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執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】「忘れられる曲には忘れられる理由がある」?:残そうとするから作品は残るという話


 題の言葉は、例えば作曲家が未発表のままうっかり紛失したなどという場合の話ではなく、「名曲と言われない曲は名曲になり得ない要因を抱えている」という意味で言われるものです。


 このような思考は、決してアマチュアや聴衆ばかりのものではなく、音楽のプロフェッショナルと見なされる人々の間にも存在するものです。そしてその考えは、題のようなものではない、もっと純朴な言葉によって発せられます。すなわち、


「クラシック音楽は、永い年月を経て駄作が淘汰されて傑作だけが残っている(だから素晴らしい作品ばかりである)」


 …というものです。なるほど、特定の作曲家の特定の作品ばかりが演奏される状況はそこからも導かれるものかもしれません。多くの人が素晴らしいと評価しているものは素晴らしいに違いないという判断なのでしょう。この考えが浸透すれば、"みんなが演奏する作品である" ということ自体が効果の高い宣伝になるのも頷けるのであります。


 

 ところで、「その作品が傑作ならば必ず後世に残る」という命題が真であるかどうかを考えると、反例がいくらでも出てくることがわかるでしょう。


 J.S.バッハの音楽はモーツァルトやベートーヴェンにも研究されていたものの、大きな再評価はメンデルスゾーンによる蘇演を待たねばなりません。シューベルトの大交響曲(グレート)は埋もれていたところをシューマンによって発見され、メンデルスゾーンによって初演されました。ベートーヴェンの第九はヴァーグナーの入念な演奏によって一気に評価されました。シェーンベルクの作品は毎度のスキャンダルにも関わらず、周囲の演奏家たちの尽力によって重要なレパートリーとなりました。ユダヤ人収容所で命を落としたために忘れ去られたシュルホフの作品はクレーメルが取り上げたことによって陽の目を見たようです。


 さらに歴史を遡って、面白い例を紹介しておきましょう。中世フランスのアルス・ノヴァと呼ばれた時代で活躍した主な作曲家に、フィリップ・ド・ヴィトリとギヨーム・ド・マショーを挙げることができます。ヴィトリはそれこそ論文『アルス・ノヴァ』を書いて記譜法の革新を達成した重要な人物でありながら、ヴィトリの作品と断定できるものはあまり残っていません。その一方で、マショーの作品はたくさん残っています。これは即ち、ヴィトリの作品は駄作揃い、マショーの作品は傑作揃いだったということでしょうか。これはとても単純な話でありまして、マショーが自身で作品全集(音楽のみならず、詩作品、そして60代で19歳の女性と恋愛をした自伝も含む)をまとめ、パトロンや貴族に配ってまわったからなのです。マショーの作品はマショー自身が残そうとしたから残っているのです。


 作品が後世に残るかどうかということは、その作品の質と全く無関係ではないにせよ、究極的には「後世にに残そうとしたかどうか」にかかっています。より具体的に言えば、その時代ごとの演奏家たちが積極的に演奏するかどうかです。「積極的に演奏したい」と演奏家に思わせる要素を持っていれば結果的に残りやすいということはできるでしょうけれども、その判断が音楽的に面白いかどうかということとは必ずしもイコールではないことを気に留めておいてもよいでしょう。


 つまり極論すれば、どんなに面白くない作品でも名曲として祀り上げることはできますし、どんなに面白い作品でも歴史の闇に葬り去られることは起こり得るのです。そしてちゃっかりその左右を演奏家も聴衆も握っているのです。今この記事を読んでいるあなたも例外ではありません。


 

 僕がコンサートに持っていく曲目は世間一般に「名曲」と呼ばれ持て囃されるものばかりではありません。むしろ埋もれている側の作品もあるくらいです。僕は作品の知名度はあまり気にせず、自分が面白いと思った作品を取り上げるようにしています。後世に残っていてほしい作品を弾いたり掘り起こしたりしているようなものです。2050年くらいにはシェーンベルクやバルトークやハウアーやヒンデミットの音楽がショパンやチャイコフスキーの音楽と並ぶくらいの頻度で聴かれていたら嬉しいのです。


 「忘れられる曲には忘れられる理由がある」という考えを正当化すると、クラシックは現時点で有名な曲だけを繰り返し演奏するだけの遺品になってしまうでしょう。昨今は演奏家のスター性が強調され、エンタメとしてのクラシックが楽しまれているように見ることができると思いますが、音楽自体の更新が無ければエンタメ路線に新しさを求め始めるのも無理は無いだろうと感じられるところです。埋蔵されている宝はいくらでもあると思うのですけれども。


 既に誰もが美しいと評価しているものに対して、今さらわざわざ自分も美しいと口を揃えて言うだけの手間が一体何になるのかということです。それよりは、今なお謎に包まれた音楽の美しさを新しく発見しようとする方が世界を拡げる可能性をもっていると考えています。「忘れられる曲」が忘れられる理由を挙げるならば、それは「あなたが忘れてしまったから」に他ならないわけです。


 少なくとも、面白くない音楽だから忘れられたというわけではないのです。忘れられた作品を引っ張り出してみると、意外に驚くほど面白い作品が出てきたり、一方で本当に面白くも何ともない作品が出てきたりします。それらを引っ括めての作品発掘の楽しさだったりもします。


 ともかくも、僕はそういった作品を引っ張り出したい側の人間です。好奇心のある方が興味をもって楽しんでくれるならば、こんなに嬉しいことは他にありません。今週末18日午後のコンサートもそんな傾向のプログラムですが、今回の話を聞いてより積極的に活動していこうと思いました。

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