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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【感想】大内暢仁『オール・バロック・コンサート シュタイングレーバーの音色に乗せて』


 今年に入ってからというもの、どうしても都合が合わず、我が推しクラシック音楽ユニット ResonanCe 関連のコンサートに行けないまま12月まで来てしまいました。


 メンバーのうち、大内暢仁さんのコンサートの日程だけはかなり早い段階で告知されていたため、自分のコンサートを1週間後に控えた身でありながらも、どうにか予定を調整して足を運ぶことができました。


 以下、感想を書いていきます。プログラム冊子の中身は掲載公開しないようにお願いされているので、ネタバレはほぼ無しの方向で。




 今回は様々なバロック作品をモダンピアノで演奏する企画…しかも、大内さん自身の手によるゲマトリア(数秘術)等の解説プログラムとトーク付き。お馴染みの作品についても、捉え方並びに演奏法において新たな視点に立てたり、あるいは既に気にはなっていた考えを深めたりできるものでした。


 冒頭はJ.S.バッハの《ゴールドベルク変奏曲》のアリアとヘンデルの《組曲 ト短調》からサラバンドが続けて演奏されました。この二作品の類似を示すためのものでしょう。《ゴールドベルク変奏曲》は多くの謎を含む作品でありまして、そこに迫る取っ掛かりとして周囲の音楽から辿るというプログラムは聴取において効果的だと思います。


 続いてはF.クープランの《メヌエット ト短調》と《神秘的な防壁》。これまたF.クープランは不思議なタイトルを持つ楽曲を書くことで知られますが、地理や歴史的な方面からの解釈はなかなか面白く、一つの納得がいくものでした。バッハの考えとの繋がりの可能性についても言及されましたね。


 そしてJ.S.バッハの《平均律クラヴィーア曲集第1巻》からハ長調と変ホ短調の前奏曲。これらは今回のプログラムの中では最も知名度の高い部類でしょう。


 ハ長調の前奏曲は僕自身も「どうしたらいいかわからない」にぶち当たり、結局無難に平坦に弾いてしまいがちな曲なのですが、大内さんは即興的に揺らし、特定の音を強調しながらエモーショナルに音楽を作っていました。実はこの曲の大内さんの演奏を聴いたのは2度目なのですが、前回聴いた時よりもその意図が掴めた気がします。


 また変ホ短調の前奏曲については、それとセットになっている嬰ニ短調のフーガと併せての解釈トークもありました。ただの異名同音調と割り切ることもできはしますが、変ホ短調と嬰ニ短調では後者の方が珍しい書き方ですし、やはりどちらかに統一せず前奏曲とフーガで異名同音調に書き分けるというのは何らかの意図があってのことでしょう。多くの人は「なんでだろうね…」で止まるのが常ですが、今回の大内さんはそこまで突き詰めて解釈し、その通りの前奏曲を披露してくれました。


 どうしても《平均律クラヴィーア曲集》は、巷で「単にポリフォニーの練習曲」としてのみ扱われがちな《インヴェンションとシンフォニア》の延長上として捉えられてしまい、結果として無機的な練習曲のように弾かれることが残念ながら多いのが現状でしょう。性格や表情豊かで、ストーリーまで感じさせるような演奏は改めて新鮮でした。


 ブットシュテットの《フーガ ホ短調》は初めて聴く曲でした。そもそもブットシュテット自体「名前をどこかで見たような気がしなくもない」という作曲家でしたし(パッヘルベルの弟子でした)、少なくともその作品を聴いたのは今日が初めてです。このフーガはピアノで演奏するのは難しいらしい…という情報は解説を読んでいたものの、実際に演奏が始まって数秒で「そんなフーガがあるかい!!!」と言わんばかりに斬新なフーガでした。大内さんはド迫力で弾き切っていましたが、正直榎本には真似できる気がしません。


 休憩を挟んでブクステフーデの《パッサカリア ニ短調》は、やはり大内さんのライフワークたる作曲家であることもあってか、解説文さえも他の曲に比べて多くて詳しいという気合の入りようで、その解釈解説に違わない劇的な演奏を聴くことができました。ただの変奏が連なっているだけではない、筋書きを持った展開が進行できるものなのですね。


 この後はバッハの《平均律クラヴィーア曲集第1巻》からヘ短調の前奏曲、パッヘルベルの『アポロンの六弦琴』よりアリア《ゼバルディーナ》、同じくパッヘルベルの《シャコンヌ ヘ短調》、そして最後にビーバーの《守護天使のパッサカリア》までを曲間無しで駆け抜ける内容でした。《シャコンヌ》だけは大内さんがこれまでに何度も公の場で披露している上に解説もしてくれているので情景は言わずもがなというところですが、残りの3曲については大きな謎を投下しましたね。その謎を大内さんなりにゲマトリアなどで受け止めつつ、ドラマティックな音楽が作られていました。


 「アンコールも一応用意していたけれど」と言いつつ、これらのプログラムで疲れ切った大内さんが当初の予定を変更して弾いたのは即興からのベートーヴェンの《6つのバガテル》Op.126-5でした。そういえばベートーヴェンなんかにもゲマトリアは隠れていたりするのでしょうかね。僕も調べたことが無かったので少し気になってきました。


 現代からそれなりに離れた時代の音楽を演奏する時、やはり楽譜の表面上に現れないものを想像するハードルは上がるでしょう。その結果が「とりあえず楽譜の表面上に書かれたことをそのままやる」という演奏方針であり、これは往々にして無機質で平坦な演奏を生みがちです。先述の《インヴェンションとシンフォニア》や《平均律クラヴィーア曲集》などが、その情緒や情景に意識を向けられることなく、即物的なポリフォニー演奏のトレーニングとしてのみ扱われがちであることも、そのような事情に起因すると考えられます。


 情緒や情景を内包する、単に物質的でない活き活きとした音楽を実現するために、様々な材料から想像を膨らませなければならないということを改めて実感したコンサートでした。



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