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執筆者の写真Satoshi Enomoto

ざっくりわかるグルダ:クラシックとジャズの間で


Friedrich Gulda (1930~2000)

 さて、僕は来週のコンサートでモーツァルトとグルダの作品を弾くわけですが。

(詳しくはこちらの記事を参照→ https://www.virtuoso3104.com/post/mozart-gulda


 まあモーツァルトは皆様も知っていることでしょう。早逝の大天才。音楽室の後ろの壁、おそらくベートーヴェンの隣にいたのではないかと。個人的にはむしろ彼は苦労人だったのでは?と思うのですがそれはさておき…


「ところでグルダって誰よ?」


 そんな声が聞こえてきそうです。おそらくクラシックを普段聴かない人にとってはあまり見ない名前でしょう。音楽の教科書にもたぶん載ってないです。というわけで。



~ざっくりわかるフリードリヒ・グルダ~


 このグルダという人物についてざっくり解説。


・オーストリアはウィーン生まれのピアニスト、作曲家。


・得意な作曲家はモーツァルトやベートーヴェン。あとジャズと即興演奏。


12歳でウィーン音楽院(現在のウィーン国立音楽大学)に入学。


16歳でジュネーヴ国際音楽コンクール一等賞。


・途中でジャズピアニストに転向しようとして周囲に止められる。結局はクラシックとジャズの両刀使いになる。


・ベートーヴェンのピアノソナタ全曲を3度もリリース。


・20世紀の前衛音楽や実験音楽に反発し、クラシックとジャズを組み合わせた語法で作曲を行う。オーケストラの中にエレキベースやドラムセットがあったりする


自作品に即興演奏部分を設ける。


・マスメディアに偽の訃報を流し、生き返ったという設定で復活コンサートを行う。


・「モーツァルトの誕生日に死にたい」と言っていたが本当にモーツァルトの誕生日に死んだ。


 …とまあ、現代に蘇ったモーツァルトのような神童ぶりを発揮してあれよあれよとクラシックで頂点を掻っ攫ったかと思ったら、まさかのジャズに傾倒して本気で転向を考えるという、どちらかといえば音楽的にも人間的にもぶっ飛んだ革命児であるわけです。

 

 しかし、このグルダの音楽人生には、その音楽哲学・音楽美学が反映されているように思います。

 グルダが母校であるウィーン音楽院から「ベートーヴェンの指輪」を授与された際に行った演説のテキストを手に入れました。グルダ著『音楽への言葉』(前田和子訳、1976年、音楽之友社)から引用します。


 “つまり私はウィーンの国立音楽院のごとき骨の髄まで保守的な施設には、音楽史の上で最も革命的だった人の名のもとに、賞を授与する資格は無いと思うのです。

 学生諸君よ、国立音楽院は君たちを、音楽上の反抗者、革命者ベートーヴェンの後を継ぐように教育しているだろうか? 確かに違う──それどころかおとなしくうしろ姿に手を合わせるように指導しているのだ。

 ベートーヴェンが君たちに寄せたメッセージは、しかしこうなのです──

「私は音楽上の革命者だった。私のようになれ!」

 その代りに君たちは、従順な音楽官吏へと教育されている。音楽院が君たちの視野を音楽の郷土史の中にとじこめて、世界の音楽地理学にまで発展させないよう図るのも、同様にベートーヴェンの意に沿うものではありません。これでは『百万の人々よ、相抱け!』という福音に対して、申し訳がない。私のいいたいのは、私たちの狭い意味の祖国の音楽だけが教えられていて、世界すべての音楽が忘れられているということです。真の音楽大学はこれではならないでしょう。

 音楽院は「音楽史」という科目で、まったく重要でないバロックやルネサンスの作曲家の生年没年を君たちの肩に負わせる反面、バロックやルネサンスの時代の音楽上の力がどこにあったかをいうのを忘れています。私にいわせれば自然な熱中から生まれた音楽の即興の、すさまじい普及こそそれなのですが。書かれた譜面から弾くことのほうが、創造的即興的な自己作働よりも高い音楽の働きであるかのように、君たちは吹きこまれています。こうして音楽院は君たちをして、かの音楽家たちを見下し、軽蔑するように育てているのです──”


 …この演説の後、グルダは賞を返却したそうで。

 これを読んだだけでも、グルダがジャズに傾倒した理由がなんとなくわかるかと思います。グルダはクラシックが忘れてしまった創造的・即興的な音楽のエネルギーをジャズに見出したのです。実のところ、クラシックにだって即興的に装飾を入れたり即興演奏する部分があったりするのです。グルダはそれをまさに実践していました。そこに音楽の力があると信じていたからです。

 

 グルダは革命家でした。しかし、モーツァルトやベートーヴェンと同じように革命家だったのです。戦うために選んだ手段がジャズだったとしても、その精神はかつてのクラシックの革命魂だったわけです。グルダは先の演説で、ヨーロッパのみならず世界の音楽を勉強することや、即興演奏の実践を積むことができるような、音楽大学のカリキュラム再編を訴えています。クラシックを貶めるのではなく、むしろクラシックに新しい風を引き込むために。


 さて、グルダにこう言われてしまっては僕もグルダの後ろ姿に手を合わせるような弾き方をするわけにはいきません。音楽上の反抗者・革命者グルダの魂を引き継ぐことができるか。その精神はグルダ死してなお現代の音楽家たちに訴えかけるものであると思います。

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