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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

12/16リサイタル後記と、生きているドビュッシーの話

 宮口遥名×榎本智史ピアノデュオリサイタル、なんとか終演しました。キャンセルが出た一方で当日券が売れたりして、最終的な入りは32席でした。聴きに来てくださった皆様、ありがとうございました。


 

 前半は各々のソロでモーツァルトのソナタを、後半は連弾でドビュッシーの《交響曲》と《6つの古代の碑銘》を、そして最後におまけで「ドビュッシー風きよしこの夜」をお届けしました。

 僕のソロは挑戦しすぎて事故りましたが、明るく爽やかという一般的イメージとは異なるモーツァルトの一面を提示できていたらいいなと思います。幻想曲やソナタの第2楽章の途中に即興演奏パートを挿入する試みもある程度は上手くいきましたし… しかしやはりハ短調ソナタの壁は大きかったですね。今回で一度封印しますが、将来的には30分ぶち抜きのレパートリーとして持ちたいです。一方で宮口さんのソロはもう惚れ惚れする完成度で、自分のソロを待つ舞台裏ではなく聴衆の一人として聴きたかったですね。自慢の後輩とか言える立場ではなく、もはや一音楽家として尊敬しています。僕もこうやってモーツァルトを弾けるようになりたいものです。

 お客さんたちにはドビュッシーが好評だったようです。特に《交響曲》でしょうか。ドビュッシーのスケッチを元に、パートの割り振りを変更したり、音を書き足したり、書き間違いと思われる音を直したりといった校訂作業を合わせ練習の中で二人で考えて行いましたが、ちゃんと良い形には到達できただろうと思っています。プログラムの中では一番知名度が低いので、それこそ曲を知っているお客さんがいないという状況だったかもしれないのですが、終演後に「初めて聴いたけど良い曲だと思った」と言ってくれる人も何人かいらっしゃって嬉しかったです。《6つの古代の碑銘》と合わせて、なんとかドビュッシーに供えられる演奏はやり遂げられたのではないかなと。

 アンコールという言葉を使うのが躊躇われたので「おまけ」などと言って最後に弾いたのがお馴染み《きよしこの夜》でした。実は既存の作品でちょうどいいものが見つからずに決めかねていたところを、僕がふと思い付いて遊び半分に弾いたアレンジを宮口さんも気に入ってくれたので本格的に連弾にしたというのがこのアレンジの経緯です。ドビュッシーの音楽語法を色々と駆使してみたわけですが、ドビュッシーは戦争や病気で辛い晩年を過ごしていて、戦争への憎しみから《もう家のない子のためのクリスマス》という歌曲も書いたぐらいなので、せめて穏やかなクリスマスでドビュッシーのメモリアルイヤーを締め括りたいという思いもありました。


 

 クラシックの音楽家(演奏家も作曲家も)は過去の音楽家たちの存在からの影響を免れないわけですが、むしろそうやって影響を受けた現代の音楽家である僕たちが演奏をしたり作曲をしたりすることで、死んだ音楽家たちは“生き続ける”ことができると思うのです。100年前に死んだドビュッシーは、今生きている僕たち音楽家の音楽の中で確かに生きているし、もしあなたがその音楽を聴いて感動したら、あなたの中でドビュッシーは息を吹き返すのです。音楽に触れる幸せの一つはそういうことだと思います。

 没後100年のメモリアルイヤーだからと今年積極的に取り組んでみたドビュッシーでしたが、とても大事なものを知ることができた気がしました。



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