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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】3.11と《波の上を渡るパオラの聖フランチェスコ》

 東日本大震災から10年が経ったそうです。


 2011.3.11は高校を卒業した春休みでした。数日前には高校の仲間たちと熱海へ卒業旅行に行ってきたところです。そしてその日は午前のうちに大学へ書類を提出しに行ってきたのでした。


 地震の発生は帰宅後まもなくでした。父は仕事、弟2人は学校(高校と小学校)へ行っており、とりあえず母は小学校まで末弟を迎えに行き、僕は電池を買いに走りました。横須賀も一晩停電したはずです。地元では地面が波打つのも見ましたが、特に大きな被害は出ず、むしろラジオから定期的に報告される被害状況の拡大に精神が参っていました。直後はTVが映らなかったので、津波の様子を見たのは停電が復旧した後です。


 特に身内や地元に被害が出たわけでもないのですが、災害の前には芸術が無力であることを痛感させられたのでした。被災地に音楽を届けたいとか、義援金を集めるためのコンサートを行ったりとか、そのように行動する人たちのことも見てはいましたが、どうしても2週間ばかりピアノを弾く気力が起きなかったのを覚えています。たくさんの人が死んでたくさんの人が家を失ったというのに、のうのうと自分がピアノを弾いているのは一体何になるのか、という感触が拭いきれなかったのですね。


 4月から音大に行くことが決まっていたところで、このことをぐるぐると考え始めてしまったわけです。思えば情緒超絶不安定からのスタートだったかもしれません。当時練習していた曲はリストの《伝説》の2曲目『波の上を渡るパオラの聖フランチェスコ』でした。聖フランチェスコが海峡を歩いて渡った伝説を題材とする、聖歌風の音楽や荒れ狂う波の描写が聴こえてくるような曲なのですが、この時ばかりは"人間が災害を乗り越えていくこと"をこの作品に託していたような記憶があります。


 10年が経ちました。あれから猫が増えたり、コンクールに落選したり入賞したり、コンサートを自主企画するようになったり、合唱団の伴奏に呼ばれたり、オンラインレッスンを始めたり、人間関係も色々変遷したりしました。今は、また新たな"波" ── 新型コロナウィルスの脅威が依然として続き、そのために生活苦を強いられる人は少なくないと思います。


 ここからまた、足掻きながらでも、手を繋いで波の上を渡ってゆきましょう。


 

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