とうとう新型コロナウイルス感染症に罹りました。日頃から気を付けていたのは勿論なのですが、しかし要因が色々重なったということも言えるような状況でしたので、このように書き残しておくことが注意喚起にもなってくれることでしょう。
【状況背景】
①
まず、僕が予防接種を受けたのは2022年の10月頃が最後だったと思います。そこから半年後の2023年4月に「予防接種を受けて副反応で寝込むための時間的余裕が取れない」という話をした記憶があります。カリッシミの『イェフタ』を上演した時期であり、引きこもりの弟に職場スペースを破壊されて実家出奔を決めた時期でもありました。よって、予防接種の効力は切れているも同然でしょう。
②
僕は5月頭から横須賀に戻っています。仕事場の家賃は下がったものの交通の所要時間は増え、夜の仕事を終えてからの帰宅時間はかなり遅くなることも。最近になって夜遅い仕事でのエネルギー消費が大きくなってきたのは感じています。介護が無くなった現在でも生活スタイルは実家と仕事場を行き来する形であり、むしろ頻繁に実家の家族とは会えるようになっています。
また、末弟は教育関係の仕事をしています。勤務先ではやはりコロナがじわじわと感染を広げているようですが、一方でマスクをしない人も増えているということでした。
③
そして先月下旬に祖父が亡くなりました。コロナではなくほぼ老衰でした。とは言っても急ではあったので、葬儀やその他手続きなどに走り回ることとなり、特に僕と両親あたりが忙しかったでしょうか。傷心の祖母にはできるだけゆっくりしてもらいつつ、引きこもりの弟は遂に葬儀にも参列せずといったところで、家族全員がコロナに罹った中で症状が重かった人と軽かった人の差が意外と日常の忙しさに従うものでした。
【前日まで】
最初に病気の兆候が現れたのは末弟でした。喉の痛みと咳、微熱があったようです。同じタイミングで僕は外での仕事が入っていたために、この数日は殆ど末弟とは会っていませんでした。末弟の微熱は二日かからずにおさまり、疲労から来た風邪だと判断されるに至ります。
間も無くして次は母が喉の痛みと咳、発熱を訴えます。今度は38℃という高熱でしたので、流石に手元の抗原検査キットでコロナの検査を行いました。結果は陰性でした。きっと末弟からもらった風邪が悪化したのだろうと考えつつ、父と手分けして看病のための買い出しに行ったりもしました(これを後で自分でも消費することになります)。医療従事者である母はワクチンを打ち続けているので、コロナに罹るとしても最後だろうと思っていた節もあります。
【1日目:36.5℃】
朝起きてすぐに喉の痛みを自覚しました。これは母の"風邪"をもらってしまったに違いないと確信しました。この時点でコロナだとは全く気付いていません。特に普段の風邪とは明らかに異なるような痛みでもありませんでしたし、熱を測っても平熱でした。同時に父にも僕と同じ症状が出ます。この時の僕はコロナとは全く関係の無い虫歯の方が痛かったため、あろうことかコロナと気付かぬまま歯科を受診しました。平熱なので病院出入口の体温モニターにも引っ掛かりませんでした。一応は内科も受診したものの、家族にコロナはいないかと聞かれたのに対し「昨日母が抗原検査をして陰性だった」と答えることになった上に、僕自身が平熱であったことも相俟って普通の風邪薬が出ました。
夜になって少し怠さを感じたような気もしますが、特にそれほど違和感らしい違和感は無かったと思います。実家にて就寝。
【2日目:38.5℃】
早朝に目覚めるなり、明らかに体調がおかしいことに気付きました。昨日より格段に悪化した喉の痛みと咳、そして測る前からアウトだとわかる高熱。体温計で実際に確かめつつ、もしやと思って抗原検査を実施した結果はバッチリと陽性でした。母と同じキットを使ったのですが、結果の出る順が逆であればもう少しマシな対応を取ることができたろうと思うと痛恨の極みです。ちなみに同じタイミングで父も38℃の熱を出し、僕の検査結果をもって後からコロナの侵入を許していたことが判明するというまさかの経緯となりました。
咳をする度に体力を確実に削られていくような状態で、次第に喉が切れて血が出始めました。吐く痰にいちいち血の筋があるという有り様です。食べ物は悉く喉に沁みるのでお粥とゼリーでやりすごすことになります。この日から既に味覚が薄まっていました。
【3日目:38.6℃】
解熱鎮痛剤を飲んでなお38.0℃という地獄のような状態でした。ここまで解熱剤が効かなかったのはこれまでの人生ではあまり見覚えがありません。一日の中では昼頃が比較的楽になり、夕方以降がだんだんキツくなるというパターンがあったようには思います。18時過ぎくらいに悪寒が出現するのでだいたい時刻がわかりました。ありがたくないですね。
味覚障害はこのあたりで決定的になりました。アクエリアスが薄いどころか微妙に苦い。お茶に関してはもはや無味無臭。梅干しが酸っぱいものであるという方向性だけはわかる。
血中酸素飽和度もこのあたりで96%という数字を見るようになりました。軽症の範囲内ではありますが心配にはなり始める数値でしたね。咳で苦しいのか肺がやられて苦しいのかはもう自分で判断できませんでしたが。
この日には祖母と引きこもりの弟も咳をし始めました。祖母はワクチンを打っていたからか、この一日咳をしただけで症状は終わり、家族内で唯一全快しています(もはや罹っていなかった可能性すらある)。引きこもりの弟は咳と微熱があったようですが、こちらも一日で熱は引き、咳が若干残るだけとなりました。僕と母と父がほぼ寝込んでいるため、買い出しは末弟が奔走してくれました。
【4日目:38.3℃】
流石にしんどくなり始めたあたりです。発熱が始まってから3日間は延々と続く38℃台を覚悟した方がよいかもしれません。この時、他の家族は快方に向かい始めていて、まさかの自分が一番重い症状を引き当ててしまったという事実を思い知ることになりました。以前から世間に「コロナはただの風邪」派がいることは目にしていて、我が家でも結局引きこもりの弟(ワクチン未接種)のように殆ど "ただの風邪" 同然の症状で治ってしまった場合が出ましたし、なるほど、運やコンディションにも左右される代物なのだなと改めて考えました。
自宅療養でやりすごすつもりでしたが、耐えかねて内科を受診し、肺炎の既往歴もあるので念のためレントゲンも撮っていただきました。異常は無かったようです。
この日の夜にはようやく久しぶりに37.2℃という数字を見ました。
【5日目:37.8℃】
解熱剤が切れたら結局上がるんかーい!というのがこの日の朝の感想でした。予想していた以上に熱は下がりにくかったと言ってよいでしょう。それでも熱が比較的下がったぶん、それまでよりも具合は確実に良くなっていました。解熱剤を飲めば微熱同然の体温でしたからね。
しかし一方で、この日から下痢をするようになりました。この前日まで殆ど便通が無かったことに、この時に気付いたのです。食べるものは食べていたはずなのですが。
【6日目:37.1℃】
ようやく平熱が見えてきました。コロナからの快復がもっとスムーズであったならばこの日の本番の10分だけでもどうにかできるか…などということを考えた瞬間もありましたが、朝の体温を測る限り、結果的に体調が許さなかったろうとは思います。声はガラッガラで歌うことは到底できませんし、下痢続きでトイレとお友達です。
コロナの発熱が目安として3~5日間続くと言われているようですが、僕はこの時点で5日間続いたわけです。
【7日目:36.5℃】
ようやく解熱しました。この時点で、
・頭痛
・喉の痛み
・咳
・味覚嗅覚障害
・下痢
…といった症状が残っていましたが、喉の痛みと味覚嗅覚障害に関しては快復に向かっている感覚がありました。
やはりここまで重く症状が出たからか、疲労しやすくなっていることは納得がいきました。僕の次に重く症状が出た両親にも話を聞いてみると、どうやら疲労しやすくなったことは感じているようで、やはり一定の症状が出るとその後にもかなり引き摺るのかもしれません。
【現在】
解熱から一週間が経過しましたが、なんと頭痛と咳と下痢の症状は続いています。介護の手が必要という程ではないものの、日常生活には微妙に支障が出ているのが現状です。咳き込んでしまって歌えないのは言わずもがな、昼に仮眠の時間を設けてどうにか体力をマネジメントしています。階段を登って息切れするなどということはありませんが、長距離歩いたり走ったりはしばらくできないでしょう。ピアノを弾くことはできるのがせめてもの救いです。
聞くところによると、感染者数もまた増加しているようです。罹った場合の症状が本当に "ただの風邪" レベルのものから重いものまで幅広くあるという点が、どうしてもこの感染症に対する認識の分断を生んでいるのでしょう。僕の場合は運良く肺炎に至らなかったので「軽症」と呼ばれる部類であったわけですが、個人の体感としてはインフルエンザの方が圧倒的にマシと断言してよい程度にはキツかったです。
快復したからよかったものの、これがもし重症化の方向へ向かおうものならあの高い薬を買わねばならなくなるというわけか…なんてことは考えました。ただでさえ本番も含む仕事を一週間分まるまる飛ばして大減収を被ったところですし、かと言って完全な本調子はまだ当分戻ってきそうにありません。あと一ヶ月くらいは怠いまま仕事をすることを覚悟しています。
この記事をここまで読んでくださった皆様も、今一度ぜひコロナに御用心ください。運良く軽く済むよりも、運悪く重く長引く方を想定しておいた方がよかろうと思います。
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