日時:2019年5月24日 19:00開演(18:50開場)
会場:松濤サロン(渋谷駅より徒歩10分)
チケット:全席自由2,000円
プログラム
サティ:『星たちの息子』への3つの前奏曲
ケージ:ある風景の中で 他
すっかり体調不良で寝込んでいて告知のタイミングを逃したので、とりあえず今回のプログラムの意図だけ書いておこうと思います。
さて、ケージと言えばお馴染み《4分33秒》によって「音楽の概念を転覆した変な作曲家」みたいなイメージを一般に持たれてしまっていると思うわけです。もしかしたら一般聴衆どころか、音楽家たちの一部もそういう認識かもしれません。この1曲(曲?)を書いた作曲家としてだけ考えるとそこに着地してしまうんですね。
実のところ、ケージは全く孤立した存在ではありません。どころか、前の世代の音楽のエッセンスを受け継いでいると言ってもいいのです。ケージの音楽にはカウエル、ヴェーベルン、ヴァレーズ、そしてサティなどの影響を認めることができると思います。
というわけで今回の目論みはサティとケージを繋げることです。サティは現代ではどちらかと言えば人気の作曲家でしょう。時々奇妙な曲もありますが、大抵はその透明感のある美しさは不動の評価を得るに至っていると思います。
ケージはまるでサティのようなサウンドをもったピアノ曲を残しているんですよ。それが今回弾く《ある風景の中で》という作品です。パッと聴いただけでもかなり「サティっぽい!」と思ってしまうような音楽ですが、実際に音の選び方や楽曲の構造の面でサティの音楽から得たアイデアを用いています。
一方で今回弾くサティの曲は《『星たちの息子』への3つの前奏曲》というもので、サティが薔薇十字教団に参加していた時に神秘劇の音楽として書いた作品です。いくつかの楽想が入れ替わり現れる不思議な音楽でして、四度堆積和音をいち早く採用している革新性を認めることができます。サティ独特の不思議な発想標語は既に書かれ始めていますが、この曲の最初の発想標語は「白く、そして不動に」です。サティの音楽が「白い音楽」と呼ばれる所以になったものかもしれません(※未確認)
どうしても一般の方々にとっては、ケージなどの所謂「現代音楽」(しかしこれは現代の音楽ではない)は意味不明で、それまでの音楽を破壊する創造として見えがちです。僕の狙いは、サティからケージへの音楽の繋がりを示すことによって、クラシックと現代の音楽を断絶したものではなく繋がったものとして聴き手に認識させることです。
というわけで今回はこんなコンセプトでいきます。よろしくお願いします。
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