• Satoshi Enomoto

【楽典・雑記】原義を重視しすぎても…


 現在用いられるクラシック音楽の演奏記号の多くがイタリア語(ドイツ語、フランス語などもある)であることは一般にも知られているでしょう。音楽辞典を引いても演奏記号としての意味は載っていますが、イタリア語辞典などで原義を調べてみるのも面白いものではあります。音楽の中で使っていた意味とは別の、知らなかった意味が出てきたりしますからね。


それはそれで殊勝な心懸けだと思います。思うのですけれども…


 ただ、どうしても音楽の中で用いられるその言葉の数々は、原義のニュアンスを反映している面は持ちながらも、やはり音楽の中の記号にすぎないとも考えられるのです。それは原義にとらわれすぎない、実際の使われ方に起因します。例えば時代によって速いか遅いかで方向が変わってしまうAndanteをみてみましょう。古くは進むニュアンスを持つ演奏様式を指し、それが転じて比較的速めのテンポを指すようになったこの標語は、時代が下って比較的遅めのテンポを指すようになりました。元の動詞 "andare" の原義自体は「進む」であるわけです。しかし、そうであるからして「ゆっくりなテンポは間違っている」ということを全否定はできないのです、なにせ標語としての意味が変遷してしまっているので。そして逆に、現在比較的遅いテンポを指していると言っても、速めのAndanteを誤りだとすることもできないでしょう。


 演奏記号として書かれた指示を、なにも楽典の教科書に列挙されるような一対一の意味対応で考えようという話ではありません。かと言って、言葉の原義に音楽のニュアンスを求めようとするのも、それはそれで機械的ではないかと思うのです。楽譜の中で記号として使われるものですから、元の言葉とは意味が変わってくる面があるということです。


 それこそ、例えば速度標語も使われ始めた当初は、楽曲中の速めのテンポと遅めのテンポを区別できればよかったという単純なものであったようです。AllegroもPrestoも、その言葉の原義はスルーして「速めのテンポ」や「標準のテンポ」という意味で、またAdagioやLargoなども「遅めのテンポ」や「標準よりは遅いテンポ」程度の意味で大きな区別無く用いられたということです。それで用が足りたということもあるでしょう。


 espressivo「表情豊かに」という発想標語があります。これを見たときには、きっと音楽の表現をちょっとしつこくしてみたりでもするでしょうか。ところで、ベートーヴェンのピアノソナタ第30番の第2楽章には、espressivoとa tempo「元のテンポに戻す」というセットの指示があります。言葉自体は「表情豊かに」という意味ですが、そこからテンポが落ちる意味が導き出されているのですね。



 演奏記号はたとえ言葉で書かれていても、やはり記号としての役割を持ち始めるものです。そしてその記号として含んでいる指示は、言葉の直訳だけで導き出せるものではないでしょう。真意は、言葉の意味からさらに深いところにあるかもしれないし、あるいは言葉の意味の手前にあるかもしれないし、さらには言葉に近似されただけのものであるかもしれないのです。決して言葉の辞書を引けばわかるものではなく、その一方で、楽典の教科書に列挙されているものを見てわかるものでもなく、ましてやググったり直訳アプリを使ったりすることで辿り着けるものではないでしょう。


 おそらく正攻法は、過去の用例を丁寧に吟味することであると考えます。VivaceやCantabileなどが、一体それぞれどのようなことを指示しようとしているかをいちいち知って考えることです。そのうちに表現可能性への勘が働いてくるでしょう。身も蓋もない話、経験量を積むことが重要だと思います。たくさんの理論書と楽譜を読み漁り、たくさんの演奏を聴き、たくさんの演奏をすること。情報が簡単に手に入ってしまうことについては便利な現代ですが、その便利さは情報そのものを手に入れることよりも経験を手に入れることの方に用いることができればいいのかなと思いました。

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