クラシック音楽の作曲家で変人と呼ばれる人は割合多いのですが、中でも「異端児」の名で呼ばれた作曲家と聞いて真っ先に思い浮かぶのはサティ(Erik Satie, 1866-1925)でしょうか。
フランスのオンフルールに生まれ、幼少のうちに一家でパリへ移住します。既に音楽には興味を示していたようで、オルガニスト・聖歌隊長であったヴィーノという人物からレッスンを受けました。この時点から教会の音楽に影響を受けていたようです。
後にサティはパリ・コンセルヴァトワールに進学しました。しかしそのアカデミックな気質にどうしても馴染むことができず、次第に学校をサボってはノートル・ダム寺院や国立図書館で過ごすことが多くなりました。ギリシャ文化、ゴシック建築、中世のグレゴリオ聖歌を調べ、また神秘主義思想にも傾倒しました。学業から逃げるように歩兵隊に志願入隊しては、やはり馴染めずにわざと気管支炎を患って抜け、コンセルヴァトワールにも戻りませんでした。
そんなサティは次にどうしたかというと、文学酒場に入り浸るようになります。文学酒場『黒猫』でシャンソン歌手の伴奏をするピアニストのアルバイトによって生活費を稼ぎつつ、《3つのサラバンド》や《3つのジムノペディ》といった、独自の語法による作品の創作を始めます。また、第4回のパリ万博を観に行き、東欧やアジアの音楽に影響を受けて《グノシェンヌ》を書いています。
『黒猫』の経営者と喧嘩をして解雇されると、そのすぐ近所の文学酒場『旅籠屋・釘』で働き始め、ここでドビュッシーと出会うことになります。ドビュッシーはサティから平行和音や四度堆積和音の影響を受け、サティはドビュッシーから脱ヴァーグナー思想を受け取ります。
ちなみにまだ名前は出てきませんが、ラヴェルもまたサティから平行和音の影響を受けたと発言しているようです。
ところで、ドビュッシーとの出会いの前にも、とある奇妙な出会いがサティにはありました。その相手の人物こそが、作家でありオカルティストであるジョセファン・ペラダン(またはサール・ペラダン)です。実は先述の歩兵隊入隊のくだりの時期に、サティはペラダンが書いた神秘主義小説『至高の悪徳』を愛読していました。ペラダンは自身の主宰していた秘密結社『聖堂と聖杯のカトリック・薔薇十字教団』の作曲家にサティを任命したのです。
サティはいくつかの音楽をこの薔薇十字教団のために書くことになります。それが《薔薇十字教団の最初の思想》、《薔薇十字教団のファンファーレ》…そして、劇音楽《星たちの息子》などです。
劇音楽《星たちの息子》は、1891年に、ペラダンの同名の戯曲の上演のために書かれた音楽でした。その告知ポスターには「サール・ペラダンのヴァーグナー風 占星術」と書かれました。ペラダンがヴァーグナー好きだったことが要因ですが、サティが書いた音楽にヴァーグナーはあまり感じられないかもしれません。
オリジナル版は複数のフルートと複数のハープのという編成で書かれましたが、現在このオリジナル編成版は紛失し、ピアノ曲版のみが残されています。さらにその中から第1幕・第2幕・第3幕へのそれぞれの前奏曲を抜き出したものが、今日演奏される《『星たちの息子』への3つの前奏曲》です。それだけ聞くと「なんだ、前奏曲だけの抜粋じゃないか…」と思いそうですが、実は本編の音楽も前奏曲に含まれるモティーフから作られているので、前奏曲だけでは楽しみが減るというわけでもないのが実際のところです。
第1幕への前奏曲:天職
── 装飾的な主題 バビロンのカルディアの夜
この作品において実践された最も画期的な書法は、四度堆積和音でしょう。通常の三和音は、3度音程の積み重ねから構成されます。しかし四度堆積和音は4度音程を積み重ねる和音です。このことによって、19世紀末までクラシック音楽の覇権を握ってきた三和音の響きをあっさりと逸脱してしまったのです。シェーンベルクは《室内交響曲第1番》で四度堆積を試み、してやったりという自信も持っていたようですが、サティの方が圧倒的に早かったのでありました。
譜面を読んでみますと、完全4度と増4度の積み重ねによって縦の響きが構成されていることがわかります。そしてその和音が縦の音程関係を保ったまま、平行移動によって響きの移り変わりを描きます。
ここで思い出していただきたいのです、サティはどのような音楽に影響を受けていたのかを。アカデミックな語法に馴染むことができず、教会に入り浸っていたサティが関心を持ったのは、中世の音楽でした。
中世の教会の音楽には、グレゴリオ聖歌の旋律に別の旋律を重ねるオルガヌムという音楽があったのですが、特にその最初の平行オルガヌムは、完全5度または完全4度の音程を保ったまま、聖歌の旋律と平行するというものです。もしかすると、この四度堆積和音の平行を、オルガヌムを元にしたサティの独自発展書法(4度の上にさらに4度を重ねる、増4度も含めるなど)と捉えることも不可能ではないかもしれません。
なお、この四度堆積和音は現代でも広く使われています。ジャズやプログレなどには普通に出てきますし、みんな大好きジブリの音楽でも久石譲さんが神秘的なシーンなどで用いていますね。どうやら、神秘的とか変わった雰囲気などを演出する効果は広く感じられているようで、神秘主義の劇音楽にサティがこれを用いたのにも現代人はより納得できるのではないでしょうか。
第2幕への前奏曲:秘法伝授
── 装飾的な主題 大寺院の地下大広間
こちらは、異なる三和音を組み合わせてまた新しい響きを試みています。そしてそのブリッジには、やはり四度堆積和音が引き続き顔を出します。この曲については、明瞭に調性が聴き取れる部分もあり、第1幕への前奏曲と比べると柔和な響きを持つ場面が多いように感じられます。
第3幕への前奏曲:呪文
── 装飾的な主題 パテシ・ゴデアの宮殿のテラス
先の2曲に比べて力強い性格を持っているように感じられるのが、第3幕への前奏曲です。明らかにユニゾンを鳴らす箇所が多いことを要因として挙げられるでしょう。両手のオクターヴという箇所さえありますし、細かい動きをするユニゾンの動機はファンファーレのようでもあります。
楽譜には、強弱もテンポも指示されていません。代わりに、サティの代名詞とも言うべき詩のような謎めいた言葉が所々に書かれています。「白く、そして不動に」「青ざめて、厳かに」「勇敢に易しく、そして孤独に悦に入って」「遠くから、お互いを見つめあって」「自己の存在なんか意識せずに」「あなた自身のための終わり」等々。
ただ、音楽がいくつかの部分の(移高形を含む)交代によって成り立っていることは読み取れるでしょう。それぞれの部分の性格とその脈絡を考え、よほど不自然なものでないならば自分なりの味付けは許容されると思います。
この作品の初演当初の評価は決して好ましいものではなかったでしょう。ペラダンの好みを見事にガン無視していることもさることながら、他の人たちにとっても全く耳に馴染む響きではなかったと思います。サティはドビュッシーやラヴェルらから支持され、ひっそりと音楽界に大きな革命を起こしていくことになります。
先日、Piascoreさんからのお誘いで出演したオンラインライヴにおきまして、《『星たちの息子』への3つの前奏曲》を演奏しました。19世紀のクラシックとはまた異なった響きに戸惑うかもしれません。しかし、この作品が20世紀音楽への最初の扉の一つであると僕は信じております。ぜひお聴きください。
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