複数の音によって和音を構成し、さらにそれらの和音を継続的に連結すること/したものを和声と呼んでいます。一般に "旋律(メロディ)" "和声(ハーモニー)" "律動(リズム)" をあわせて "音楽の三要素" などと言われたりしますね。その和声についての研究が和声法、あるいは和声学と呼ばれるものです。専ら調性音楽を成す音階によって作られる機能和声の繋ぎ方が優先的に勉強されます。和声の繋ぎ方の基本型として、楽典の範囲内でも「カデンツ(ケーデンス)」という言葉は聴いたことがあるかもしれません。
一見すると和声法は、コード理論のように既に出来上がっている和音の繋ぎ方を考えるものであるように思われるかもしれません。しかし、単純にそのようなものというわけでもないのが実際です。音楽を形成している音の様々な動きが、総体として和音に聴こえているのでありまして、決して和音だけを見ていればよいのではなく、その時々で和音を響かせる各パート(声部)の動き方にも着目し、その性質を考えていくことになります。ざっくりと「音楽の縦の響きを考えるのが和声法、横の流れを考えるのが対位法」などと言われることもありますが、それらは表裏一体であり、和声法でも横の流れは考えることになるのであります。
さて、そんな和声法を勉強することにはいくつかの利点を挙げることができます。和声は音大では必修科目であるわけですが、それは作曲科だけの話ではありません。器楽科も声楽科も必修なのです。その理由にも関わってきます。
和声法を学ぶと、必然的に音をまとめて認識することを求められます。当然の話ではありますが、複数の音を認識することによって縦の響き(和音)も横の流れ(旋律)も考えることができるのです。それらの音がどのように積み上がったり続いたりするかを解き明かしていく過程で、音楽を成す一連の音の連関を捉える能力が培われます。
楽譜を読んで一音一音をバラバラに拾っていくという取り組みはあまりよろしくないと言えるでしょう。それは音同士の繋がりを意識していないからでありまして、一音一音バラバラに拾った音をただ並べても、並んだバラバラの音の列が出来上がるだけになるのです。音同士を繋げて音楽にするのは、音楽の連関への自らの意識であるわけです。繋がっていると考えなければ繋がらないのです。
和声を学ぶことによって、楽譜に書かれた一連の音が繋がっていると認識できるようになります。音を一つ一つではなく、すぐに構造を見抜いて和音や旋律として捉えられるようになるのです。その結果何が起こるかというと、譜読みが圧倒的に早くなります。「演奏の初見が早いこと=音楽性があること」と考えるのは早計ですし誤りですが…縦にどのような和音が積み上がっているか、横にどのように旋律や和音が繋がっているかをすばやく把握できるようになると、取り組みペースの向上のみならず、音楽を考えるための材料も早い段階で手元に揃えることができるでしょう。
ちなみにこれは必ずしも一人で和音を鳴らす楽器の人だけのメリットではありません。むしろ一人では単音しか鳴らせない人にこそ、和声を勉強してほしいとも思います。と言うのも、そのような人たちはアンサンブルをする機会が多いであろうからです。和声を学んでおくと、自分以外のパートの動きや全体としての響きを認識することができるようになります。自分のやることだけやって他のパートが何をしているか知らない、ではアンサンブルも上手くはいかないでしょう。
ところで、和声法の学習方法はただ単純に「この音はこの音に繋がります」ということを受動的に覚えるようなものではありません。自分の手で、声部ごとに音を繋いでいくのです。実際に楽譜も書きます。もちろん演習課題としては、一つの声部が既に書かれていて、それに従って他の声部も書きなさい…という形も取るには取るのですが、究極的には何もないところに音や和音を繋いでいくことになります。強いて言えば初歩の作曲でもあるのです。
とにかく楽譜に従って音を鳴らすということばかりに慣れている人にとっては、意外に大きなハードルにもなり得るものであると思います。言い方は悪いですが、他人(作曲者)にプログラミングされた通りに動いているようなものです。ところが自分で和声を繋いでいくとなったら、プログラミング自体も自分の手でできなければならないわけです。大きな壁に感じられるのも理解できます。
しかし、和声法を学ぶことによって自分の手で和声を繋げることができるようになると、その楽曲において作曲家がどのような考えで和声を繋いだのかを感じられることが出てきます。音楽をどこに向かわせようとしてどのような和音を選んだかがわかるわけですね。しかもその思考回路を理解することは、暗譜の役にも立ちます…というか、暗譜とは作曲者の思考回路を捉えることそのものであって、みだりに体に演奏の動作を叩き込もうとしたり、脳裏に楽譜を複写しようとしたりするものではないと、個人的には思っています。
もちろん和声法の教科書に書いてある通りに作曲家が曲を書いているわけではまったくないのですが、それは「この作曲家はこういうふうに考えたんだな」と応用的に考えればよい話です。以前もどこかで使った言い回しですが、音楽理論は "理論" というよりは "論理" の研究であると考えた方が応用が利くと思います。実は和声法の知識を使って簡単な和声聴音では先の展開を予測したり構成音や配置の正誤を確認したりするというチートができたりする場合もあるのですが、机上の和声法に頼りすぎない方がよいと釘を刺す理由は、必ずしも教科書通りのものとは限らないということにあるのです。そこはちゃんと聴いてくださいね。
音楽に取り組む上で和声(ハーモニー)を気にしないということは、殆どさすがにできないと思いますし、もしもそれを全く気にも留めずに演奏しているとすれば、かなり重要な部分を落としているのではないかと思うところです。たとえ知識として整理されていなくとも、なにやらロジックがありそうだぞ、なんて感じることもあるのではないでしょうか。そんな "和声" というものについて、視点を特化して掘り下げてみよう、というのが和声法なのです。
理屈に縛られるのはちょっと…なんて考えもあるかもしれませんが、禁則警察は教科書ばかりを盲信して実際の音楽を確認しなかった場合にだけ起こるものです。きちんと音楽の中で確認するということを怠らなければ大丈夫。机上だけで解くことがよろしくないということです。
特に「作曲や編曲をしたい!」という人でなくとも、ある程度まででも和声法を齧ってみると、楽譜の見え方や音楽の聴こえ方が変わり、もしかすると作曲家が用いたトリックを掴むことができるかもしれませんし、それが自身の音楽にも反映されるかもしれませんよ。色々な種類やコンセプトの教科書、さらに中には軽い読み物サイズのものもありますから、ちょっと手を出してみても面白いかもしれません。わからないことがあったり、もっと突っ込んで勉強したくなったりしたらレッスンを頼んだりすればよいと思います。
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