たまに忘れた頃に、「ピアノ奏者を『伴奏者』と呼ぶな、『共演者』と呼べ!」という話題が度々上がります。大抵はピアノでない演奏者の方から上がる意見でして、むしろピアノ奏者は「たかが呼ばれ方(どう呼ばれようが共演意識に違いはない)」くらいにしか思っていないパターンであることが多い印象ではあります。僕の中でも "今川焼き" と "大判焼き" の違いでしかなく、伴奏者でも共演者でも相棒でも旅のお供でも、好きに呼んでくれという立場でおります。
本題はここからなのですが、そんな呼称について神経質になるよりは、もっとアンサンブルのやり取り自体、音楽のやり方自体に神経質になってもらえる方がよっぽどこちらとしてもありがたく、実益があるように思います。名前ばかり立派に「共演者」と呼んでいただけたとしても、音楽的姿勢が共演になっていないなどということはザラにあるのです。
音楽が音同士の連関であるという話を普段から主張しているのですけれども、それと同じように、アンサンブル(特定の編成に限らず、複数人で演奏する音楽)は演奏者同士の連関、ひいては各演奏者が持っている音楽同士の連関であると考えています。"人間同士、個々の音楽同士がどのように関わり合うか" ということが、独りではできない、より大きな編成の音楽、即ちアンサンブルを実現するのでしょう。
仕事としてアンサンブルをする場合、どうしてもスケジュールや予算の都合によって、少ない合わせの機会でアンサンブルを完成させる必要が出てきます。この事情ゆえに、アンサンブルの合わせは "それぞれ独自に完成させてきた音楽をその場で調整して合体させる" という形を採ります。この "その場で調整する" ということの厄介さゆえに、「譜読み間に合ってません」は禁句であるし、それをやらかして仕事を失うのも当然の扱いになるわけです。
この "その場で調整する" ことにおいて、基本的でありながらしかし高度な音楽能力が求められます。要するに言えば、共演者の音楽をきちんと受け止め、同時にこちらからも音楽を投げ掛けていくというプロセスを踏むことができる能力であると言えるでしょう。譜読みもきちんとやっていない状態では、そもそもそんなことまで意識が向かないどころか、やろうとする余裕すら無いかもしれません。
ではどのようにそのやり取りに馴れていくかと言えば、やはりまずは "共演者がどのような音楽をやろうとしているかを聴こうとすること" でしょう。自分の音楽をやることで手一杯…という状態ではこれはできないと思います。聴こうとする、つまり意識を向けることによって聴こえてくるものもあるはずです。
しかしそれがどうしてもできない…そんな余裕は無い…という時は、相手のパートを読んで自分で演奏してみるというのも効果的だと思います。ソリストならばピアノ伴奏パートを自分でも弾いてみる、合唱ならば他のパートの旋律も一緒に歌ってみる…さらには、ピアノ伴奏者が楽器や歌のパートを自分で歌ってみる、なんてのもよいでしょう。知っている音楽なら聴こえるだろう、という作戦です。
共演者が演奏している音楽と自分が演奏しようとしている音楽の間にある連関を掴むことが重要だと思います。すると真っ先には全体としての音楽がどこに向かう流れを持っているかを感じ取ることができ、音や音楽が然るべき位置に当てはまっていくでしょう。音程が取れない、リズムが取れない…といったごく基礎的な事柄さえ、これによって解決する場面は多いはずです。
これは相手にとってもお互い様ですから、こちらからも「こんな音楽をやりたいよ!」ということを音楽として投げ掛けて聴いてもらわねばならないと思います。連関を作るべき相手の音楽が見当たらなければ、どう合わせればよいのかもわからないというわけです。
月並みにキャッチボールに喩えれば、アンサンブルはいくつものボールを同時に投げたり受けたりしているような状態と言えるでしょうか。投げるのも受けるのもギリギリのようでは、少しでも変わったことをやろうとすれば破綻を来すでしょうし、あるいはそのように動くことすらできないかもしれません。楽譜という便利な進行表がありますから、ボールがどのあたりに飛んでくるかを予め確認しておくだけでも、そのやり取りの助けにはなるでしょう。もちろん、それで相手の音楽に先入観を持ってしまうとまた対応力を欠くのですけれども。
アンサンブルを合わせていく過程では、「こう動きますからこう動いてください!」を厳密に決めてそれだけを繰り返し練習して覚え込むのではなく、色々なやり取りの可能性を試しておいた方が良いと感じます。それこそ、練習の時点で故意に破綻例を実演しておくくらいが良いかもしれないと思うほどです。「こう投げ掛けたらしくじる」という程度が掴めますからね。時間も手間も倍増しますが、アンサンブルを実験の場にしていくとやりがいもあると思います。
時間も手間もめちゃくちゃにかかるという問題を無視してよいのであれば、最初の譜読みの時点からアンサンブル形態で一緒に行うということを試行してみるのも面白いかもしれないなぁと思ったりはします。「ここの部分はこういうふうに関係性があるみたいなんだけどどうする?」ということをいきなり擦り合わせていくわけですね。
このやり方の利点は、アンサンブルに参加するメンバーが全員最初から他の人の音楽を気にしながら自分の音楽を作っていけることにあります。現在コロナの影響で歌えていない合唱団DIO(僕が発起メンバーの一人である、神奈川県藤沢市を拠点とする混声合唱団)の活動がそのようなスタイルだったのですけれど、他の編成でもできなくはないでしょう。
現実的には、時間と手間のかかるやり方は仕事にできないかもしれません。しかし、音楽を投げ掛け、同時に音楽を受け止めるというアンサンブルの経験値を積む方法として、時間と手間のかかるアンサンブル実験を試みることは大切だと思います。仕事としてやっているとどうしてもそこまで贅沢な合わせをすることはできませんが、たまにはこの感覚で音楽をすることが恋しくなります。
受け止める。投げ掛ける。連関の手応えを得られるようなアンサンブルは、面倒でありながらも変え難い満足感をもたらすものです。
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