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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【レッスン・雑記】無理せず楽しく続けること:手抜きとは違った意味で


 他の人から聞く話でも、僕が普段見ている中でも観測される事例なのですが、どうやら音楽の訓練においては厳しいことがそのまま良いことであると考えられている面は少なからず存在するようです。「無理もせず楽しくやって上手くなろうったってそうはいかないよ!」という意見にも賛同や支持が集まります。


 全くそれを否定するつもりは無いのですけれども、しかしそれを押し出していくのもなんだか「上手くならないお前は努力が足りないんだ!」と圧をかけていくような気がして好きになれないのです。全くの努力をせず…ということはできないでしょうが、可能な限り無理はせず、可能な限り楽しく音楽を習得していくことは可能であると思います。


 というか白状すると、僕自身がその「無理をしなければならない」「楽しくやろうとしてはいけない」ということに耐えられる気がしません。個人的には「負荷は最低限であるべき」「楽しめなければならない」とさえ考えているのです。そしてそれは決して「手抜きをすべし」と言っているわけではなく、むしろ工夫が必要になることなのです。


 

 まず先に「楽しくやろうとしてはいけない」という意見に対してですが、楽しくないものに対してエネルギーを投入し続けることはそもそも難しいと思います。きっとこの言葉は「楽しくない地道な練習もやらなければいけないんだよ」という意味だと思うのですが、それを宥めて諭すよりも、そのような地道な練習を楽しいと思える方向に持っていくことの方が効果的だと思います。


 確かに僕もハノンやチェルニーの練習曲は殆ど「なんて味気の無い音楽だ!」と思いながら弾いていましたし、それが全く力にならなかったわけではありません。ただ、そういうものもどうせ練習するなら楽しくやりたいではないですか。


 例えば、練習で弾く部分部分や1回1回において、様々な試行錯誤をしてみることは大切だと思います。指の使い方、手の向き、腕の位置、さらには歌わせ方…そのような観点についていちいち工夫を加え、だんだんと弾けるようになってくる感覚が得られている時、地道な反復練習自体が楽しさを帯びてくるのであります。


 練習の成果が、練習量に比例するようにではなく、ある日突然弾けるようになる形で現れるという傾向は、僕自身の経験からも覚えがあります。ただ、それを待ちながら練習しろというのも酷ではないかと思います。練習した日にほんの少しでも前進している感覚があった方が、練習することが楽しいというエネルギーを維持できると思います。


 近頃も「自発的に練習する生徒を育てよう!」という声があるではないですか。それはそれで生徒を操ろうとしている言い方が好きではないのですけれども、つまりは生徒自身が地道な練習すらも楽しいと思えるように導いていこうということだと思うのですよね。


 苦行を苦行のまま強いようとするのは僕自身も嫌ですからね。苦しさを楽しさで常に超克するようにしていくぐらいでよいのではと思います。


 

 そして、「無理をしなければならない」という意見についても、僕は「無理はしなくていい」と考えています。言葉の指す程度に多少の齟齬があるようにも思いますが、「無理しなければできないようなものはそもそもまだ挑むべきものではない」というのが僕のスタンスです。


 負荷をかけるにも程度があると思うのです。新しい音楽に挑戦して、今の自分にとってすぐにはできないという時点で既に負荷でしょう。すぐにはできないけれど、乗り越えられることは見えているという程度のものを積み重ねていくことが「無理の無い習得」の形だと思います。それは無理ではないのです。


 ピアニストというのは平然と6時間でも8時間でも練習してしまうような人種でして、その頑丈さで無理を乗り越えてきた経験を持っていることも少なくありません。しかし現実には、そんな頑丈な人間の方が実はイレギュラーでありまして、その頑丈感覚で他人に接すると力加減をミスった意見を述べかねないのであります。無理による死屍累々の上に生き残ったピアニストが輝いて見えているだけです。


 また、無理の容認を努力と思い込むと、故障へ繋がる危険性も出てくるでしょう。当人にとっては、無理をしている感覚が「自分は頑張っている!」という感覚に容易に結び付いてしまうという要因もあります。能力を磨いていくことは重要ですが、突破の境界を見誤ってはいけないと思います。


 僕の主観では「頑張らないために工夫する」という方向に考えて取り組んだ方が良いように感じます。どうすれば最低限の労力で最高の音楽を実現できるかを考えるわけです。すると、無理という無理をするシーンは

意外に少ないことがわかってくると思います。かつて「これは無理しないと弾けないな…」と思っていた曲でも、工夫の手数が増えた今になって見てみると「昔は余計な無理をして弾こうとしていただけだな…」と判明したりするものです。


 無理をしなければ!と思い込んで突っ込んでいく前に、無理をしない方法を考えてみるという段階を設けてみた方が、後々得かもしれませんよ。


 

 このような理由から、無理しなければならないとか、楽しくないことに耐えなければならないという意見には、僕としては反対なのであります。無理しない方法はあるでしょうし、楽しむこともできるでしょう。そして、そうでなければ続けるエネルギーがいつか枯渇してしまいます。


 こんな緩い考え方をしていたところで、壁にぶち当たることは決して皆無ではありません。その時に迂回する道を探すだけの余裕を残し、視点と経験を揃えておくことは、悪いことではないと思いますよ。

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