったことでしょう。「支持者の言うことを聞かない政党の支持はやめる!」という意志表示は意外なほど有効でありましたね。なに、「選挙の時に言っていたポリシーと違うじゃないか!」と思ったらいつでも支持をやめていいわけでして、選挙で決まったんだから従わなきゃダメだなどという精神は国民の心の中に独裁政権があるようなものです。



 閑話休題。


 さて、オンラインの導入によって、アフターコロナの合唱のやり方は、本番の舞台がリアルであったとしても、そこまでの練習過程は大きく変わることでしょう。


 既に、集まって歌えないこの時間を利用してソルフェージュや楽典の勉強会を行う合唱団は増えてきたように感じます。

 そしてここで、「みんなで集まってやる譜読み練習は要らないのでは?」という声が一部で出始めたのであります。この時に「自力で楽譜を読んで歌えるようにしておく」ということは、おそらくコロナが明けた直後に素早く動ける合唱団とそうでない合唱団を分けることになるでしょう。

 つまり、この期間にその力や知識を身に付けておいた合唱団は、コロナ明け前から譜読みを終わらせていて本番を打ち出せる状態に戻るのが早いということです。確かに、今活動を冬眠させてしまってコロナ明けから譜読みを始めるのであれば、そのぶん舞台に乗せられるのは遅くなるでしょう。


 この理想の実現のためには、その譜読みのやり方の指導を欠かすことはできないでしょう。自分でやってこい!はプロならできて然るべきですが、アマチュアの中にはかなりの差が存在します。その「自分では譜読みができない」という人に、いかに「自分で譜読みができる」力を与えられる工夫・運営ができるかどうかが重要になります。実際には今からやろうとすると、オンラインの運用という音楽とはあまり関わらなかった能力も求められるので決して簡単とも言えないのですが。


 単純に「歌えればよかろう!」と思われ、事実そのように譜読みサポートありきで運営されてきたであろう合唱団も少なくない中、この木こりのジレンマ的に目を背けがちな事柄に否応なしに向き合うことになったというのは大きな変化であると思います。


 

 そしてこれはどうやら、合唱に限ったことでもなさそうです。オンラインではどうしても取り零してしまう音楽の要素があることに気付き、ならば演奏をバリバリやるよりも、音楽を “考える” 時間にしようという発想がプロにもアマチュアにも出てきているように見えます。

 緊急事態宣言は5月6日までということになってはいますが、大なり小なりの舞台公演の形が戻ってくるまでは長くかかるだろうと思われます。本番をやりたいというモチベーションだけで、この先をも見えぬ暗黒時代を耐え抜くことはなかなか難しいでしょう。

 拾えるものだけをできる限り拾っておくことが、コロナ後と言わずコロナ間において最大限に音楽に関わる方法であると考えるのであります。

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