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執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】地続きの音楽探訪:“好き”を辿ってゆくこと


 人それぞれに好きな音楽や面白い音楽があるのと同様に、その面白さがよくわからない音楽もあるでしょうし、ましてや嫌悪感を抱く音楽さえあるかもしれません。それは決して悪いということではなく、そこに至るまでの個人の音楽経験や性分などを反映したものであるというだけのことです。


 個人の中でやるぶんには「面白いと思う好きな音楽を好きにやればいいじゃない!」ということで全く問題はありません…が、やはりお仕事として音楽をやるとなると、どうしてもそればかりではやっていけないのが現実であります。なにせ頼まれ仕事なものですから、「これを演奏してほしい」と言われて未知の作品を出されても、「自分のレパートリーの範囲外なので嫌です」と拒否しようものなら以後仕事を頼まれなくなります。それがひとえに“能が無い”と片付けられてしまうのも無理はなく、頼まれたら引き受けるのが職業音楽家としての覚悟であります(もちろん劣悪な条件の仕事は交渉するなり拒否するなりしなきゃダメよ)


 …で、あるからして。音大在学中などには特に「仕事で頼まれそうなものは一通りできるようにしておく」という勉強方針が取られることは珍しくありません。それもそのはず、その後音楽で生きていくにあたって押さえておくべき作品も色々とあるわけです。それこそ世間的に有名な曲は必須でしょうし、「この曲は伴奏経験があります!」というのもピアノ科にとっては武器です。これが声楽科なら「何がすぐ歌える」とか「オペラの何の役ができる」というのは死活問題になると思いますし、オケの楽器群も「何の曲をやったことがある」は重要なステータスでしょう。


 職業音楽家として苦しむ齟齬はここにあります。自分の好きな音楽・面白いと思う音楽ではない、好きでもないよくわからない音楽や腑に落ちない音楽をやらねばならないシーンが出てくるのです。だからといって手を抜くのは音楽に対する不誠実でしょう。あくまでも音楽には真摯に、そして腑に落ちない齟齬は割り切って取り組むことになります。「この曲をやるのはキャリアのため」なんていうことにもなるわけです。


 僕ですか? 僕は自分の中で折り合いをつけられないまま大学3年生で近代以降の方向へと脱線しましたね…僕の先生はショパン、シューマン、リストあたりを中心にやらせたかったようですが、忌避を続けるうちに諦められました…(苦笑)


 

 と、まあ割り切って取り組むなり脱線するなりするのは人それぞれですが、そこで「仕事で頼まれるものと自分の好きなものが合致していたらよかったのに…」と思い詰める人も、いくらかいるのではないかと想像します。確かにその葛藤が起きなければいくらかは楽だったかもしれません。


 ただ、個人的な考えではあるのですが。


 そこで無理をしてまで早急に馴染みの無かった音楽を好きになったり面白いと思うようになったりする必要は無いと考えています。わからないならばわからないなりにウンウン考えて立ち向かえばいいだけのことでして、そこで自分の音楽観を否定するほどのものではないと思うのです。


 そしてあるいは、それでもその葛藤に耐えられそうにないならば、いっそ今わからない音楽はわからないでさておいて、自分の好きな、やりたい音楽の方に一度突き進んでみればいいとも考えます。


 

 というのも、一見異なる音楽に思えても、ある面では地続きであるということが多々あるのです。作曲家たちは先の作曲家たちから何らかの影響を受けて音楽を作り、また後の作曲家たちに影響を与えてきました。近いか遠いかという差はあれども、既に好きな音楽とまだよくわからない音楽が、影響の系譜を辿って繋がることは充分にあり得ることなのです。


 個人的な体験を書いておきましょう。


 おそらく榎本智史は今や「シェーンベルクを推す人」だと思われているかもしれませんが、大学に入ってシェーンベルクに惹かれるようになる前は、むしろシェーンベルクをつまらない作曲家だと思っていました。12音を均等に扱うとはなんと頭でっかちな…などと感じていたのです。しかし大学3年生の頃から初期のロマン派的作風が濃厚な作品を聴いたり演奏したりし始めたことによって、その後の調性崩壊的作風との繋がりを感じ取るようになったのです。特にシェーンベルクの音楽がブラームスやヴァーグナーに似ていることに気付いて嬉しくなったものでした。その時に、それまで抱いていたシェーンベルクへの断絶が消えたのでした。


 また、大学院に入ってからようやくモーツァルトにも興味を持ち始めました。モーツァルトこそ、高校生の時から「モーツァルトくらいやっておかなきゃ」と指示されるがままに一体何が面白いのかわからないまま弾き散らかし、すっかり無味乾燥とさえ呼んで虚無感を覚えてしまっていた作曲家でした。大学院でピリオド演奏研究を履修したことも大きな転換要因ではありましたが、個人的にはもう一点、シェーンベルクがモーツァルトの音楽を参考していたという事実を知ってからです。ベタ褒めもベタ褒め、モーツァルトの伝記を読んだのが切っ掛けで作曲家を志したとまで言っているわけですが、確かにモーツァルトの音楽を分析してみるとシェーンベルクへと繋がる要素が見えてくるのです。シェーンベルクを勉強していたはずがモーツァルトへの道が拓けるという奇妙な体験をしたのでした。


 このように、作曲家同士、音楽同士が地続きで繋がると信じて、興味を持って勉強していれば、ふと何かの切っ掛けで未開拓の道に突入することはあり得ると思います。おそらく、バッタリと邂逅することになるのが早いか遅いかの違いでしかないのではないでしょうか。それを積極的に早めたいと思うならば、自分の好きな音楽や作曲家を起点にして、芋づる式に影響が近いものを辿るように取り組んでいけばいいのではないかと思います。音楽史を紐解くことともリンクしてきそうではありますね。


 

 「面白さがよくわからない音楽がある」ということを気に病む必要は無いでしょう。それはまだ地続きの形で遭遇していないだけなのです。そのうち面白くなってくる日が来ることでしょう。僕自身も、昔と比べると好きな音楽がだいぶ増えたと思っています。ゆっくりじっくりと、自分の “好き” を広く長く辿って行けるならばきっと大丈夫です。

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