【雑記】祖父がギターを独習していた時に使った資料類を発掘した
- Satoshi Enomoto
- 5月31日
- 読了時間: 4分
昨年亡くなった祖父が若い頃に趣味でギターを弾いていたらしいという話は生前から知っていました。そのギター自体も僕が実家にいた頃から目の届くところに剥き出しで転がっていましたから、それが誰のものかを聞けば自動的に祖父の名前が出るわけです。榎本家には趣味での楽器経験者が多いものの、ギターを弾いていたのは唯一祖父だけでした(後に僕の末弟がエレキギターを弾くようになりましたが)。
その祖父のギター自体はあるものの、少なくとも僕が物心ついた時から一度も祖父はギターを弾いていませんでしたので、祖父の趣味ギターの腕前の程はわからず終いでした。いや、それどころか祖父がそもそも音楽をやっているところすら見たことは無かったのですけれども。
祖父が亡くなってから1年が過ぎましたが、身の周りの整理をもはや自力ですることができない状態で亡くなったため、実家では今なお遺品の整理が続いています。
そんな中で先日、錆びた洋菓子詰め合わせの空き缶に収められたギターの楽譜を発見することとなりました。

鶴田壽夫『歌謡曲を弾くための一週間ギター独習』
新興楽譜出版社、昭和26年発行
新興楽譜出版社は現在のシンコーミュージック・エンタテイメント(シンコー・ミュージック)です。そうか、シンコー・ミュージックってそんなに古い会社だったんだな…。冊子を中綴じしていたホチキス針(?)はものの見事に腐食して粉々になっており、手を離すとページは全部バラバラになるような保存状態です。
僕は高校の音楽の授業でギターも習いましたが、授業内の課題がようやく弾けた程度に留まりましたので、この教本を見て「一週間でギターなんか弾けるようにならんかったが???」と思ったりもしました。実際にまたギターをやってみようというつもりは今のところありません。
当時(1951年)時点での流行りの歌謡曲が色々載っているようです。基本的にタブ譜ではなく五線譜で書かれていまして、コードネームも併記されているわけですが、例えばG7のコードを「Gセブンス」ではなく「Gシチ」と呼んでいるあたりには時代を感じますね。
所々に祖父の手によるものと思われる運指(?)のメモ書きがあるため、果たして一週間で弾けるようになっていたのかどうかはさておき、それなりに取り組んではいたのかもしれません。とは言え、この教本1冊しかギター関連の書籍が見つかっていないこと、生前ギターを弾いているところを見たことが無いこと、ついでに祖父の性格を考えると…この1冊で満足してそれ以降はギターを弾かなかった可能性があります…(笑)
さて、身内のギター独習話はさておきまして、この教本の冊子の間に、教本のページとは異なるプリントが1枚挟まっていました。教本本編には楽典に詳しく触れている記述はありません。最初にこのプリントを見つけた時はてっきり教本の附録かと思っていましたが、もしかすると教本ではなくギター本体の附録であった可能性もあります。
そのプリントの内容が現在からすると興味深いので、写真に撮ってシェアしたいと思います。

移動ドで表記された音階とギターのフレット上の位置を示した一覧表が付いていたのでした。半音と全音の区別も、このようにして書き出してみると、ギターでも意外と視覚的に理解しやすいですね。画像は長音階ですが、短音階の表もありました。
日本で固定ドが幅を利かせるようになったのは戦後のことです。戦前には階名(移動ド)や数字譜もきちんと学習されていたはずで、終戦から間もない頃に楽典の説明を書く人間はやはり移動ド育ちの音楽家であるということになるのでしょう。
重ね重ね書きますが、僕は祖父が音楽をやっているところを見たことがありません。榎本家の家庭内において音楽面で僕にはたらきかけていたのは圧倒的に祖母と父であり、祖父からの音楽的影響は全く無いと言って差し支えないでしょう。しかし、この移動ドで書かれた音階の表を祖父が参照した形跡があることを見るに、祖父もまた移動ドで音楽を学習した世代の一人だったのだなという感慨を覚えます。
10年以上前にとりあえず弦を交換したきり誰も弾いていないギターは、今もなおひっそりと実家の床の間にいます。僕自身はギターまで練習している余裕はもう今のところありませんし、そもそもきちんと修理に出さなければいけない状態です。
祖父の形見らしい形見になってしまったのも事実ですし、榎本家が所蔵する楽器の中で最も古いものであるということもあって、埃がかぶるままにしておくのも気が引けるのですよね。諸々のことが片付いた時にでも、せめてこれを飾っておくスペースでも確保しましょうかね。

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