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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【演奏後記】第71回 湘南合唱祭:延長し続けた青春の話


 5月12日、小田原で開催された第71回 湘南合唱祭に参加してきました。学生時代から所属している 合唱団DIO と、県央地域の7つの合唱団による合同合唱団 青唱ユースクワイア としての参加です。



 合唱団DIOは今年に入ってから唯一のソプラノ団員の家庭の事情による休団が決まり、急遽編成と曲目を変更しての突貫練習による本番となりました。練習期間は2ヶ月に満たなかったのではないかと思いますが、団員一人一人のガッツによってDIOらしい舞台を作ることはできたのではないかと思います。


 合唱団DIOの曲目は、中世イタリアの作曲家ランディーニの《春は来たりぬ Ecco la primavera》と、昨年亡くなった坂本龍一の《Cantus Omnibus Unus》でした。去年の湘南合唱祭ではジョスカンと信長貴富の組み合わせで「500年差プログラム」とか言っていましたが、今回は600年差プログラムでしたね。


 《Ecco la primavera》は伴奏指定無しの二部合唱です。楽譜自体は歌のパートしかありませんので、伴奏は融通が利くものでした。イタリア語を読むのには苦労したものの、伴奏にリコーダーやカスタネットを使うこと、各パートの配置などは団員たちが出しあったアイデアです。練習時には一からトレチェントやアルス・ノヴァの音楽を聴き漁ったりもしましたね。


 結果的には粗削りな力強い方向性の歌い方や演奏に寄って行ったように思います。演奏後に「民族音楽みたいだった」という感想が聞かれたことについては、狙い通りに届いたと考えてもよいのかもしれません。


 坂本龍一《Cantus Omnibus Unus》は2005年に開催された第7回 世界合唱シンポジウムのテーマソングとして書かれた合唱曲です。曲は殆どソプラノに定旋律が置かれ、下三声が極めて感覚的なハーモニーを加えていきます。今回はソプラノが休団になったため、アルトをソプラノへ、テナーの1人をアルトへ動かして混声四部編成にしました。合唱団DIOは女声1パート+男声3パートという古めかしい編成が図らずも板についてきましたね。


 そして本番1週間前になって「そう言えば楽譜に作曲者自身が『移調してよい』って書いてるね…」という話になり、その場で半音下げて歌ってみたところ、そちらの方が楽に声が出てサウンドも充実するという結果が得られてしまったので、実は湘南合唱祭本番でも半音下に移調して歌っていました。わざわざ移調譜を作り直すなどということはしていません。合唱団DIOには階名という読譜法の浸透は遅れているものの、階名感覚自体は経験的に身に付いていたお蔭か、記譜上の音名と声に出した音高の音名が異なることにはほぼ難無く対応できました。既に膨大な経験はあるので、恐らく「今後一切楽譜読む時に階名で読むようにしようぜ!」ということにしてやり方を1ヶ月も学べばすぐにでも導入できそうな気がします…


 講評によると、こちらについてはラテン語の発音、特に語尾のsの発音が上手く届いていなかったようです。ラテン語がというよりは、外国語の発音が今後の課題になるかもしれません。あまり演奏してこなかった外国語曲に積極的に取り組み始めたのはそれこそ去年のジョスカンからみたいなものですから、順次訓練していきましょうかね。


 

 合唱祭のラスト、合同合唱団 青唱ユースクワイアでの曲目は高田三郎の組曲『水のいのち』から終曲《海よ》、信長貴富《くちびるに歌を》、そして松下耕の《ほらね、》でした。それぞれの指揮者が「どうしてもやりたい」と思った曲をとにかく並べたプログラムです。各々のこだわりが発揮されたと思います。


 僕は《くちびるに歌を》のピアノ伴奏を務めさせていただきまして、他2曲は歌う側にまわりました。曲を選んだのは指揮者ですが、僕もこの《くちびるに歌を》は以前から演奏したかった曲でしたから、練習時には一伴奏者の立場を越える形で勝手に対訳を作ったり発音指導をしたり、楽曲の解釈について色々と意見をぶちまけて煽ったりもしましたが、本番では一人一人の思いが迸っていてむしろこちらが負けじと踏ん張ったほどでした。


 決して時勢を鑑みて選曲をしたわけではないはずですが、しかしこの《くちびるに歌を》はまさに現在の世界を生きる人類に強く訴えかける曲であると思います。多くの人間が支配欲と憎悪に傾いてしまっている今の世界においてこそ、人間は温かさを思い出さねばならないでしょう。朗らかな歌を携えて、太陽のように温かい心をもって、苦境に立つ人類の同胞のために言葉を紡ぐことです。「ひとのためにも言葉をもて」という訳は、「他者(ひと)」という直訳の他にも、「人類(ひと)」という意味も重なっているのではないかと、個人的には考えています。


 一人一人が声を出しあって心を結集する時、合唱団や個人という境界は消失し、人間たちは一つの音楽になると思うのです。ベートーヴェンが第九においてシラーの言葉で「全ての人類は兄弟になるのだ」と合唱に歌わせた理由を、もう皆が理解を越えて体験してしまったでしょう。講評の新実徳英先生が「平和だからこそ歌が歌える」と最後に仰っていましたが、逆に、歌うことによって平和を生み出せるのではないか…という希望がちらついたのも確かです。混迷の時代であるからこそ、諦めずに歌い、人々の心に少しでも温かさを分け与えるということが、現代の音楽の使命なのではないかとも考えました。


 青唱ユースクワイアは今回をもって一旦合同合唱という形態を休止します。個人的にはぶっちゃけ去年の時点で完全燃焼できていたようなものでして、今年もやると聞いた時には「色々と保たんぞ!?」と思ったほどでした。どうにか今期も走り切りましたが、もう流石にインプット期間が必要です。青唱ユースでの経験を各々自団に持ち帰り、それぞれなりに消化・昇華して、それぞれの音楽が新たなフェーズに突入した時にこそ、新たな合同合唱ができるようになるでしょう。いつかまた合同を組むまでの期間の長い宿題が出たと思いましょう。


 

 ところで、今回の湘南合唱祭の客席にはわざわざ横須賀から僕の両親も来ていました。二人とも普段は合唱とは関わりがありませんし、この規模の合唱祭を長時間聴くのも初めてであるはずです。


 青唱ユースクワイアの演奏まで聴いて、僕を拾って横須賀まで一緒に帰ったのですが、その帰路で「最後の合同合唱を聴いて、いつぞやの高文連(神奈川県高等学校文化連盟)の合同合唱を思い出したよ」という感想を言っていたのでした。それは僕が高校生の時に参加していた、神奈川県内のあらゆる高校の合唱部が集った合同合唱です。現在の合唱団DIOを構成するメンバーと出会ったのはまさにその合同合唱においてでしたし、青唱ユースクワイアを成すDIO以外の合唱団のメンバーの一部もその舞台に乗っていました。


 なるほど、今の仲間たちと出会ったあの合同合唱が、そのままの顔をして青唱ユースクワイアの中に生きていたということです。16年越しの大規模な伏線回収です。歌い続けることによって、合唱の青春を16年前からずっと延長し続けてきていたという、あまりにもシンプルな事実に気付いたのでした。「一生青春」などというちょっと臭い言葉も、案外夢の話ではないのかもしれません。


 生きてきた歳相応には音楽を深めつつ、一方で魂の若さを失わないまま、青春を続けていきたいものですね。

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