【感想】Ensemble Toneseek Vol.4『前衛音楽と101年目のシュルレアリスム』
- Satoshi Enomoto

- 9月25日
- 読了時間: 5分
※ネタバレ注意!

Ensemble Toneseek Vol.4『前衛音楽と101年目のシュルレアリスム』を聴いてきました。なんだかんだで武満徹の《サクリファイス》もブーレーズの《ル・マルトー・サン・メートル》も生で聴くのは初めてです。それらの体験も楽しみにしつつ、公募で選ばれた2作品にも興味を持ちました。
実際に聴きに来てみると、公募の2作品は前情報を知っているとインパクトが減るような気もしたので、ネタバレがあっても大丈夫と判断した方は続きもお読みください。
河西祐季《ため息とプラスチックチェーン》というタイトルは既に行く前から認識していましたが、会場に入ってまず目に飛び込んできた舞台上の楽器にはプラスチックチェーンが渡されていました。チェーン(鎖)を楽器として扱う前例はありますし、プラスチックチェーンが楽器として扱われてもそれ自体に不思議は無いでしょう。確かにそれでもパッと見で「演奏スペース閉鎖されてる?」と視認したことは白状します。
音楽としては、楽器によるノイズ的なサウンドを含みつつも音組織自体は抒情性を感じさせるものであったと思います。むしろこの後に聴いた武満徹《サクリファイス》の方が相対的に険しいサウンドであるように聴こえたほどでした。
奏者がプラスチックチェーンを巻き取る時に鳴る音は想像していたよりも更に軽く、正直目隠しをしてタイトルも知らずに聴いたら「これ何の音…?」と思う程度のものでした。本当に金属製のチェーンを用いたらサウンドも派手になりシリアスさ・おどろおどろしさも増すのでしょうが、そんな後期ロマン派みたいな情景を喚起する音はここでは求められてはいないということでしょう。
巻き取り切ったプラスチックチェーンの音だけが残り、フェードアウトと会場の暗転によって曲が終わりへ向かっていることが認識されました。確かにその終わり方は風情があるな…と思ってしみじみしたのも束の間、そこはまさかの終わりではなく、歌い手の息と楽器の微かな音が息を吹き返しました。戻って来るんかい!と内心ツッコミましたが、そう言えば曲のタイトルは《ため息とプラスチックチェーン》であることを、曲が終わった後で思い返しました。
武満徹《サクリファイス》を挟み、渡部瑞基《Virelai》もまた最初からその異様さを見せつけられるものでした。
まず、歌い手とフルートが電子メトロノームかけながら舞台袖から出てきました。てっきり舞台袖から音楽が始まっているタイプの曲だと思い、奏者が出てきて普通に(メトロノームが鳴っている時点で普通はないが)お辞儀をした時には、果たして拍手をしてよいものかどうかを迷ったのは僕だけではなかったでしょう。
歌い手、フルート、ボンゴ、銅鑼という編成もさることながら、その配置があまりにも特徴的でしょう。ボンゴの周りを、歌い手とフルートが床の円形に沿って、各々のメトロノームのテンポに従って歩きながら音を発します。メロディというわけではなくぶつ切れの音ですね。タイトルの《Virelai》、すなわちヴィルレーは中世の音楽の形式ですが、その語源はフランス語の「回転する」に由来します。
この様子自体はアルゴリズム方式のミニマルミュージック的な何かであろうかと思いました。途中で歌とフルートにおいて単発的に異常な変化が呈される部分も見られました。
一方の銅鑼はいかにもガラの悪そうな姿勢で、もはやふんぞり返って待機していました。もちろんそのような演出であるということは理解していました。歯車として回り続ける歌とフルートに対する監視者としての立ち位置ですね。
周回が進んだある時点から歌い手が早口で不満を捲し立て始めます。メトロノームに合わせて声を単発的に発するだけの苦役に抗議の声を上げるわけです。それを受けて、それまでふんぞり返っていた銅鑼が声を掻き消さんばかりに強打・連打されます。抗議の声を圧倒的暴力で圧し潰す様に見えます。その後、歌はもう一度外に向けて(客席に向けて)現状を訴えかけますが、すると再び銅鑼が連打のポーズを取って脅しをかけ、歌を黙らせます。非常に暗示的な構図でした。
ステージ上の床の模様の上を歩いているとばかり思っていたのですが、休憩に入ってからすぐに近付いて見に行ってみたところ、遠目から模様に見えていたのは床に張り付けられた楽譜でした。五線譜だけでなく「何回目にどうする」みたいなことまでメモされており、演出は予めきちんと調整されてあったのかと驚きました。
休憩を挟んで後半はブーレーズ《ル・マルトー・サン・メートル》。今年はブーレーズの生誕100年ですね。何を隠そう個人的にブーレーズは「よくわからん」作曲家の一人です。《ノタシオン》《アンシーズ》あたりはまだ受け止められるものの、ピアノソナタ群はようやく聴けるようになってきた程度、《ストリュクチュール》は未だにどこが美味いのかさっぱりわからず…自分にとって基本的に苦手寄りなブーレーズ作品の中では、《ル・マルトー・サン・メートル》は楽しめる側の作品です。
今回の演奏では立体感を感じることができて非常に楽しめました。特に打楽器群の音色の組み合わせの妙は普段の音源や動画で聴くよりも明瞭に聴き取ることができ、もはや確かな音楽体験としてようやくこの作品を受け止めることができたようにさえ思います。
同時に、ブーレーズがこの《ル・マルトー・サン・メートル》を完成させたのが1955年のこと、作曲者は30歳の時分であることに背筋が伸びる思いです。戦後のトータル・セリーの運用を早くもこの段階まで運び、その後の前衛音楽への筋道を示した作品であるということを今一度確認し、その後に続いている我々がどのように音楽を作ることができるかということを考える材料にしたいものです。
大変に刺激的なコンサートでした。今後も企画が楽しみです。







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